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「……なんで知ってるか、ってのを先に説明しとくとさ、緒方君は毎週、『ほうかご』が終わると〝遺書〟を更新してるんだ」
啓と菊を部屋に招き入れながら、彼はまず言った。
「パソコンで書いてて、パスワードを知らないと、親でも中身を見られない。まあ大人は見たとしてもたぶん記憶できないけど――――とにかくそのファイルがネットでおれと共有されてて、更新されると、おれに通知が来るようになってるんだ」
二人と目を合わせず、いかにもコミュニケーションが苦手といった様子で、とつとつと、しかし先回りするような話しかたをする由加志。啓にとっては、初めて会う同級生。そしてそんな彼が話す内容は、啓の全く知らない惺の行動だった。
「遺書……」
「そう遺書。後の奴に頼むこととか……情報の引き継ぎとか」
惺は何かにつけて几帳面な人間だ。準備や習慣は徹底する。
自分に何かあった時のため、引き継ぎの手配をしていたというのは、確かにいかにも彼らしい。しかしそれが、毎週更新される遺書ともなると、同じ立場の啓から見ても、少々度を越しているとしか言いようがなかった。
「そんで、今朝は通知が来なかったから……もしかして、と思ってさ」
由加志は言う。
言いながら彼は、部屋に入ってきた二人のために、床に積まれていた本をどかして、居場所を作ろうとしていた。
通された由加志の部屋は、奇妙だった。足の踏み場がなかった。
おそらくフローリングにカーペットを敷いた部屋。勉強机と本棚が壁沿いに配置され、中央にコタツにもなる小振りのテーブルが一台。その上にノートパソコンが一台。座椅子が一つあり、普段は敷きっぱなしなのだろう布団が部屋の隅に畳んで積まれていて、それから入って来た二人の座る場所がないくらい――――それどころか立っている場所にも迷うくらい、床という床が積まれた本で埋め尽くされていた。
ただ、最も奇妙なのは、そこではなかった。
そうやって床が本で埋め尽くされているのに、本棚が全て空っぽなのだ。
だが由加志はそれを何とも思っていない様子で、テーブル周りの本の山をどかして、勉強机や、空っぽの本棚の棚板に載せる。ただそれも本棚に並べるのではなく、横置きのままぞんざいに棚に避難させているだけで、明らかに定位置ではなく、見るからにきちんと片付ける気がないのだった。
そして目につくのは、そうやって積んである大量の本のタイトルだ。
漫画が多いが、それではない。漫画に負けない数がある、他の本だ。それらは表紙や背表紙に、『都市伝説』『現代怪異』『心霊』『超能力』『UFO』『UMA』といった、見るからに怪しい文字を躍らせていた。そして添えられたおどろおどろしい表紙絵と共に、居場所がなくて立ち尽くす啓と菊を、ぐるりと取り囲んでいたのだ。
「…………これでいいか。じゃあ、まあ、その辺に座ってよ」
やがて由加志は、ようやく露出した床のカーペットに適当に粘着ローラーをかけると、そうして空いたテーブルの対面を二人にすすめた。
「……」
啓は少し眉をひそめたものの、それ以上は気にせずに座りこんだ。菊は戸惑った様子で立ち尽くしたまま、少し周りを見回し、それから、そろそろと遠慮がちに啓の隣に座りながら、由加志に向かって訊ねる。
「えっと……模様替え中、だった?」
「……」
啓も言葉にはしなかったが、似たような感想を持っていた。棚が空っぽ。机もそう。引き出しが抜かれている。それによく見ると棚も机も置いてある位置が半端で、まさに場所を動かしている途中、といった様子にしか見えなかったのだ。
だが、
「ん? あー……えーと……」
座椅子に座った由加志は、困ったように目をそらし、がりがり後頭部をかいた。
そして、
「そういうわけじゃ、ない、んだ、けど……まあ……説明が必要になったら説明するよ。それよりさ、引き継ぎの話だろ?」
誤魔化すようにそう言って、話を早く進めようとした。
だが啓は、手を出して遮り、それを止める。
そして質問した。
「それより前に、聞きたいことがある。どうやって『かかり』をサボってるんだ?」
「………………あぁー……やっぱりその話になるよなあ……」
