「そうだ。ここは不利だ」
エムは答えながら左腕を後ろに回して、バックパックのサイドポケットに手を突っ込みました。何を取り出すのかと思ったら、二人の間に出現したのは、大きなポンチョでした。エムのと同じ毒々しい迷彩柄でした。
エムはそれを左手で摑むと、ばさっと、レンに放り投げました。
「森を抜けるまで、被っているんだ。いざというときは捨てていい。P90は、ポンチョ越しに撃ってしまって構わない」
なるほど、絶対にピンクよりは目立ちません。エムの〝ひみつ道具〟一つ判明と、レンは思いました。この様子では、いろいろな地形に合わせた迷彩ポンチョを持っていそうです。
レンは、頭からポンチョを被りました。
両手も武器も隠れますが、敵に遭遇したらこのポンチョを貫きながら撃てばいいのです。リアルの戦闘ならば、そんなことはなかなか難しいでしょうが、GGOには弾の行く先を教えてくれるバレット・サークルがあります。
きっちりと照準器を覗かなくても、引き金に指をかけるだけでサークルは出現しますから、近距離なら無理に構えなくてもいいのです。もちろん、精密射撃の場合はしっかり構えないと、銃が暴れてしまいサークルも暴れます。
この、〝近距離射撃の場合、構えずともサークルを敵に素早く合わせて撃てばいい〟というのはGGOならではの射撃テクニックで、レンが最も得意とする戦い方です。
同時に、GGOでドット・サイト(等倍のレンズに着弾点を示す赤色がつく照準器)や、レーザー・サイト(レーザーを照射して狙いを合わせる)がまったく流行らない理由の一つでもあります。ドットやレーザーがサークルとダブってしまい、逆に狙いにくくなるからです。
「地図を見たあと、移動する」
そんなエムの言葉。この場所は不利なので、さっさと移動してしまおうという作戦でしょう。
「分かった! どっちへ?」
ポンチョが長すぎて全身を覆い、緑のお化けみたいになったレンが聞きました。エムはサテライト・スキャン端末を操作していて、二人の目の前の空間に、地図映像を出しました。二人同時に見るのなら、こちらの方が楽です。
映像に出たのは、北が上になった地図。
カラーであり、地形が立体映像で再現されている、とても分かりやすいものです。当然、スマートフォンやタブレット端末のように、拡大縮小回転が自由自在。
レンは、自分がこれから戦う舞台を、その地理を、初めて確認しました。
地図の左右、つまり東西の端を深い谷が走り、上を山、下を崖に囲まれた地形でした。
東西の端の谷は、フィールドの移動可能区域を区切るための地形で、他のフィールドにもよくあります。高さ100メートルを超える断崖絶壁で、落ちたら死にます。
それは都合がよすぎるだろうとプレイヤーがツッコむことを考えてか、〝巨大な宇宙船が不時着したときに、船体下部の丈夫な安定翼によってできた爪痕である〟という、実にもっともらしい設定がなされています。
地図の北側は急に険しくなる山。南側は地殻がズレたのではと思わせるほどの高い崖。もちろん、両方とも、どんなに努力しても、どんなスキルを使っても通行不可能なエリアになっています。
移動できる区域の上下幅は、BoBと同じく約10キロ。等間隔に、縦横のグリッド線が十一本走っているので、一つの正方形の幅が1キロになります。
移動可能なエリアを大まかに分けると──、
南の方(下3キロ幅)は、岩と荒野と砂漠が点在する、開けたエリア。ところどころに、身を隠せる岩山や遺跡なども見えます。
東側中央部には、大きな都市の廃墟が広がります。太い通りや、まだ建っている高層ビルが描かれています。〝東側の谷に面しているけれど、宇宙船の不時着時にビルは大丈夫だったのか?〟という疑問はこの際は無視します。
地図中心部分は、低層家屋が並ぶ元居住区のようです。道や建物が細かく描かれていて、迷路のようです。青い色が広い範囲に見えますが、これはそのエリアが水没している証拠です。
近くには右上から左下に流れる川がありますから、ここから水が溢れているのでしょう。浅ければもちろん歩けますが、深くなっていくと〝泳ぐ〟という行動が必要になります。
この場合、銃などの重い装備を一度ストレージに戻さないと、よほど泳ぎが得意でない限りは沈んでしまいます。また、水中ではヒットポイントがじんわりと減っていくので、あまり通りたい場所ではありません。
北東は緑の森林地帯が広がっていて、自分のいる場所を示すマーカーが小さく光っていました。SJのルールブックに載っていました。最初の1分間だけは、自分の位置を知ることができる救済措置です。それ以後は、サテライト・スキャンまで待たねばなりません。
それを見るに、レン達は、ほとんどマップの右上に配置されたようです。ゲーム開始時には最低1キロは離れているというルールですから、自分達より北に、そして東に敵はいないことになります。
森の西側は、つまり北西エリアはなだらかな草原。見通しのいい、隠れる場所のないエリアです。
その下の西側は、円形をした、足場の悪い湿地です。そこには宇宙船らしき巨大構造物が、ほぼ垂直に地面に突き刺さっていました。これはビルと同じで、中に入って登れるはずです。沼地ができたのは、この宇宙船が激突したからでしょう。
10秒ほど地図を見たレンが顔を上げると、エムはそれからさらに15秒ほど地図を睨んでいました。微動だにせず、しかも今まで見たことのない真剣な表情だったので、レンは黙ったまま待ちました。まあ、それほど彼をよく知っている訳ではないのですが。
「よし」
エムはサテライト・スキャン端末のボタンを押して地図を消すと、小声で命令。
「とにかく、不利な森を出る。最初のスキャンには間に合わないだろうが、できるだけ都市部を使いたい。真南へ向かう。10メートル間隔でついてこい」
肉声はほとんど出していませんが、音量を自動調整してくれる通信アイテムのおかげで、とてもクリアに聞こえます。これなら、すぐ近くに敵がいてもまったく聞こえないはずなので、ハンドサイン、つまり身振りによる意思疎通は必要ありません。
「了解。ついてく」
レンが答えると、エムは即座に森の中を走り出しました。その行動に、迷いは一切ありません。南にある都市部に向かい、斜面を下っていきます。
まだ近くに敵はいないはずですが、エムは油断を見せず、見かけたらすぐに撃てるようにEBRを体の前に抱え、周囲を窺いながら走りました。
レンは、迷彩ポンチョに体をくるみながら、言われたとおり10メートルを開けて、後ろをついて行きました。接近しすぎないのは、万が一敵の待ち伏せにあった場合、フルオート連射やグレネードの爆発で全滅しないためです。
敏捷性の違いで、あまり速く走ると追い抜いてしまうので、〝もう少しゆっくり〟と自分に命令しながらレンは走りました。
目測で200メートルほど、暗い森の中を進んだとき──、
突然遠くから、小太鼓を叩くような音が聞こえました。
「止まれ。しゃがめ」
エムが鋭く言いながら足を止めて、スッと身を低くしました。こういうときの彼の反応は本当に速いです。レンもそれに倣って、やや慌てながら、10メートル後ろで屈みました。