「能力のあるやつ、夢のあるやつ、前を向いてるやつほど、ここでは死ぬんだ。そうじゃないやつも、夢を見つけたやつ、前を向けたやつ、希望を見つけたやつが、その未来ごと、怪談に喰われて死ぬんだ。中にはその『無名不思議』が、わざわざ担当してるやつに希望をちらつかせてるんじゃないかって奴もいる。たぶん小嶋君の『こちょこちょおばけ』はそれだった。僕はあれを『憑物』じゃないか、って推理したけど、中国ではそれを『蠱』といって、その仲間に『金蚕蠱』ってやつがいる。そいつに取り憑かれると破滅するけど、破滅する前にめちゃくちゃ金が手に入るんだと。そういう意図があるのかは知らないけど、そりゃあ先にでかい希望があった方が、絶望も破滅もでかいよな。
ああ、あいつは確かに、何年かに一人、出るか出ないかの逸材だったよ。でもな、だからこそたぶん、あいつは『奴ら』にとって栄養たっぷりの餌なんだ。あいつが『学校わらし』の輪に加われなかったのは、僕も少し意外だったよ。でも――――キミらは見たんだろ? その逸材の馬鹿デカい未来と悲劇を追加で喰った『こちょこちょおばけ』のやつは、いま生まれた場所の狭い殻を破って、学校中を元気に走り回ってやがるんだろ?」
「…………!!」
話を聞きながら、啓は頭の中が急速に冷えた。それは冷静さではなかった。あまりの無慈悲と不条理に対する、『無名不思議』への、いや、それを超えた、もはや世界に対しての、殺意にも似た冷たい怒りだった。
「………………あの〝小嶋君〟は、これからどうなるんだ?」
かなり長い、押し黙った沈黙の後。
やがて口を開いた啓が言ったのは、地の底からのような、押し殺したように低い声の、そんな質問だった。
「さあね。普通なら、そのうちそれも、だんだんと消えていって、消滅するね」
答えるが、その『太郎さん』の言葉は、やはりどこか冷たい。
「まあ、活発な『無名不思議』みたいだから、もしかすると表の学校でも噂になって、出没するようになるかもな。それで全国的な『学校の怪談』や『都市伝説』になったりして。
でもまあ、僕の見てきた限りじゃ、そこまでになった『無名不思議』は、この学校からは一匹も見たことがないからな。やっぱり何ヶ月かして消えるんじゃないか? 他のおんなじように消えていった、数えきれない『無名不思議』と、変わらずに」
淡々とした、抑制的な、偽悪的な、『太郎さん』の答え。突き放すような、さもなくば煽るようなその答えを聞いて、無言の啓はじっとうつむいて立ち尽くしていたが、やがて静かに顔を上げた。
そして、『太郎さん』に歩み寄る。
近寄られた『太郎さん』は、無視するように振り向かなかった。
そんな『太郎さん』に、啓は手を出す。手のひらを上に向けた要求する手。それを顔の横に突きつけられて、『太郎さん』がようやく顔を向けた。
「……なんだよ」
「一枚……ううん、まとめて何枚かくれよ。『日誌』のやつ」
無表情に言う啓。『太郎さん』の眉根が寄った。
「何するつもりだ?」
「何って。惺の後を引き継ぐ。『学校わらし』の『記録』を作る。あとは『こちょこちょおばけ』も僕が引き継ぐ。惺のできなかったことを、僕が全部やってやる」
不自然なほど平坦な調子の、啓の言葉。それを聞いた『太郎さん』は、大きくため息をついて、胡乱げに問いかけた。
「……本気か?」
だがすぐに、その自分の問いに、自分で結論する。
「いや……本気なんだろうな」
「本気だよ。実は今日、ここに来る前から、そうしようって決めてた。『学校わらし』を見に行って、もっと決意が固くなっただけだ」
啓は答えた。
そして言う。
「全部わかった。理解した。僕は『無名不思議』が、『学校の七不思議』が許せない。惺の未来も、最後の願いも奪った『奴ら』のことが許せない。惺を、生贄なんて無駄なものに無意味に消費した、『奴ら』を許せない。この『ほうかご』が許せない。
僕は少しでも『奴ら』のことを『記録』して、惺の仇をとってやる。少しでも『奴ら』に傷をつけて、それで死んだら惺の代わりに『学校わらし』の仲間になって、『奴ら』がここから出られないようにする壁の一部になってやる。惺の最後の願いの代わりになってやる。そうしないと惺が浮かばれない。惺の死んだ意味も、生きた意味も、このままだとなくなる。そんなの、僕は絶対に認めない」
据わった目で、淡々と言う啓。つい今しがた噴き出した煮えたぎる感情を、腹の底に押し込めて、その圧力のこもった声で、淡々と言いつのった。
呆然と、悲しみと、怒りの、その先。
