出てきた巨大ワニが引っかかれば、音と炸裂で教えてくれます。
あとは一気に距離を詰めて、相手の攻撃を素早く避けながら、必中の至近距離から光学銃を撃ちまくる。いつものレンの狩りの方法でした。
待っている間はずっと暇なので、レンは少し離れた岩に寄りかかるように座って、いつものように音楽を聴いていました。アイテムとして存在する音楽プレイヤーとイヤホンで、自分のアミュスフィアに入っている音源データを聞けるのです。
銃を手に、全身ピンク色の服と装備で、ただ一人、荒野で黄昏れる。
現実には絶対にできないことを、レンは楽しんでいました。時々メニュー画面を操作して、《ストレージ》、つまりアイテム保管庫から温かいお茶の入った魔法瓶を出して、のんびりと飲みました。
ストレージは、〝透明なカバン〟のようなものです。ここにアイテムを入れておくことで、手で持ち運ぶ必要はありません。
ただし、キャラクターの筋力値によって許容重量制限があるので、何から何まで入れておくことはできません。ストレージに入る最大重量と、実際に自分が持てる最大重量は同じです。
ストレージから中身を取り出すには、空中で手を振るウィンドウ画面操作が必要です。これにはどんなに早くても数秒かかりますから、すぐに使いたい武器や弾薬をしまうわけにはいきません。
本来なら、ストレージには武器や治療薬をめいっぱい入れておくべきですが──、
「あー、お茶が美味しい」
レンは武器弾薬を減らしてでも、魔法瓶やおやつを入れていました。
VRゲームにおいては、味覚すら擬似的に体験できるのです。それを使わない手はありません。いくら飲み食いしても、決して太りませんし。
聴いていたモーツァルトが終わると、レンは〝神崎エルザ〟のアルバムに交換しました。
人気急上昇中の、女性シンガー・ソングライターです。
クラシック音楽を思わせるメロディに、優しい歌詞の歌を澄み切った声で歌う、癒やし系のアーティスト。友人達の影響で、香蓮もすっかりファンになりました。
レンは荒れ果てた世界で、彼女の、軽やかで澄み切った歌声を楽しみました。
そのアルバムも終わり、爆発音はまるで聞こえず、さて今日の待ち伏せは空振りかもしれない。でも、十分ピクニックを楽しんだからそろそろ現実世界に帰ろうか──、
そんなことを思っていたレンの目の前に、人間が現れました。
レンの座る真っ正面、200メートルほど向こうの岩陰から、三人の男達が現れると、真っ直ぐレンの方へと歩いてくるではありませんか。相手が斜面を登ってきたので、それまでまったく気付きませんでした。
全員が例外なくマッチョで、鎧のようなプロテクター付きの服を着込み、それぞれ大型の光学銃をスリングで背負っています。
このゲームにおいて、フィールドで他のプレイヤーと遭遇すれば──、
よほどの知り合いの仲良しさんでなければ、始まるのは会話ではなく撃ち合いです。〝撃ち合いで語るのがGGOだ!〟などと言う人すらいます。
三人は、ずいずいと近づいてきます。
向こうは複数人で、なんだか強そう。こっちは一人で、おまけに対人戦闘の経験のない素人。
初めて大型のモンスターと対峙したとき以上の恐怖が、レンを包みました。そして同時に、頭の中で、疑問符が幾重にも炸裂しました。
走って逃げるべきなのか?
それとも回線を遮断して現実世界に逃げるべきなのか?
いえ、それより何より──、
どうして彼等はこっちに真っ直ぐ向かってくるのか? 銃を背負ったままで!
身動きも取れないまま、レンはずっと見ていました。やがて男達との距離が30メートルを切って、銃の性能を楽しげに語る彼等の声すら、風に乗って聞こえてきました。
レンは気付きました。〝気付いていない〟ことに。彼等が、自分の存在に、まったく気付いていないことに。
そのまま男達が近づいて、やがて10メートルを切って──、
彼等にとっては猛烈に不幸な、レンにとってはGGOのプレイスタイルを決定的に変える瞬間がやって来ました。
まず、レンの背後で、そして男達にとっては進む先で、小さな爆発が起きました。
狙っていた巨大ワニが、ようやく今頃、レンの手榴弾トラップに引っかかったのです。もちろん男達には、そんなことなど分かりません。突然の爆発で驚き慌てふためいた三人は、岩の向こうで舞い上がった砂に目を奪われて、すぐ目の前でレンが動き出したことに、まったく気がつきませんでした。
爆発は、レンの恐怖心を振り切ってしまいました。こうなると、もう全ての行動が自棄です。なるようになれ、です。
レンは膝の上にあったピンクの光学銃をひっつかむと、一番近い男に向けて連射しながら突っ込んでいきました。男の対光弾防御フィールドがレンの弾を減衰するのに構わず撃ちまくり、やがて何発かが、顔面を至近距離から捕らえました。そのときには、レンは他の二人の半径2メートル以内にいました。背の高い男達を見上げながら、レンは撃って撃って撃ちまくりました。
そして、わずか10秒ほどの狂乱が収まってみると、男達三人の姿は、もうそこにはありませんでした。全員、極めて近い距離からの銃撃によりヒットポイントを全部削られて、〝死亡〟していたのです。
砂漠には、興奮で心臓を跳ね上がらせている自分と、罠で怪我をして戦車の脇で痛がっている巨大ワニがいるだけでした。
どうしてあの三人が、わたしにまったく気付かなかったのか?
苦しんでいた巨大ワニを楽にしてあげた後、しばらく悩んだレンは、
「ひょっとして……」
一つの仮説を立てました。
レンはピンクの光学銃を自分のいた岩陰に置いて、少し離れてみました。仮説が正しかったことが、一目で分かりました。
見えないのです。さっき置いた自分の銃が。
GGO世界の、常に夕暮れのような赤みがかった空気の中では、レンのくすんだピンクは、茶色の岩土や砂と同化してしまい、とても見えにくくなるのです。さらに、ちょうど今みたいな光の加減では、まったく見えなくなるのです。
「これは、おもしろい……。使えるかも……」
レンは呟きました。
以後、レンは町中でピンクの服装を一切止めました。万が一の復讐を防ぐためです。
新しく買った、ありきたりな緑の戦闘服に、顔と全身を覆う、焦げ茶色のフード付きローブで過ごしました。まるで子供が毛布を被って幽霊遊びをしているようでしたが、全身ピンクよりは当然目立ちませんでした。
そして荒野や砂漠のフィールドに行くと、誰も見ていない場所で大好きなピンクに着替えて、待ち伏せを始めるのです。基本的には今まで通りモンスターを狩っていましたが、もし他のプレイヤーを見かけたら──、
容赦なく獲物を変更しました。
相手がこちらに来るのなら、身を潜めて待ちます。もうピクリとも動きません。
そして倒せる人数だと分かった場合(それはたいてい一人、多くても二人でしたが)、至近距離から飛び出して容赦なく撃ち倒しました。
ゲーム開始直後、〝できれば人間(の形をしているもの)は撃ちたくない〟──、そう思っていたことなど、すっかり忘れてしまいました。