ほうかごがかり 3

八話 ⑥

 せいのためにそうしようと。せいのために『かかり』をして、それで死んでもいいと、それで構わないと本気で思っていた。

 直接、せいのために死ぬなら、なおいと。

 そうでなくても、せいが実現したいことのために仕事をして、自分が先に死んで、そしてせいに後の全てを任せるつもりだったのだ。

 だがもう、それはかなわなくなった。

 逆になった。何かあれば、いつでもせいの代わりに自分が死ぬつもりだったのに。

 たぶん、その思いのせいで、こんなふうになることが、考えの外になっていたのだ。

 自分が代わりになると決めていたから、自分の見ていないところで、代わりになることもできないところで、自分の知らないところで知らないうちにせいが死んでしまうなんて――――そんな展開は想像していなかった。けいは結局、この『無名不思議』という存在のざんこくさを、まだまだ軽く見積もっていたのだ。

 それは、けいには自覚がなかったが――――全てはけいが、ことに起因していた。

 けいは思っていたのだ。もう自分は、いつ死んでもいい存在だと。

 けいにとって本当に大事な人間は、まずは母親と、それから次にせいだけだ。この二人に幸せになってほしい。この二人の望みがかなってほしい。この二人を悲しませたくない。けいが自分の人生で最終的に望んでいることは、それだけだった。

 母親のもとをできるだけ早く去ることは、けいの最終目標だった。

 自分は母親の負担になっている。自分がいるせいで母親の生活は苦しいままだし、子供がいては、身のり方は限られる。

 母親の自由と幸せを一番さまたげている存在は自分。だからできるだけ早く母親のもとはなれることが母親のためになる。そのためには、死ぬのが最も早い。だが、それは母親を悲しませることになるとも分かっていた。

 悲しませたくはないのだ。

 だから残る手段として、できるだけ早く経済的に自立することを目指していた。

 しかも将来の全てをあきらめて働きに出るような形ではなく、ちゃんと幸せに自立する。少なくともそう見える形で。そして他には何も持っていないけいにとって、絵はそのための、最良の手段だった。

 だった。今はもう、そうではない。

 けいは、『かかり』に選ばれて、『ほうかご』に招かれた。そして、『ほうかご』で死んだあやの存在が〝消えた〟のを見た時。現実から、みんなのおくから〝存在そのもの消えた〟のを見た時――――けいはそこに、〝希望〟を見つけてしまったのだ。

 もっと最良の〝救い〟を。

 自分の存在が消える。忘れられる。それなら――――

 その〝死〟がせいのためのものならば、もう言うことはない。だからけいは決めた。積極的に『かかり』に取り組むことを。せいに協力しようと。せいの目標のために、死のうと。

 そして、母親を解放するのだ。

 本当に本当の、ようやく見つけた最良の手段。

 つまりけいが『ほうかごがかり』として死ぬことで。

 お母さんを重石おもしから解放し、せいの目的もかなえ――――それによってけいにとってのたった二人の大事な人を、幸せにするのだ。

 なのに。

 それなのに。


「………………」


 けいは、自分の目のはしなみだかんだのを感じて、それをこぶしで、乱暴にぬぐった。

 そして、決然と顔を上げた。

 その様子。

 その表情。

 それを見たきくが、逆に不安そうにけいの名前を呼んで、小さく服のすそを引っ張る。


「に、もりくん……?」

「前に進もう」


 きくかえらずに、けいは言った。


「『かかりのしごと』をしよう。せいに何があったのか、調べよう。なんでせいが死んだのか、せいを殺したやつを『記録』しよう。そうしないと、せいが本当に犬死にになる」


 言う。

 決然と。

 前を向いて。

 だがそのけいの目は前を向きつつも、前を見ていなかった。


もりくん……」


 どこか暗い奈落を見ていた。きくは明らかにそれに気づいていたが、何か言おうとしてしばし躊躇ためらったあと、それをみこんで、何も言わなかった。

 けいが言葉を向けた相手である『ろうさん』は、しばらく無言でいた。

 だが、やがて背を向けたまま、口を開いた。


「……僕のセリフだ、それは」


 ぼそりとつぶやく。そして言う。


「『かかり』がもんである僕のセリフを取って、何様のつもりだ。キミは余計なことを言わずに『しごと』をすればいいんだ。どうせこの『ほうかご』に呼ばれた時点で、キミらにはそうする以外の道なんかない。ま、やる気になったならいいことだけどね。さっさと始めようじゃないか」


 徐々じよに、いつものように皮肉げに、調子をもどして、決してかえらないまま。

 けいがすぐさま問いかけた。


せいに何があったか、分かるか?」

「分かるわけないだろ。情報が足りない」


 こちらもすぐさま、ばっさりと答える『ろうさん』。


「少なくともじま君の『日誌』には、何も兆候はなかった」


 そして机の上から、ファイルを取り上げる。


「ずっとそれなりに真面目に書いてて、異常はなかった。急に何かあったのか、それともうそを書いてたのか」


 どうやらつい先刻までかくにんしていたらしいの『日誌』。それを机の上に、けいたちに見えるように、ばさ、と放り出す。


じま君らしき『何か』の様子は、一応、どうじまさんから聞いたけどな」


 そう言って、『ろうさん』はけいたちの反応をうかがうように、半分ほどかえる。


「顔面に穴が空いてたんだろ? 他に何かあるか? 追いかけられたみたいだが? 何か手がかりになるようなことに気づいたりしたか?」


 そしてたずねる。

 けいが答えた。


「顔に穴が空いて目がなかったけど、前は見えてたみたいだ。でも様子からすると、完全には見えてない感じがした」

「ふうん?」

「たぶん、ものすごく視界がせまくて、死角が多いんじゃないかと思った。足元はほとんど見えてない気がする。あと、音もあんまり聞こえてないかも。僕が声をかけるまで、かなり近くに行っても、僕が近づいてることに気がつかなかった」

「……なるほど?」


 あの危機的状じようきようでも発揮された観察力によって、おくした内容を思い出しながら、答えるけい。それを聞きながら『ろうさん」は、真っ白なかみの中にキャップをした万年筆をっ込んでがりがりと頭をかいて、難問にいどむ羽目になっためんどうくさがりのあんらくたんていのように、難しそうにうめく。


「他には?」

「他には……」


 けいも難しい表情をして言いよどみ、それから後ろをかえった。

 後ろのゆかに目を向ける。そこにはけいが持ち込んだ、あの裏庭に落ちていたのを拾った、水色のランドセルとさげぶくろがあった。


「手がかりになるかは分からないけど……あんなのを拾った」

「うん?」


 その言葉に、本格的にかえる『ろうさん』。


「バッグに、じま君の名前が書いてある。たぶんだけど、ランドセルも」

「……ふん」


 それを近くに持ってくるよう指示し、それからしばらくいぶかしげにそれらをながめた『ろうさん』は、やがてひとつうなずくと、万年筆で指し示して、開けて中身を調べるよう、改めて二人に向けて指示した。

刊行シリーズ

ほうかごがかり4 あかね小学校の書影
ほうかごがかり3の書影
ほうかごがかり2の書影
ほうかごがかりの書影