ほうかごがかり 2
五話 ⑨
啓があっさりとそう答えた時、イルマは自分でお願いしておきながら、その答えがどういう意味なのか、一瞬頭に入らなかった。
「…………えっ」
「啓!?」
驚いた声を上げるイルマと惺。だが混乱を極める二人をよそに、啓は淡々とした表情で「なんで自分で言ったのに驚いてるんだよ」と、逆に不思議そうに言った。
「啓、僕は反対だ」
厳しい表情で、惺が言った。
啓は答えた。
「だろうね。知ってる。でも、やるよ。そのうち試したいと思ってたこともあるから、ちょうどいい」
「!」
その答えにあからさまにショックを受ける惺に、啓は小さく笑った。
「なんて顔してんだよ。一応、ちゃんと考えたんだ」
「啓……」
「僕にも手伝わせてくれよ。惺の人助け。惺だけでやるより、僕が手伝った方が、生き残る可能性はだいぶ高くなるだろ?」
「…………っ」
その言葉をすることが否定できず、惺は口を引き結ぶ。啓は対照的な、どこか達観したような、淡々とした笑顔で、そんな啓の腕のあたりを、ぽんと叩いた。
そんな、どことなくイルマを蚊帳の外にしたようなやり取りで、イルマの望むように話は決まった。望外の結果だが、イルマは戸惑うばかりだった。惺が、それでも諦めきれないというように顔を上げる。
その目が救いの蜘蛛の糸を探すように、イルマへと向いた。
そしてイルマと目が合った惺は、強い調子で言った。
「……せ、瀬戸さん、君は、それでいいのか!?」
「!」
イルマは思わず身を縮めた。
もちろんいいに決まっていた。望んだ結果だ。だがそんなことを面と向かって言うわけにもいかず、口をつぐむしかなかった。
「後で後悔しないか? こんな、人を……」
言い募る惺。
「人を殺すお願いをして、いいのか? 死んでくれ、って言ってるんだぞ……!」
「…………!」
顔を直視できず、目を逸らすイルマ。だがそんな惺を、啓が止めた。
「やめろよ、惺」
「啓! でも……!」
「死ぬのが怖いのは当たり前だよ、惺」
「!」
反論しようとした惺に、啓は言った。その言葉に、惺は驚いたように、目を見開いた。
「当たり前だろ。死ぬのが怖いのも、自分の命が危険になったら、つい他人よりも自分を優
先するだろ。生き物なら」
「啓……」
「みんなが惺みたいに、人のために行動できるわけじゃない。だいたい瀬戸さんは年下だ、まだ子供だ。まだ五年なんだぞ」
「っ!」
それを聞いて、塞ぐように自分の口に手を当てる惺。自分の言ったことに初めて気がついたような、衝撃を受けた顔をしていた。
「啓、僕は……僕は…………」
「惺は、そういう弱い奴を守りたいんだろ?」
絞り出すようにしてつぶやいた惺を、啓は淡々と諌めた。
「違う、啓……僕は、君も……」
「わかってる」
そして何か言おうとする惺に、最後に言い聞かせるようにそう言って、もう一度だけ惺の軽く腕を叩いた。
「わかってるよ。そろそろ行こう。時間だ」
「……」
気がつけば、次の授業の時間が近づいていた。
啓はイルマにも「じゃあ」と言うと、自分の教室の方へと向けて、立ち去って行った。
「………………」
惺は、啓が立ち去った後も、しばらく下を向いて、黙っていた。
そして、やがて小さく、寂しそうに、つぶやいた。
「――――啓は……僕から、何も受け取らないんだな。命でさえ」
ぽつりと。
それから不意に、顔を上げる。その時にはもう、惺の顔は今まで見ていたものと同じ、穏やかなものに変わっていた。
あまりにも自然だが、作られたものだと、今なら分かる表情。
そして惺はイルマを見る。思わずイルマは身構える。
「っ……」
「瀬戸さんも、そろそろ教室に戻った方がいいよ」
だが惺は、一言の非難も、叱責もなく、ただそう言った。
そして戸惑うイルマを残して、「じゃあね」と笑顔で手を振って見せて、自分も教室の方へと戻って行った。
「………………」
イルマは二人の去っていた方を見たまま、しばらく呆然と立っていた。
自分が原因で起こった言い争いと、奇妙なその結末と、それから啓と惺という二人の人間の不思議な在り方に困惑していた。
自分の願いが叶えられたことを喜ぶ余裕もなかった。
イルマはただ戸惑って、しばらくそこに、立ち尽くしていた。