絶望。啓は絶望していた。自分のことだけならば、まだ許せた。だが惺に、あんな得難い人間に、あんな非情で残酷な仕打ちをして、その希望も望みも結果の片鱗も残さず跡形もなく消し去ったこの『ほうかご』という存在を、許すことができなかった。
惺は納得して死んだはずだ。惺は、常に自分の理想を見据えて、常にそのために行動していた。そんな惺は、志半ばで斃れる心残りはあれど、自分の道行きに、そして約束されていたゴールに、納得して斃れたはずだった。
自分の死が、最後の防壁になると信じ、だからこそ、彼は逝ったはずだった。
救いになるのはそれだけだった。惺の死という事実を知らされてから、ずっと煩悶していた啓は、引き継ぎによって知った『学校わらし』の内容に、一度希望を持った。半ばで斃れた惺が、それを織りこみ済みだと、彼の志は残っていると、分かったからだ。
だから確認に行った。一目見ようと。本当にそうなったのならば、自分も納得しようと。
惺の死の結果を見届けて、納得しようと。だがそれなのに、それが叶わなかったなんて、啓は認められなかった。その事実に、そして全てに、啓は絶望していた。
「そんなの、キミ、本当に死ぬぞ」
ため息まじりに、『太郎さん』は言った。
「まだ『学校わらし』に、今年のぶんは加わってない。ここで『学校わらし』の『記録』に署名したら、もうキミだけが担当者みたいなもんだ。最終日までに絶対死ぬぞ」
「いいよ。僕がいない方が、母さんは幸せになれる」
啓は躊躇なく答えた。表情を歪める『太郎さん』。
「キミは……」
「それに、やらなかったら、死なない保証があるのか?」
続けてそう啓が言うと、『太郎さん』はさらに表情を歪めて、それこそ苦虫を噛みつぶしたような顔になった。
「……ないよ」
認める。
だが『太郎さん』は説得を試みる。おそらく、最後の説得を。
「でもキミら二人は、僕の見立てだと、普通にやってたら生きて『卒業』までやり過ごせる確率は高いぞ」
「……そうなのか?」
「ああ、いい線いってる。キミなんか、ほとんど『記録』に成功してるじゃんか。このままなら死なずにすむ可能性は高い。死なずにすむんなら、死ぬ必要なんかない。生きていけるんだぞ、生きろよ」
その言葉にも、啓の表情は動かなかった。
「そっか。いいこと聞いた」
「だろ。だから……」
「じゃあ堂島さんが無事にすむ確率も上がるよな。『卒業』は堂島さんだけでいいよ」
「えっ」
その言葉に、菊が驚いたような戸惑いの声を出したが、啓は振り向きもしなかった。
「…………」
しばらく啓と『太郎さん』は、睨み合うように目を合わせていた。二人はそのまま、しばらく互いに黙っていたが、いつまでも続きそうなその沈黙を、結論の決まっている啓は、早々に破った。
「で、『日誌』は? くれないのか?」
「キミさ」
「あんたが反対なら、別にいいよ。勝手にやるから」
「はあー……」
差し出していた手を下ろし、背を向けようとした啓に、『太郎さん』はため息と共に机の上の紙束に手を伸ばして、そこからひとつかみぶんの『日誌』の用紙を抜き出して、啓に向けて乱暴に差し出した。
「しないよ、反対なんか。そいつは僕の仕事じゃない。本気なら好きにしろよ」
言う。
「緒方が、今年の『かかり』には与える情報をコントロールしたいとか言い出した時も、僕はちゃんと言われた通りにしたんだからな。そんな僕が自殺志願者程度のことに、わざわざ反対するわけないだろ! キミみたいなのも、何人も見送ったよ!」
「……」
啓は振り返る。そして、その『太郎さん』の言葉にも、わずかに眉を寄せただけで、差し出された用紙を取り上げて、すぐにスケッチブックをクリップボードの代わりにして、空白の用紙に自分の名前を書き入れた。
『担当する人の名前』二森啓
と。
そして、
『無名不思議の名前』学校わらし
と。
「……キミは今、自分の死刑の書類にサインしたぞ」
それを見届けた『太郎さん』は、処置なし、といった態度で息を吐き、見捨てたように背を向けて言った。
啓は逆に言い捨てた。
「人間はみんな死ぬだろ。だったらこんなの、せいぜい臓器提供の同意書だ」
書き込んだ『日誌』を突き返す。突き返されたそれを、振り返りもせずに『太郎さん』は『日誌帳』に挟んで返し、啓はそれを黙って取り上げ、足元に置いていたリュックサックに詰め込んだ。
「…………」
菊が、そんな二人の様子を見ている。
複雑そうな表情で、しかし何も言えないまま、胸の前で箒の柄を抱きしめて、二人の様子を眺めていた。