ほうかごがかり 1
一話 ⑥
4
啓たちが唖然としていると、入口にいた惺が、困ったような様子で言いながら部屋の中へと入ってきた。
「先生……友好的にお願いしますと言ったじゃないですか」
「あのね、キミらとあんまり仲良くしても、僕にはいいことあんまりないんだよ」
はあ、と溜息をつき、がしがしと白髪の頭をかきむしる少年。そんな『先生』と呼ばれた彼は、惺から「ちゃんと自己紹介と説明をしてください」と促されると、仕方なさそうに、しかし頑なに背中は向けたまま、自己紹介した。
「はあ……えーと、僕は一応、ここの『顧問』ということになってる」
つい先ほど、惺が言っていた肩書きに付け加えて。
「名前は『太郎さん』。そう呼ばれてる。残念ながらここはトイレではないから『トイレの太郎さん』とは名乗れないし、相方らしい『花子さん』の方も、今現在はこの学校にはいないけどね」
宙でぐるりと輪を描く手振りで『この学校』を示しながら、話す少年。交えているのはおそらく冗談だが、明らかに本人が面白がらせようとして言っていないので、ただ反応に困るだけの台詞になっていた。
「そこの緒方くんは、『先生』とか呼んでるね」
「うん、僕はそう呼んでる」
「違うんだけどね。キミらと同じ生徒だ。いや、同じと言っていいかは怪しいけど。まあ、好きに呼べばいいよ」
自己紹介しているとは言い難い、そんな自己紹介。そのやる気のない、ひねくれた言い回しは、確かに啓たちの同年代よりも、くたびれて歳のいった、子供嫌いの学校の先生あたりが言いそうだった。
着ている服も、子供らしくない半纏。
これも啓が最初に老人だと思った印象に、明らかに影響していた。
ただ、その中に着ているのは、啓たちと同じ制服。しかし、この制服から感じるのも基本的にはレトロさで、まとめるとこの白髪の少年は、全体的に奇妙なほど古い人間の雰囲気をしているのだった。
「で、だ。僕の仕事の一つは、キミらに『説明』することなんだけど」
そんな彼は、言う。
そして、
「何の説明かというと――――
まず、キミらは『学校の七不思議』って、わかる?」
「………………」
その唐突な問いかけ。誰も、それに答えることはなかった。
ただ、普段の何でもない時に訊かれたのなら、ここに落ちたのは、ぽかん、といった様子の沈黙だっただろう。だが、今ここに落ちた沈黙は違った。もっと重苦しい、どちらかというと空気が凍るような、静まり返った静寂だったのだ。
「……まあ、わかんなくても、キミら、みんなもう見たよね?」
「………………」
そして、その反応に、少年は言った。
思わずそれとなく周りを見る。互いに。沈黙の答えがそこにあった。
ほぼ全員が、怯えや緊張に、顔を強張らせている。つまりはそういうことだ。啓は屋上で普通ではない赤い『何か』を見て、次に学校を囲む亡霊を見て、さらに異常な状態の校内を通ってここに来た。そんなところに『怪談』的なものを提示されれば、それらが結びついてしまうのは当然の帰結で――――そして全員が同じということ。みんなが同じようにそれぞれ途中で『何か』を見て、ここにいるということなのだ。
「……あのさ」
居並んでいる啓たちの中でひときわ背が高く、ひときわ整った顔立ちの少女が、緊張と警戒が露わな硬い表情で、睨むようにして言った。
「あれ、一体、何なの?」
「……」
背中を向けたままの彼は、それには答えなかった。もう、とっくに答えなど明らかだと言わんばかりだった。
彼は少しの沈黙の後で、また口を開く。
だが、それは彼女の言った質問への回答ではなく、元の説明の再開だった。
「……学校には、『七不思議』がある」
彼は言った。
「キミらがどんなのを見たのかは知らないけど、そのキミらが見た『モノ』がそれだ。あれがいったい何なのか、本当のところはわからない。実際、七つというわけでもなく、もっとたくさんいて――――毎年、そのうちの七つが目を覚まして、六年生か五年生から、それを世話する『かかり』が七人選ばれる」
そこまで少年が説明した時、後ろに控えていた惺が前に進み出て、チョークを取って、黒板に文字を書いた。
『ほうかごがかり』
その光景に、啓が覚える既視感。
それから周りから息を呑む気配。この得体の知れない係の名前に見覚えがあるのは、どうやら啓だけではないようで、全員が黒板の文字を凝視していた。そして、そこに続けられたのは啓にとって、それからおそらく他の子にとってもやはり、明らかにそれぞれ身に覚えのある説明だった。
「『かかり』に選ばれた子は、毎週金曜日の、夜十二時十二分十二秒に、この『ほうかご』に自動的に呼び出される」
彼は、言ったのだ。
「ここに来た時、キミらは最初に『何か』を見たろ。それが、キミらがそれぞれ、これから世話しなきゃいけないモノだ」
「………………!?」
皆の間の空気に、明らかな不安が広がった。
「あの『何か』は、誰が言い出したのかはもうわからないけど、こう呼ばれてる。『学校の七不思議』をもじって、名前のない無名の不思議と書いて、『ナナフシギ』」
そして惺が、それを黒板に書く。
『無名不思議』
みんながそれを凝視した。白髪の少年は、
「僕が考えたんじゃないから。センスについては文句は聞かないよ」
と断りを入れると、仕切り直すように、かつん、と持っていたペンで机を叩いて音、それから改めて、話をまとめて言った。
「……さて、というわけで、キミらは全員、この『ほうかご』と呼ばれている異次元の学校に呼び出されて、『無名不思議』の管理と記録をする世話係、『ほうかごがかり』になったというわけだ」
「…………」
それは啓の置かれている、この異常な状況を説明する、完全な説明だった。
だが、それが正しいのか、納得できるかは、それぞれ全く別の話だ。啓の中の警戒心は、もちろん納得などしていない。だが、だからといって、この異常すぎる状況に、他の納得できる説明をしろと言われても、それも全くできないのは確かだった。
「わけがわからないよね?」
そして、そんな啓の内心を読み取ったように、少年は言う。
「納得もできないよね。どう?」
「……」
挑発するように言う。それを聞いた啓は、たった一人、みんなの中から抜け出して、無言で前に進み出た。
「!」
周りの子たちが、ぎょっとした空気になって、啓を見た。
その驚きと、信じられないといった様子と、それから少しの期待の視線を受けながら、啓は黙って彼へと歩み寄った。
もちろん納得できない。これが夢なのではないかという意識も、まだどこかで少しある。
だが何より、彼が話をしている間、全くこちらを向かないのが納得いかなかった。それは啓を散々理不尽な目に遭わせて、その様子を見て大笑いし、しかし一般的には悪いことをしているのは理解はしているので啓とは目を合わせずに、へらへらしていた自分の父親の姿が想起されて――――せめてこの少年がどんな顔をしてそんなことを言っているのか、確かめてやらなければ気が済まなかったのだ。
「…………」
だから、座っている彼の、すぐ側に立った。
そうして、彼を見下ろした。
彼が、啓を見上げた。
啓は見た。初めて正面から見る彼の顔。それと彼の座っている机。そこに積まれた無数の本と書き付け。それから机の下の、暗がりに置かれた彼の足と――――
その足首をつかんでいる、暗がりから伸びた誰のものでもない白い手を見た。