エムの〝殺人術〟レクチャーは続きます。
「他には、相手が銃を向けてきたら、その上腕の内側を下からアッパーカットの要領で切り裂くんだ。ここもダメージが大きいし、痛みと痺れで銃を落とすかもしれない」
VRゲームにおいて、殴られたり切られたり魔法を食らったり撃たれたり、果てはモンスターに嚙まれたり、とにかく〝ダメージを食らう〟と痛みを感じます。
どれくらいの痛み──、というか〝痛みをシミュレートした感覚〟をプレイヤーに感じさせるかはゲームによりけりですが、GGOのそれは、かなり大きい方に属します。
撃たれたときの感覚は、〝ツボを押されたとき〟のそれに近いと言われています。
指圧などで痛いツボを押されたとき、その周囲がずーんと痺れて近くの力が抜けますが、あの感覚です。指圧が終われば痛みはすぐに和らぎ、また皮膚に怪我など残らないのもまた、よく似ています。
腕や手などの被弾は特にその痛みを感じやすく、その際に持っている物を落とすことはよくあります。
「相手が銃を落としても、それを拾う必要はない。たたみかけるように腿の内側や腕を狙って切り付けろ。銃だけで戦ってきた人間は、白兵戦には思いの外もろい」
エムのレクチャーはまだまだ続きます。淡々と言われるのが、かなり怖いです。
「もし、気付いていない相手を後ろから襲えるのなら、背を低くしたままブーツの少し上のアキレス腱を横殴りに狙え。そして相手が倒れても、腹部や胸は防御用のプレートが入っているので刃はまず通らない。その場合、まず狙うべきは首だ。首筋をなるべく長く切り裂け。刃で首を撫でつつ半周する感じだ」
「…………。はあ……」
レンは生返事を返しつつ、
エムさん何者!
そう思っていました。
やたらに詳しすぎます。ゲーム内の知識であることを、切に願うばかりです。
「顔を狙う場合は目だ。人間の骨は意外と頑丈だから、突き立てても簡単に刃は通らない。例外が眼窩だ。目を刺せばそのまま脳までダメージを与えられる。GGOで、ナイフ戦闘で一撃即死を狙えるのは、おそらく首とここだけだ」
うげえと思いながら、レンは講師の言うことを聞いて頭に入れてしまいました。根が真面目ですと、こういうときは損をします。普通の女子大生が知らなくていい知識が、だいぶ身につきました。
「以上だ」
結局レンは、エムにナイフを受け取ってもらえず、仕方なくそのまま腰の後ろに装備しました。ゲーム内なので、ウィンドウ画面で操作すれば、それで綺麗にベルトに装着されます。
レンは、P90を左肩にスリングで提げて、右手をナイフに伸ばしました。
親指で押すと、よくできたストラップが音もなく外れて、ナイフはするりと抜けました。逆手に持ったまま、目の前で軽く振ってみました。それほど重くは感じませんでした。
レンは敏捷性の高いキャラクターですから、本気を出してこれを振り回せば、かなり速く切り付けることができるでしょう。
「よし」
エムが満足げに短く言いましたが──、
これを使うことは、絶対にないだろうなあと、レンはナイフを鞘に戻しながら思いました。
残り時間が3分を切って、エムの豪快な身支度も終了しました。
先日と同じで、上下は毒々しい緑色の迷彩服。頭にはブッシュハットですが、今日のそれには短冊状の迷彩布が幾重にもぶら下がっています。一番目立つ頭のシルエットをぼかすための偽装でした。
上半身には、分厚い防弾プレート入りの、マガジンポーチをたくさん付けた装備ベスト。今日は脇腹、というよりほとんど背中の位置に、プラズマ・グレネードがぶら下がっています。
このプラズマ・グレネードですが、火薬で炸裂し破片をまき散らす普通の手榴弾に比べて、威力がずっと強力です。
爆発すると、直径4メートルほどの球状に青白いエネルギーの奔流が広がり、その中にあるものは、よほどの重量物以外は吹っ飛ばされてしまいます。
人間がその効果範囲内にいたら、防御力にもよりますが、体が六~八割以上入っていれば即死。それ以下なら、量に応じた大ダメージです。
威力の割には軽量安価なので、GGO世界では人気の攻撃アイテムです。掩蔽物を挟んだ近距離の対人戦闘だと、双方これの全力投げ合いという、過激な雪合戦の様相を呈することもあります。
エムの背中には、何が入っているのか相変わらず分からない、大きく膨らんだバックパック。
右腿にはHK45が入ったホルスター。左腿には、M14・EBRとHK45のマガジンを入れたポーチ。
巨体がフル装備をして体積を膨らませ、大きな銃であるM14・EBRを持つと、まるでSF映画のロボットのようです。
どうせなら肩にわたしを乗せてくれたら移動が楽そう。
レンはそんなことを思いましたが、言うのは止めておきました。
待機時間の分数を示す数字は、すでにゼロです。
秒数だけが、43、42、41、40、39──、容赦なく減っていきます。
「よし……。やろうか」
エムの落ち着いた声が、直に、そして通信アイテム越しに左耳にも届きました。これからずっと、ゲーム終了までこのスイッチは切りません。
「りょーかい!」
レンはP90の装塡ハンドルを引いて離して、乾いた金属音と共に、1発目を薬室に送り込みました。
エムもM14・EBRの装塡ハンドルを引いて、P90のそれより遙かに重厚な金属音を響かせました。
この装塡音ほど、レンの戦闘意欲をかき立てる音はありません。
高揚感と共に、カウントダウンが進み──、
全てがゼロになった瞬間、二人は光に包まれました。
ホワイトアウトしたレンの視界が、色と形を取り戻しました。
どこだろう?
真っ先に確認すべきは、自分が今、どんな地形にいるかです。
レンが自分の居場所を視覚で確認するのと、
「森だ。よくないな」
エムの声が聞こえるのが同時でした。
「森だあ……」
残念そうに呟いたレンがいるのは、森林地帯でした。
真っ直ぐで背の高い木々が伸びる森の中です。鬱蒼と茂る日本の森ではなく、以前テレビで見た北米大陸のそれを思い起こさせます。
3メートルはありそうな太い幹が重なるので視界が悪く、100メートル先がもう見えません。地面は湿った土に膝の高さまでシダ類が生えて、一方に向けて若干の傾斜があります。
レンが見上げると、木々の枝は黒く屋根になっていて、いつも赤い空は、隙間にかすかにしか見えませんでした。
エムが、〝よくない〟と言った理由を、レンはすぐに理解しました。
「二つあるんでしょ? エムさん。一つは、エムさんの狙撃が生かせない。もう一つは、わたしが目立つ」
これだけ太い木々が並んでいると、敵との交戦距離は、長くても数十メートルになるでしょう。レンのP90には有利な間合いですが、サポートのエムには嫌な距離です。
そのレンも、ピンク迷彩が効果を発揮するのは、いつも赤い太陽が照らす砂漠や荒野です。薄暗いだけのここでは、とても不利でした。
緑系の迷彩のエムは、逆に不気味なほど溶け込んでいました。動かないでいれば、森と一体化しそうです。