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「スクワッド・ジャム……。どーしよ。チームで対人戦闘かあ……。気が進まないなあ……」
現実世界に戻ってきた香蓮は、嘆息混じりに呟いたあと、まずは、持っていたP90を洋服掛けに戻しました。
このエアガンは、先々週のとある日、大手ショッピングサイトで売っているのを偶然見つけたものです。可愛いP90、またはピーちゃんをリアルでも手元に置いておけると分かると、矢も楯もたまらずに注文してしまいました。
頼んだのはエアガンのP90と、〝あなたにはこんなのもお勧めです〟と画面に出た、小さなP90のキーホルダー。
翌日に届いたエアガンを見て、香蓮は愕然としました。
え? こんなに小さかったっけ? と。
そっか、エアガンだから、本物よりずっと小さく作ってあるのか──。
そう思ったのは、わずかの間でした。レンと香蓮では体格が違いすぎて、同じものを持ってもまったく違って感じるんだと気付いたときには、軽く目眩がしました。
それでもやっぱり気に入って、色は黒のままですが、こうして常に部屋に飾ってあるのです。姉と姪が来るときは、当然洋服ダンスの奥に隠しますが。
同時に買ったキーホルダーは、油性ペンでピンクに塗ってしまいました。こちらは、ピーちゃんそっくりになって、とてもいい出来でした。
いつも学校に持っていくカバンに取り付けようかと思いましたが──、
銃のキーホルダーをぶら下げている女子大生などいないと考え直して、部屋の壁に掛けています。
GGOは、楽しいです。本当に楽しいです。
だからこそ香蓮は、月に3000円という、この種のゲームとしてはかなり高い接続料を払ってでも、遊び続けています。いろいろありましたが、今はピトフーイという仲間もできました。
しかし、楽しいからこそ──、
現実に戻ってきたとき、香蓮はいつも気持ちが重くなるのです。
VRゲームは楽しい夢の世界ですが、ずっと夢の中にいるわけにはいきません。現実があってこその、〝ユメセカイ〟なのです。それが入れ替わってしまったら──、悪夢でしょう。
なんという皮肉なのかと、香蓮は思わずにはいられません。世知辛いリアルから離れたくて始めたVRゲームが楽しくて、リアルとの乖離を味わうことで辛くなってしまうとは。
どちらかを選ぶとすれば、当たり前ですがリアルを選ぶしかありません。
これから学業が忙しくなったら、就職活動を始めたら、社会人になったら、結婚したら、子供ができたら──、とうていVRゲームに逃げ込むことなど、できなくなるでしょう。
世の中には、リアルをうっちゃってVRゲームを楽しんでいる人もいるでしょうが、そういうのを『ネトゲ廃人』と呼ぶのです。よい子は決して真似をしてはいけません。
だから、夢世界との別れが辛くならないうちに、または〝別れられない〟という最悪の事態になる前に止めてしまう──、つまりVR世界とはすっぱり縁を切るという選択肢が、最近香蓮の頭の中で飛び交っています。長い目で見ればそれが一番いいのは、分かっています。
SJ参加は、正直まったく乗り気がしませんでした。
まず、ヴァーチャル・チビはGGOにログインするだけで味わえますし、戦闘も、モンスター相手だけで十分に楽しんでいます。
一時期ハマった対人戦闘の面白さは否定はしませんし、強い相手との勝負となると、少し心が躍るのも事実ですが──、だからといって積極的にやろうとは思いません。
それに、ピトフーイの紹介とはいえ、知らない男プレイヤーと組んでの大会参加なんて、まったく気が進みません。コンビとして上手く行動できる気がしません。参加する以上は優勝を目指すのでしょうが、自分が著しく足を引っ張りそうです。
もちろん、彼女の言った〝新しい自分への挑戦云々〟は、とてもよく分かります。
なにせ、そのために始めたVRゲームですから。今ここで逃げてどうすると。
しかし、SJを断ると同時に、ゲームもすっぱり止めるというのも、いい切っ掛けになるのではないか?
いやしかし、もうちょっと続けても、せめて学生のうちは、就職活動が始まる頃までは遊んでもいいのではないか? 親兄姉からも、もうちょっと趣味を持てと言われているので、まさにこれがそうではないか?
否定と肯定で行ったり来たり。悶々と考えては疲れるだけの数分間を過ごした香蓮は、
「はあ……」
ため息を一つついて、困ったときの友人頼み──、
VRゲームの先輩に、ALOを遊んでいる友人の美優に電話をかけてみることにしました。
『ういっす! コヒー!』
幸運にも、美優はこの世界にいました。
香蓮は、唯一この件を相談できる彼女に、悶々とした胸の内を淡々と吐露して、
「どうしたらいいと思う? VRゲームの先輩として、忌憚なき意見をよろしく」
『そんなん、楽しいと思えれば続ければいいじゃーん!』
返答は、バッサリでした。
『どっちか悩んでいるうちは、どっちを選択しても悔やむよ? 人間ってさ、選ばなかった方を過大評価するようにできているんだってさ。だったら、どっちを選んでもいい訳で、いっそコインを投げて決めてもいいと思う』
「なるほど……。じゃあ、投げて決めた結果が、なんかこう……、イヤだなあと思ったら? コインの神様の判断に、従えない気持ちがあったら?」
『それって、心の奥底では、出なかった方を欲してるってことでしょ? そっちを選ぶべきだよ。簡単じゃん』
「あ……。なるほど……」
『勝手な欲望を全開させてもらうと、私は、コヒーとゲームの話ができる今の方がいいなあ。うん、超わがままでごめん』
SJは断るにしても、GGOはもうちょっと続けるか。そう香蓮が思ったとき、
『あれ? でもさ、2月1日って、神崎エルザのライブ日じゃん。チケット取れたら行こうって話してなかった?』
「えっ!」
美優の言葉に慌てて手帳を開いた香蓮は、確かにそう書いてあるのを見ました。失念していました。
まだ一度もチケットが買えていない、神崎エルザのライブコンサート。いつも会場が広くないので、必ずプラチナチケットになるのです。ドーム球場とはいわないが、せめてもう少し大きなコンサートホールでやってくれよと思わずにはいられません。
美優は今、とっくに売り切れのチケットが、インターネットのオークションで、納得できる値段で手に入らないか行動中だったのです。
「本当だ、忘れてた、ごめん……。これ、チケット取れたらもちろん断るね。二人で行こうね。ウチに泊まりに来てね」
『うん。──でもさ、取れなかったらどうする? ぶっちゃけ、今までの経験から、取れる可能性はフィフティ・フィフティだよ?』
「それが分かるのは、いつだっけ?」
『火曜日の16時』
なんというタイミングでしょう。
香蓮は、そのコイントスに、SJ参加を賭けてみることにしました。ゲーム継続か否かではないのは、この際無視します。
「なら……、そこで教えて! チケット取れたら、ゲーム大会は断るから!」
1月の東京は、晴れの日ばかりが続きます。
北海道で生まれ育った香蓮には、寒くない冬よりも、まったく湿度がない冬の方が斬新でした。しかし、喉は痛くなるわ、肌は荒れるわ、それらを防ぐために毎日の加湿器の水くみが面倒だと、正直あまり好きではありません。
マンションから大学までは、2キロメートル未満。地下鉄なら一駅で、すぐ近くを通っているのですが、よほどの悪天候時以外、香蓮は歩きます。電車内で窓に映る自分を見るくらいなら、歩いた方がずっといいですし、健康にもいいです。
1月27日。火曜日の16時少し前。