大学が終わり、冬の早い夕暮れが迫る中、香蓮は大学の校内を歩いていました。
もちろん一人でなのは、言うまでもありません。
まわりには、これから飲み会だの、サークルだのと、楽しそうな声が飛んでいますが、香蓮には関係のない話です。別の世界の話です。
さっさと部屋に帰ろうと、ジーンズにスニーカー、薄手のコートを着た香蓮が、枝しか残っていない街路樹の下を歩いているときでした。
香蓮の進む先から、六人の女子高生達が歩いてくるのが見えました。お揃いの制服で、そして校内にいることで分かるとおり、同じ敷地内にある附属高校の生徒達です。
彼女達六人とすれ違うのは、もう珍しくなく、去年の夏から始まって、週に二、三回はあることでした。香蓮は、顔を覚えてしまいました。
手にしているとても大きなスポーツバッグから想像するに、何か運動部なのでしょう。大学の体育館は大きく、ときに高等部と合同練習が行われることがあります。
そのうちの一人は、綺麗な金髪に白い肌、青い瞳を持つ白人です。留学生か、在日外国人の子女か。どっちにせよ、この学校では珍しくありません。
彼女たちは皆小柄で──、いえ、その年にしては〝普通〟なのでしょうが、香蓮にとっては皆とても小さく、そして華奢で、何より可憐です。よく笑いよく喋り、楽しそうに歩いています。学校に部活に仲間にと、さわやかに、青春真っ最中という感じです。
もし、自分がこんな大女でなければ、あんな青春もあったのだろうか?
そう考えると、陰鬱な気分になるのは避けられません。もちろん、彼女達にはなんの落ち度もないのですが。
楽しそうな声と共にどんどん近づいてくる六人を見ながら、早く部屋に帰ろうと、香蓮は歩みを速くしました。もうすぐ、神崎エルザのライブチケットが手に入るか、美優からの連絡で分かるでしょう。
静かな一人と、賑やかな六人が、交わることなくすれ違って、
「ねえ、あの人──」
香蓮の耳に、六人のうちの誰かの声が届きました。
「背が高くて──」
その先は、もう聞きたくはありませんでした。
香蓮は顔を伏せて歩を速めると、その場から逃げ出しました。
同時に、一つの欲求が沸き起こりました。
撃ってやりたい。あの六人を、全員、撃ってやりたい。
右手が、普段体の前に提げているピーちゃんを探しましたが、空しく空を切りました。
香蓮が逃げるように部屋に帰ると、ドアを閉め、自動的に鍵が掛かった瞬間にスマートフォンが震えました。
美優から届いたメッセージは、
『ダメだった!』
たった一言でした。
香蓮はリビングのパソコンの前に立つと、起動するやいなや、GGOを立ち上げました。
ピトフーイへのメッセージは、
『暴れてやる!』
たった一言でした。
* * *
1月30日・金曜日の夜の20時過ぎ。
香蓮は、姉夫婦と姪との楽しい食事を終えると、その部屋を出ました。
四歳の姪は、一緒にアニメ映画のテレビ放送を見ようとせがんできましたが、
「ごめんねー。おねーちゃん、宿題があるんだ」
そう噓を言って、階数の高い姉一家の部屋から、自分の部屋がある下層へと移動をしました。
そして、現実世界からVR世界へと、次元を超えた移動をしました。
「やほ! レンちゃん! やっぱりあんたは、私が見込んだ通りの女だよ!」
待ち合わせの場所、中央都市であるSBCグロッケンの酒場で、レンはピトフーイにばんばんと両肩を叩かれました。長身のピトフーイに上から叩かれると、そうでなくても小さい身長が、さらに縮みそうです。
「痛い痛いピトさん! ──とりあえず来たけど……」
そう言って、薄暗くて狭い個室を見渡します。他には、誰もいません。
「あ、レンちゃんと組む相棒ね。ごめん、もうすぐ来るからちょっと待ってて。いつもの、一杯おごるわ」
「ありがとう。──どこかで買い物でも?」
レンはピトフーイの対面席に座りながら、何気なく聞きました。〝どこかで〟とは、GGO中のどこかの意味でした。
「いやー、まだリアル。用事頼んでおいたから」
同じように何気なく返ってきた返事に、レンはかなり驚かされました。
現実で用事を頼み、少し遅れることが分かるというのは、〝リアルでも親密なつきあいがある男〟ということでは? すると……、彼氏? 恋人? 旦那? 息子や父親という可能性も?
驚きを顔に出さないよう、思ったことを口に出さないようにしながら、レンはテーブルの中央から上がってきたアイスティーを手前に引き寄せて、ストローを口に運びました。
現実に比べれば感覚は希薄ですが、口の中に感じるのは冷たく甘いアイスティーです。しかも幾ら飲んでも太らないし、トイレに行く必要もありません。
熱帯魚のようなケバケバしい色のサイダーをガブガブと飲んでいたピトフーイが、
「SJのルールは読んだ? レンちゃんの性格なら、隅から隅まで読んでいそうだけど念のために確認するね」
性格が読まれているなあと思いながら、レンは肯定して返しました。
参加手続きがされていたので、運営団体であるザスカーから、ルールを書いたメッセージが届いていました。レンは流し読みではなく、きっちりと読破していました。
SJのルールは、基本的には個人バトルロイヤルであるBoBのそれに準拠します。そして、何カ所か、そして重要な違いがあります。
同じ点としては、要約すると──、
『参加者(チーム)が一斉に、他者(他チーム)からそれぞれ1000メートル以上離れた場所に転送されて試合開始。最後まで生き残った者(チーム)が優勝』
『舞台は特設フィールド。どんな様子かは始めるまで分からないが、いろいろな地形が混じり合った場所になる。有利不利な地形はあるが、転送は完全にランダムなので、運しだい』
『ゲーム中にそのキャラクターが所持できる武器なら、何を使ってもいい。つまり、銃だけでなく、爆弾やナイフなども可能。フィールドに点在する乗り物も使える』
『通常なら死体は砕けて消滅するが、ゲーム中は【Dead】のタグと共に残る』
『通常なら死亡後《ランダム・ドロップ》と呼ばれるアイテムの落下があり、仲間が拾ってくれないと高価な銃であっても永遠に失うことになるが、大会中はそれがない』
『一方的に逃げて引きこもる者(チーム)を出さないために、《サテライト・スキャン》が行われる。これは人工衛星からの探査という設定で、当日参加者が持たされる携帯端末に、相手の位置が定期的に、短い間だけ表示される』
「ここまでで、何か質問は?」
空中に出したルール画面を指しながらピトフーイが聞いて、レンが答えます。
「大丈夫。サテライト・スキャン端末の使い方がちょっと不安だけど」
「そんなに難しくないから、スマホが使えれば大丈夫よ。さて、重要な、SJならではのルールだけど──」
違う点として、まずはなんと言っても、参加人数。
『個人参加は認めず、最低二人から最大六人までのチーム』
『仲間への攻撃、つまり誤射、誤爆も通常通りのダメージを与える』
『BoBでは禁止されていた通信アイテムが、チーム内でのみ使用可能。当然、外部や死んだプレイヤーとの連絡は不可能』
ピトフーイは自分の左耳に指を当てて、
「常時通話の通信アイテム持たせるから。前に私と使ったヤツね」
「了解」
レンは頷きました。
常時通話とは、〝喋る〟と〝聞く〟が一緒にできる、要は普通の電話のような通信機です。通常の無線機は、喋るときだけボタンを押して、一方通行のやりとりしかできないのです。