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「おれの担当の『開かずの間』は、おれが『かかり』をサボってからは、緒方君がずっと代わりにやってたんだ」
ぼそぼそと、由加志が言う。
「代わりの交換条件で、おれは〝引き継ぎ〟をやらされることになった。緒方君の〝遺書〟をデータ共有して、それを次の奴に渡すことになってる。あと、おれに危険がない限り、次の担当者に協力しろってさ」
言いながら、ノートパソコンを操作する。ようやく話が本題に入った。わずかな納得と引き換えに、かなりの時間を浪費してしまった。
啓は訊ねた。
「……〝遺書〟の中身は?」
「えーと……ちょっと待っててくれ。おれは毎週、更新されたっていう通知を確認してるだけで、ほとんど中身は見てないんだ」
カチカチとマウスをクリックし、ダカダカとキーボードで入力する由加志。
「できれば関わりたくなかったし、緒方君が死ぬなんて、正直、どこかで信じてなかった。あんな完璧超人が死ぬなら、生き残れる奴なんかいないだろ、って、はっきり言って思ってたんだよ」
「……それは、僕もそう思ってた」
「そうだろ」
その言葉には同意する啓。由加志は我が意を得たりと啓を指差した。
「だから、こんな〝引き継ぎ〟なんか、起こるわけないって思ってた。正直に言って、めんどくせえなって――――うえっ!?」
そして話しながら操作を続け、ようやく開いたらしきデータを見て、由加志は悲鳴のような声を上げた。
「なんだよこのファイルのデカさ! 絶対テキストだけじゃないだろ!」
今までで一番の大きな声。
「あいつ知らない間に何を保存したんだ!? おれが前に中身を見た時は、普通にテキストデータしかなかったんだぞ!?」
驚きとも呆れとも迷惑ともつかない表情で画面に顔を近づけて、カチカチとファイルの中身を確認する。
そして、
「あー……説明付きの索引みたいなやつがある。ほんと無駄に几帳面だなあいつ……」
げんなりした顔で、由加志は痩せた肩を落とした。
啓は訊ねた。
「どういうことだ?」
「とにかくいっぱい引き継ぎがあるってこと。今から確認するけど……あー……あんたが引き継ぐ時の、名指しの〝遺書〟もあるな。見るか?」
「!」
由加志の答えに、啓は身を乗り出した。
「見る」
「はいよ、了解、っと」
由加志はちょいちょいとファイルを開く操作をすると、ノートパソコンを回して、啓の方に画面を向けた。
白く光る画面には、テキストが表示されていた。
そしてそれは、まさに〝遺書〟だった。
啓、君は僕が上げたいと思うものは、何も受け取ろうとしなかったね。
僕はずっとそれを残念に思ってた。
僕の残すものは、君には必要ないかもしれないけれど。
そして僕は、君がこれを引き継ぐことを望んでいないけれど、もし君がそうなってしまった時のために、これを残す。
惺のテキストは、そんな言葉から始まっていた。
啓は、その前文を読んだところで、そこから先に進めなくなった。
そんなことを惺が考えていたなど、思ってもみなかった。確かに惺は、なにかと啓を援助したがっていたし、啓はできるだけそれを断っていたが、しかしそれは単なる惺のほんの小さな悪癖と、啓のほんの小さな意地の、些細な衝突にすぎないと思っていたのだ。
ほとんど、じゃれあいのようなものだと。
惺がずっと本気だったとは、こんなにも深刻にとらえていたとは、思いもしなかった。
ずっと見誤っていた。あの何度も繰り返した援助の申し出と謝絶が、惺の中でこのような形になっているとは全く思っていなかった。
啓には――――自分は必要ないかもしれない。
この短い前文の中に、強くこめられた、そんな想い。
「なんでだよ」
呆然と。
啓はつぶやいた。
「惺……確かに僕は、惺から物をもらいたくなかった。施しはされたくなかった。でも、惺が必要なかったわけじゃない…………!」
呆然と、叫ぶように、つぶやいた。
そして重い沈黙が、部屋に落ちる。
そんな啓に、しかし由加志が声をかけた。
「……あのさ、ショック受けてるところ、悪いんだけど」
おずおずと、しかし、無慈悲に。
「もし、おれが知ってる時と状況が変わってなかったら――――あんた、緒方君から、とんでもないものを引き継ぐことになるぜ」
「……!?」
由加志が言った。
啓は、由加志の顔を見た。
その視線に、由加志は顔を伏せた。菊がそんな二人の様子を不安そうに、心配そうに、ただ黙って見つめていた。