ほうかごがかり 2

五話 ⑧

 昼休みに、啓に向かってそう言って、イルマは頭を下げた。

 啓を探して、惺といっしょに廊下にいるのを見つけ、そう頼んだ。それをしている自分への羞恥と悔しさで、パーカーの裾を握りしめながら。


「……はあ?」


 啓は、イルマの後頭部の、てるてる坊主のフードと目が合ったまま、固まっていた。

 横で聞いていた惺の気配が、さっ、と露骨なくらい変わったが、頭は上げない。自分には『ムラサキカガミ』に立ち向かう勇気もないし、完全な『記録』を作る能力もない。だからこうするしかなかったのだ。

 このままでは自分は死ぬ。

 あの真絢でさえ助からないのだから、自分が助かるわけがないと、イルマは現実を完全に見切っていた。

 自分には、絶対にできない。だったら、誰かにやってもらうしかない。

 そして、今の『かかり』で『記録』を成功させているのは、啓だけだ。

 だからイルマはお願いする。自分が助かるために。


「お願い、何でもするから……!」

「ちょっと待って」


 惺が、即座に口を挟んだ。いつもは不自然なくらい落ち着いた態度をしている惺が、この時は取り繕った仮面に綻びができたかのように、言葉が強かった。


「瀬戸さん、それはダメだ。昨日、啓にも言ったばかりなんだけど、他の『無名不思議』を『記録』すると、記録したぶんだけ、その『無名不思議』をその人が引き受けることになってしまうんだ」

「……!?」

「いま瀬戸さんが言ってることは、単純に『記録』の作業をお願いしてるんじゃなくて、『身代わりになってくれ』って言ってるようなものだよ。完全に命にかかわることだ。いくらなんでもそれは、『お願い』でやり取りしていい範囲を超えてると思う」


 たしなめる惺。それを聞いて、さすがにイルマも動揺したが、だからといって諦めるわけにもいかなかった。それは自分の命を諦めることだった。

 それができるなら、最初からこんなお願いはしない。

 とはいえ何も言えず、頭を下げたまま、イルマは沈黙する。


「…………っ」


 もう言ってしまったのだ。いまさら止められない。いまさら引っ込められない。自分のお願いが、最初に思っていたよりもはるかに重くて悪質なものだったと知ってしまったが、それでも止めるわけにはいかなかった。

 これは、命乞いをしているのだ。

 これを聞き入れられなければ死ぬのだ。そんな命乞いをしているのに、他のものに配慮なんてできるはずがなかった。

 そんな余裕なんかない。

 だがもちろん自分でも、このお願いが受け入れられる可能性が絶望的に低いだろうということはすでに理解していた。

 理解しながらも、イルマは意地で、頭を下げ続けた。

 ここで秘密の話でもしていたのか、あまり人のいない廊下に、嫌な沈黙が落ちた。



「………………」

「………………」



 ずっと頭を下げているので見えてはいないが、好意的でない視線を惺から向けられていることは、後頭部にありありと感じた。

 もう無駄だと分かっている時間が、ただ無限に過ぎる。でも、これしかないから、他に何もないから、自分でも絶対に実を結ばないと分かっているこの行為を、ただ卑怯で、みじめなだけの行為を、時間を、イルマは続ける。

 だが、不意に。



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