ほうかごがかり 3

八話 ③


「っ……!」


 通過。軽い眩暈めまい

 背後でふすまが消え、着ていたパジャマが、昔の制服へと変わった。

 周囲の景色が、空気のにおいが、完全に『ほうかご』の学校に。それを見回すと、けい絵具えのぐよごれた重たいはんのリュックサックとイーゼルを背負い直し、目の前にある屋上の出入口に背を向けて、階段へと向かっていった。

 足早に。階下へ向けて。

 みんなの集まる、『開かずの間』に向けて。

 確かめなければならなかった。せいがどうなっているのか。『ほうかご』に来ているのか。

 死んだという話は確かなのか。そしてもし本当にせいが死んでしまったのだとしたら、その原因は『無名不思議』なのか、それともぐうぜんの、全くちがう理由なのか。


「……」


 その手がかりを求めて、けいしんけんな表情で、『開かずの間』へ向かう。

 チャイムとノイズと『ほうかご』の空気にさらされたことで、けいは逆に、急速に、冷静さをもどしていた。

 それは『無名不思議』に――――命とたましいと存在にかかわる危険に対応するための、非日常の冷静さ。

 これまでの経験によって身についた、否、身につける羽目になった、じんじようのものではないマインドセット。それが『ほうかご』がやって来たことによって、いつものように意識の中に顔を出し、この『無名不思議』とは別の種類の『危機』に対しても働いて、ぼうぜんとしていたけいを我に返らせたのだった。

 けいは、『開かずの間』を目指して歩く。

 ぐに。しかし遠回りに。いつも通りに。最初のころせいから受けた助言に従った、そこかしこにある名無しの『無名不思議』がいる場所をけ、かいする、いつもそうしているルートを通って。

 このせいで、いつも『開かずの間』に集まるのは、けいが最後だ。

 ただでさえ、けいが担当している屋上は『開かずの間』から一番遠い。その事実をいつも以上にもどかしく思いながら、けいあせりときんちようろうによって、少し上がった息で、早足で階段を下り、ろうを進んだ。

 明かりがついているのに、ひどくうすぐらろうを。

 そんなろうよりもさらにうすぐらい階段を。そんな通路に並んでいる、ガラス一枚向こう側にすみを満たしているかのように真っ黒な、外を映した窓の横を。

 校舎に満ちている、どこかほこりっぽいにおいのする冷え冷えとした空気の中を。

 そんな空気の中に、てんじようのスピーカーが絶えず垂れ流している、細かい砂を流すような、ノイズの中を。

 そんな、いつもの『ほうかご』の中を。

 いつものように。しかし、いつもとは全くちがう精神状態で。

 そして――――そうして歩いていた、いつものろうで。この日のけいは、もくげきした。


「……んっ?」


 階段を下り、ろうに出た、その時。

 うすぐらく続いているろうの向こうに一人、だれが、ぼんやりと立っているのが目に入ったのだ。


 ぽつんと一人。

 ひとかげ


 今までけいは、『ほうかご』にやってきてすぐの、『始まりの会』に向かうちゆうで、他の『かかり』の姿を見たことは一度もなかった。

 それは当然のことだった。『開かずの間』という、他の人間も集まっている安全な目的地があるというのに、そこへぐ向かわずに、わざわざこわくて危険な『ほうかご』を一人でうろつきたい者などだれもいない。

 いない。つうは。

 つまりこれは、


だれだ……?」


 けいはいぶかしくまゆを寄せ、そして何かあったのだろうかと目をこらした。

 遠くに。うすくらがりに。目をこらして、ようやく見えた。制服を着ていた。けいの見知った人間だった。


 


 ろうの向こうに、一人で立っていた。

 けいまゆが、さらに寄る。


「……なにしてんだ?」


 けいは近づいてゆく。けいには気がついていない様子で、ほぼ背中を向けて、かべともてんじようともつかないどこか別の方向を向いて、心ここにあらずといったふうに、みように心もとないぜいろうに立っていた。



「――――――」



 ぼんやりと、立っていた。


「……?」


 どうした?

 けいしんに思い、そのまま近づいた。

 特に身をかくしたりはしていない。しかし反応がない。

 近づいた。

 そして、


「おい、どうした?」


 声をかけた。

 ようやく



 顔面に、



 中央からずれて空いた大きな穴。いたそうぼうは、口の一部だけを残して、ごっそりと

 その顔と目が合う。

 眼球も何もかもが失われた顔と。


「っ!?」


 押し殺した悲鳴を上げた。体にとりはだがった。けいはすぐさまその場で背を向けて、逆方向に走り出した。目の前の『』からした。


「――――――――――っ!!」


 全力で。

 いつしゆんの判断で。

 そんな背後ですぐさま、こちらを追ってくる足音が聞こえた。


 ぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱた…………!


 つうの人間の走り方ではない、意思を感じない、みようにおぼつかない足取りを、無理やり機械的にてたようないびつな足音。それが明らかに追いすがってきて、両手をばしてくる気配がして、つかまえようとしてくる気配がして、ぶわ、とかんと共に全身からあせした。

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