ぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱた――――――!
「――――――――――――――――!!」
怖い。怖い。全力で逃げた。
今まで生まれてきて一度も、こんなに走ったことはないくらいの必死さで逃げた。重さで振れるリュックサック。肩に食いこむイーゼルの痛み。歯を食いしばってそれらを無視して、必死に走った。今まで『ほうかご』で見たことがない、留希のふりをしたその何らかの異形の存在から、逃げた。
なんだ!?
なんだ、これ!?
全力で走りながら、心の中で悲鳴のように叫んだ。
いきなり現れた『それ』。今まで、安全だった場所に現れた『それ』。よく見知った人間を装った『それ』。人間の皮を被った、明らかな異形の『それ』。
顔面に大穴が空いた『それ』が、追いかけてくる。手を伸ばしてくる。
必死で廊下を逃げるが、重い荷物が邪魔をする。背中と肩の重荷が音を立て、体の重心を振り回し、足を遅くし体力を奪う。
そして、
ぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱたぱた――――――!
激しく動く壊れかけた玩具のような足音が、背中に迫る。
最初あった距離が徐々に縮み、音が大きくなる。そして手が伸ばされた。
「――――――――――!!」
逃げて逃げて、しかし玄関あたりでとうとうリュックサックに手がかかった。後ろに重みがかかって、引っ張られた。捕まった。がくん、と上体が、大きくのけぞった。
「っ!!」
瞬間、啓は荷物を諦め、イーゼルとリュックサックをかなぐり捨てた。引っ張った重い荷物を振り解かれ、音を立ててイーゼルが落ちて倒れかかり、それらに巻き込まれて足をすくわれた異形の存在が、荷物と共に激しく転倒する音が聞こえた。
「――――――!!」
それを確認することなく、啓は玄関から、外に走って飛び出す。
そして追ってくる異形の視界から逃れるように曲がって校舎の壁沿いに走り、さらに角を曲がって視線を切り、その直後にすぐそこにあった低木の植え込みを見て――――啓は追ってきた異形がこちらを認識するよりも前に、転がり込むようにそこに飛び込んで、口に手を当てて息を殺し、体を低くして身を潜めた。
直後、
ぱたぱたぱたぱたぱた……!
追ってくる。
足音が。足が。
異形が走ってきた。留希の姿をした、顔面に穴が空いた異形が。
それは両手を前に伸ばしたまま、まるで前が見えていないかのような、目隠し鬼の鬼がそうするような体勢で走ってきた。だが確かに周囲を認識していて、今にも転びそうでありながら異様に素早い足取りで、若干怪しいものの曲がるべきところでは曲がり、啓の隠れる植え込みの目の前まで迫ってきて――――――そして植え込みの中に隠れている啓の存在に気づくことなく、目の前を横切って、そのまま行ってしまった。
ぱたぱたぱた……
足音が、小さくなっていった。
それを聞きながら、啓はそれでも身を潜め続ける。走ってきたせいで上がった息を、必死に手で押さえたまま。
ふーっ……ふーっ……!
そして、じっと、じっと待って、しばらくして。
足音も、人影も戻ってこないのを確かめてから、啓はそーっと身を起こし、枝や葉っぱが体に触れる感触と音に怯えながら、植え込みから外に出た。
「…………」
立ち上がって、見まわした。
誰もいない。耳を澄ますが、音も聞こえない。だが警戒は解かない。
啓が逃げて隠れて、そしていま立っている場所は、真っ黒な空の下、こぢんまりと存在している校舎裏だった。
そして。
「……?」
啓はそこに見慣れないものを見かけた。それはこの『ほうかご』では見たことがない、校舎の壁際の地面に放置されたかのように落ちている、明るい水色をしたランドセルと、学校で使うものが詰め込まれて膨らんだ、布製の手さげ袋だった。
今日の昼にたくさん見た、学期末の下校の荷物に見えた。
みんなが持っていた荷物。啓自身も、似たようなものを持って帰った荷物。
落とし物のようだ。何でこんな所に? 不審に思いながら見る。見る限り、この色のランドセルは女の子がよく使っているもので、手さげ袋も同じく、シンプルながらも可愛らしいデザインをしている。
手さげ袋に、名前が書いてあるのが見えた。
小嶋留希
それを確認した啓は、息を吞んだ。
そしてもう一度、周りを見回して、耳を澄ませて。
「…………」
そうして周囲に誰もおらず、誰も近づいて来ていないことを確認すると、そっとランドセルと手さげ袋に手を伸ばして――――それらをつかみ、そのまま周囲を警戒しながら、そっとその場を離れて、静かに校舎裏から立ち去っていった。