その質問を向けられると、由加志は露骨に肩を落として、懐疑的な啓の視線を避けるように目を伏せて、大きくため息をついた。
啓の目は険しい。当然だが、思わずにはいられなかった。
ボイコットする方法があるのなら、どうしてみんなに教えないんだ? と。
どうして、どうやって、今まで逃げ隠れできたんだ? と。みんな『かかり』のせいで死んだのだ。真絢も、イルマも、留希も、惺も、『かかり』のせいで死んだみんなは――――そんな方法があるのなら、誰も死なずに済んだはずなのだ。
「……」
「あのさ……」
だが、そんな啓の静かだが強い視線から、ライトの光を向けられたかのように顔をそらした由加志は、いいわけするように言った。
「その文句は、緒方君に言ってくれないかな…………だっておれ、緒方君にはちゃんと言ってるんだぜ? 『ほうかご』に呼ばれなくする方法……」
「!?」
それを聞いた啓は、一瞬思考が停止した。
「は……!?」
「本当だよ。おれが『かかり』を回避する方法を見つけて、『かかり』に行かなくなってすぐに、緒方君はうちに来たんだよ。その時におれは全部喋ってるんだ。聞かれたから。別に秘密にするつもりもなかったし……おれは、隠すつもりなんかなかったんだ。それを他のみんなには秘密にしよう、って言い出したのは、緒方君の方なんだ……!」
「………………!?」
啓は、言葉を失った。
顔面蒼白。かろうじて、疑問を口にした。
「な、なんで……?」
「う、嘘じゃないぞ。緒方君は、他の普通の子供が犠牲になるくらいなら、『かかり』が犠牲になるべきだって考えてた。だから、『かかり』が一人もいなくなるかもしれないような情報は、みんなに知らせるべきじゃない、って……」
啓の様子に怯えたように、由加志は必死に言う。啓の心が冷たく冷える。
「おれの存在も、次の『かかり』には秘密にする、って……」
「…………!」
「お、おれだってさ、『かかり』に行ってないのは、他のみんなに悪いと思ってないわけじゃないんだよ。でもそうするように決めたのは緒方君だ。不登校のおれには、学校でやってることなんて何も決められない。ノータッチだ。『ほうかご』に行かないですむ方法を秘密にしたのは、おれじゃなくて緒方君なんだ……!」
距離を取ろうとするように両手の手のひらを啓に向けて、必死の様子で自分を弁護する由加志。啓の感情は、聞かされた内容を「嘘だ」と反射的に否定しようとしたが、しかし事前に菊から聞いた話は由加志の話を逆に裏づけていて――――そして何より、啓が知っている惺という人間は、そういうことをやりかねない部分を持っていると、啓自身も否定することができなかった。
惺は、夢想家でも理想家でもなかった。
夢想家を目指して、理想家を目指して、そんな人間に憧れて、どちらにもなれずにあがいている現実家だった。
いつか夢想と理想に手が届く日が来ることを願って、それらを語りながら、現実の地面を踏み固めることだけを続けている、巨大な翼を縛った鳥が惺だ。そんな惺だから、やりかねないのだ。救われなければならない多数のために少数の犠牲を許容するという――――その行為を単純に実行するというだけではなく、そうするという決断と責任を自分で背負うことを、惺ならばやりかねないと啓は思ってしまったのだ。
決断する惺が、ありありと想像できた。
何も知らない大勢の子供たちを守るために、自分の意志で『かかり』を見殺しにする選択をする惺が。
だとしたら――――
真絢と、イルマと、留希は、惺が殺した。
殺したも同然だ。話を聞くに、おそらく去年の『かかり』もだ。
そしてその時に――――惺には、退路がなくなったのに違いない。
自分が見殺しにすると決めた、そして実際に見殺しにした『かかり』たちへの責任で。その時に惺は、『ほうかご』から、そして『かかり』から、逃げることも辞めることも、絶対にできなくなったに違いないのだった。
「………………」
それが、手に取るように分かって。
啓は、由加志に向かって気づくと乗り出しかけていた上半身を、力なく引いた。
その様子を見て、ほっ、とした表情になる由加志。菊が心配そうに、肩を落としてうつむいた啓の背中に、そっと手を当てた。