†
翌日。
土曜日。
夏休みの初日になる日の昼過ぎ。啓は待ち合わせた菊と連れ立って、今まで入ったことのない住宅地の、とある家の前に立っていた。
「ここか。ここだよな?」
「うん……たぶん……」
啓の手には、住所の書かれた例のメモ書き。
二人の前に立っているのは、特に変哲のない一軒家。周囲と比べると、やや大きめの和風建築で、ささやかながら塀と庭があり、建物自体はそれほど古いものではないものの、昔からここに住んでいるらしいことが窺える、そんな構えの家だった。
表札には、
『遠藤』
の文字。
メモ書きの名前の苗字。ただ、こうして探し歩いているあいだに気がついたのだが、この近辺には『遠藤』の苗字の家がとても多くて、確実にここだという自信はなかった。
初めて訪ねる家なので、間違いたくないという、子供っぽい気後れがあった。
「……」
二人は周りにある番地の表示プレートを何度か確認し、ここしかないだろうと覚悟を決めると、とりあえず啓が前に出て手を伸ばし、門柱に取りつけられた、インターフォンのボタンを押した。
5
先に電話をしていたので、インターフォンを押してからはスムーズだった。
お母さんらしき人が出てきて、「いらっしゃい」と玄関に招き入れられる。そしてお母さんは奥には案内せず、玄関のすぐそばにある部屋の前に立ち、そのドアをノックして、部屋の中へと呼びかけた。
「ゆーちゃーん! かかり? のお友達!」
大声で。
そして続ける。
「今日は二人! 緒方君じゃない子!」
「わかったよ! いつも通り、こっちには構わなくていいから!」
中から声が返ってくる。神経質そうな子供の声だった。
この声の主が、メモにあった名前の人物だ。
遠藤由加志。六年生。啓は、この彼のことを全く知らなかった。
だが菊は少しだけ知っていた。去年、惺と菊と一緒に、三人で五年生の『かかり』になった男子なのだという。そして最初の数回の『かかり』の後、どうやったのかまったく分からないのだが、ぱったりと『かかり』に、というよりも『ほうかご』そのものに、まったく姿を現さなくなってしまったというのだ。
さらに言えば、学校そのものに来ていない。
不登校なのだ。というのも話によると、元々いじめられがちだった少年で、最初から登校拒否気味だったのだが、『ほうかごがかり』に選ばれたのをきっかけに、完全な不登校に移行したのだという。
それ以来、菊は一度も彼に会っていなかった。
だが惺は、そんな由加志と誰も知らない裏で、ずっとやり取りがあったようなのだ。
電話と、それからここで母親と話した感触では、どうも定期的に訪問もしていたらしい。
菊は何も聞いていないという。そして、『かかり』に来ていない『かかり』がいるという事実は無用な混乱を招くからと、彼の存在を他のみんなには言わないようにしてほしいと、惺から口止めされていたことを、菊はここに来る途中で告白した。
「……」
そんな人物の、部屋のドア。
啓は見る。玄関から一番近い、表に面した部屋で、シールもプレートもなく、ドアからは子供部屋らしさは感じなかった。
そのドアをノックをした母親が、「もう」とため息まじりに言って、「ごめんなさいね」と二人に言い、部屋の前から立ち去る。するとそのタイミングを見計らって、中からそーっとドアが開き、半分ほど開いたドアから、一人の少年が顔を出した。
「……えーと」
痩せた猫背の少年だった。
背は明らかに啓より高いが、目線がそれほど変わらない。
レンズが大きめの眼鏡をかけている。
明らかに日光に当たっていない不健康な肌色をしていて、オーバーサイズのシャツをだらしなく着ていて、髪が肩にかかるくらい伸び放題になっていて、サイズと年齢を小さくした、昔のミュージシャンのようだと啓は感想を持った。
少年は、窺うような視線で、啓と菊を見る。
そして、
「……や、やあ」
短い、挨拶とも言えない挨拶をした。はっきりしない、くぐもった声。伏目がちで、笑顔はない。
笑顔がないこと自体は、今ここではお互い様だ。だが目を合わせようとしない、どことなくオドオドとしたネズミを思わせる態度をした、この陰気な少年は、それが常態なのであろうことがこの短いやり取りですでに窺えた。
「えーと……」
そんな少年に向けて啓は、訪ねて来た理由を説明しようとした。
だが、啓が話し出すよりも先に、少年は言った。
「死んだんだろ?」
「!?」
目を見開く啓。
「用件は分かってる。あいつ――――緒方君が、死んだんだろ?」
「!」
驚く啓。
そしてそんな啓の反応を見た少年は、「やっぱそうか……」と目を伏せて、口の中でつぶやくように言って、深々とため息をついたのだった。