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――――『学校わらし』は、『無名不思議』を学校の外に出さないために存在する。
あれは化け物の〝檻〟である。
過去の記録は、そう結論していた。
だとするとあれが『無名不思議』であるのかすら、本当のところは分からない。だが少なくとも、あの恐ろしく惨たらしい円陣は、何も知らない子供たちが通う学校と『ほうかご』とを隔てて、中のものを外に出さないようにする存在だった。
何十年か前にいたという、非常に霊感が強かったという、とある『かかり』の女の子の言葉が残っている。外の世界と『ほうかご』は、たとえるなら人間の体の外側の皮膚と内側の粘膜のように裏表で繋がっていて、あの亡霊の輪は、内側にいるものが自由勝手に外に出てしまわないよう隔てている〝壁〟なのだと。
惺の〝遺書〟によると、去年、『シノさん』と呼ばれていた六年生が『ほうかご』で犠牲になり、あの輪の中に加わったのだという。そして『シノさん』は、『学校わらし』の担当ではなかった。
担当は、当時五年生の惺だった。
しかし『シノさん』が――――正確には当時の六年生の『かかり』全員が、惺の知らないあいだに『学校わらし』の記録を作っていて、そして惺の代わりに命を落とし、惺の代わりに亡霊となったのだ。
六年生全員が、惺を助けるために、そうした。
そうして惺は生かされた。たった一年の、延命に過ぎないにもかかわらず、そのために六年生全員が命を捨てた。
『この遺書が読まれてるということは、僕は亡霊の一人として学校を囲んでいると思う』
惺の〝遺書〟には、『学校わらし』のことに触れて、そう書いてあった。
『でも、僕はそれを望んでいるので、悲しまないでほしい。僕はシノさんの隣に立って、化け物から世界を守るという最後を、本気で願っているから。僕が今まで世界から受けた恩を、こうやってはっきりとした形で世界に返すことができるのは嬉しい。亡霊になった僕を見ても悲しまないでほしい。それが僕の最後の望みだ」
と。
この〝遺書〟を読んで、啓は門まで確認に行ったのだ。
今まで間近には見たことがなかった、惺が担当していたという『無名不思議』を。それから惺の〝遺書〟に書いてあった、願いの結末を見届け、もしかするとそこで惺に会えるのではないかという、かすかな希望を抱いてだ。
……そして。
「――――――駄目だ」
あれから一言も話さず、足音の聞こえてくる方面を避けて、正門から大回りして『開かずの間』に戻った啓は、心配そうに見守っていた菊の前で、長い沈黙の後で、やがて絞り出すようにして言葉を発した。
「……えっ?」
「やっぱり、こんなの……駄目だ。駄目だろ。あいつが、自分が死ぬのを引き換えにした、最後の、たった一つだけの希望が叶ってないなんて。駄目だ。これだと、あいつは本当に無駄死にじゃないか……」
かすれた声で、啓は言った。おそらく『ほうかご』で死んだわけではない惺は、『学校わらし』の輪に加わることができなかった。想像されるその事実に押しつぶされ、部屋の真ん中に立ち尽くして、うつむき気味に目を見開いて、しかし何も見ていない啓の言葉が、がらんとした『開かずの間』の空間に響いた。
「……」
「ああ、そうだよ」
菊は何も言えない。だが『太郎さん』は口を挟んだ。
「無駄死にだ。『かかり』の大半は、無駄に死ぬんだ。九割九分九厘すぐに消えちまう化け物の餌になって、命も存在も、無駄に消えるんだ」
容赦などしなかった。机で背中を向けたまま、『太郎さん』は淡々と言い放った。
「みんなそうだ。特別なことじゃない。あいつもそうなったってことだ」
「惺は!」
啓は声を荒らげた。
「惺は……! 緒方惺は、特別な人間だった!」
叫ぶように言った。もう何年も、人には聞かせたことがない、いや、自分でも聞いたことのない声でだ。
「何かを残せる人間だった! あいつも残そうとしてた! 何も残さずに死んでいい人間じゃなかった!」
叫ぶ。
「ずっと、あれからずっと……あいつが死んだことを納得しようとしてた! あいつが望んだことだから、覚悟してたから! なのに、そうやって残そうとしてたものが残せてなかったなんて、どうやったら納得できるんだよ! 納得できるわけないだろ! こんな理不尽が、許せるわけないだろ!!」
体を震わせて叫ぶ。今まで、爆発するような感情の出しかたは強く抑制していた啓が、それをかなぐり捨てて叫んだ。叫んでいた。
噴き出した悲嘆。『太郎さん』は冷たく言い捨てた。
「残せるわけないだろ」
「は!?」
感情が頭に上った。激昂しかかった。
「それ、どういう……!!」
顔を上げて、言い返しかける。だが『太郎さん』の言葉のほうが、わずかに早かった。そしてその内容も衝撃的だった。
「ああ、もちろんあいつは優秀だったよ。だから余計に残せないんだ。『無名不思議』は子供の未来を喰うんだからな」
「……は!?」
踏み出しかけた啓の足が止まった。頭の中に満ちていた熱に、ひどく冷たいものが差し込まれた感覚がした。
「ずっと僕はここで、何人も何人も犠牲者を見送ってきたんだ。そうしてるとそれでな、そのうち、何となく分かったんだよ。『ああ、あいつらは、子供の未来だか希望だか、そんなのを喰うんだな』ってな」
冷たく静かに、『太郎さん』は背中を向けたまま、どこか吐き捨てるように続けた。