二、三日に一度は、由加志にも会いに行った。
「……協力するのは約束だからするけど、おれは『ほうかご』には行かないからな」
そう迷惑そうにする由加志とは、惺から引き継いだ仕事についてや、惺に近い視点での『ほうかご』への対策や、作戦の話をした。
惺のやっていたことを、引き継げるものは残らず引き継ぐ覚悟でいた啓だったが、金銭や機器類に制約の多い啓には不可能なことも多く、結局そういったことは全て由加志に頼らざるを得なかった。
それに、由加志はオカルトに詳しかった。同じオカルトでも、『太郎さん』とは方向が違い、超能力や魔術や呪術といったものに関心が偏っていて、そして何よりも、現実をそういうものと結びつける思考が得意だった。
由加志の物の見方、考え方は、現実よりもオカルト寄りだった。
一言で言ってしまえば変わり者だった。だから不登校になるくらい学校では浮いていて、しかし同時に『かかり』の呼び出しを拒否することができるくらい『ほうかご』のルールに順応していた。
由加志と会った時点では、何をすればいいか実は分かっていなかった啓に、今の方向性を与えたのは由加志だった。
惺の死による、悲しみ、怒り、行き場を失って空回りするだけの覚悟。内心に押さえつけていたそれらに振り回されて、何をするべきかが分からなくなって、とにかく惺のやろうとしていたこと全てを引き継ごうとしていただけの啓に、できることとできないことを切り分けて、啓が『ほうかご』に対してできることを教えたのは由加志だった。
「――――あんたは絵を描け。それしかできないし、それが一番いい」
由加志は言った。
あの〝遺書〟について伝え、『学校わらし』の中に惺がいないことを確認し、そのやるせない事実をふまえて引き継ぎについていくつも話をした結果、由加志はしばらく考えたあと、啓に対してそんな結論を下したのだ。
「うん、話を聞いたけど、やっぱあんたは〝それ〟しかできない。びっくりするほどそれしかできない。でもそれが一番有効なんだ。だったらそれしかないよ。最後の最後まで描き続けるのが、あの『無名不思議』の奴らが一番望んでることで、一番の痛手なんだ。それに専念するのが正解だ」
半ば呆れたように言った由加志。そして続けて、こう提案した。
「他のことは全部おれがやるよ。しょうがない。おれだって、『奴ら』にはできるだけ痛い目を見てほしいしな」
「……助かる」
「それはおれにはできないし、あんたにとってもいいことだろ。まず何描きたい? やっぱり緒方君を殺した、『こちょこちょおばけ』からか?」
訊ねた由加志。
少し沈黙した後、啓は、ぼそりと答えた。
「…………全部」
「は?」
「全部。何もかも全部。この世界は理不尽だ。全部描かないと耐えられない」
その答えを聞いて、由加志はぽかんと口を開いた。
だがすぐに、引きつったように笑う。
「イカれてる」
そして言った。
「でも、いいじゃん」
ロックミュージシャンのような言いよう。ともかくそれで、方針が決まった。
これから取り組む啓の画題は。
――――『学校の七不思議』
きっと、啓の人生最後の画題。
それから啓は、スケッチに取りかかった。菊と共に『ほうかご』を渡り歩いて。ときおり由加志の家を訪ねて、相談をしながら。
「あんたさ、来るたびに顔色が悪くなってるよな」
「あんたら二人だけでやってんだよな。他に誰かに頼れればいいんだけどな。『卒業』したOBとか。まあOBが『ほうかご』に入る方法がないんだけどさ」
「いま、助言くらいは受けられないかと思って、OB探してる」
「ネットでOBと一人、コンタクトが取れた。でもダメっぽい。『かかり』は基本イヤな記憶だからみんなできるだけ関わりたくないし、大人が『ほうかご』のことを憶えてられないみたいに、OBもだんだんと『ほうかご』のことを忘れていくんだってさ。早く忘れたいと思ってる奴の中には、卒業式の後に学校を出た瞬間、全部忘れる奴もいるって。それに、ずっと『ほうかご』にいる『太郎さん』より詳しい奴なんかいないってさ。まあ、考えてみたらそれはそうだよな……」
いつもボソボソとした早口で、態度も迷惑そうだが、思いのほか親身に、あれこれと考えて手を尽くしてしてくれる由加志。
ずっと『かかり』から逃げ続けているせいで認識が甘いが、何とか『ほうかご』のウィークポイントや抜け道を探そうという思考を持った挑戦的な由加志と、たくさんの事例を知識として持っているが、その膨大な悲劇に押しつぶされて保守的な『太郎さん』。方向性は違うものの、どこか性質に似通った所のあるそんな二人を行き来して、それぞれから話を聞きながら、啓と菊は、『ほうかご』のスケッチを増やし続けた。
そして、部屋に並べる。
並べたそれを眺めながら、啓は頭の中で、パズルのように目まぐるしく並べ替える。
その一枚で『ほうかご』を、できるだけ『記録』することができる〝画〟を探して。
最も鋭い一撃となる絵を目指して。啓は日々を、そして自分の持つ全てを、ひたすらそれに費やし続けた。
日を追うごとに、徐々に徐々に、ほんの少しずつだが、啓はやつれていった。
その小さな身体の内の、生命を燃やしているかのように。しかしそれとは逆に、日を追うごとに啓の目は力を増して、神仏の姿を垣間見ようとする修行僧のように、時には爛々と光を宿した。
無数のスケッチに囲まれて、無表情に目だけを見開いて、部屋の端に座る啓。
そんな啓を見守る菊。そんな日々が繰り返される。週に一度の、〝留希〟のうろつく『ほうかご』には、緊張や危険が何度もあったが、夏休みのあいだ繰り返されるこの生活にはある種の安定があって、傍目には奇妙に穏やかにも見える日々だった。
「……じゃあ、二森くん。わたし、そろそろ帰るね」
「うん? あ、もうそんな時間か……」
この日も、そんな日がまた一日、終わる。
そろそろ部屋に明かりが欲しくなる時間になると、隣の部屋で過ごしていた菊が、声をかけて帰り支度をする。啓はそれを聞いて、日が落ちかかっていることにやっと気づいて、この瞑想じみた作業を中断する。そして菊を送り出したあと、母親が帰ってくる前に痕跡を消すために、部屋を片付け始める。
いつの間にか、そんなサイクルができていた。
この日も作業をやめ、立ち上がる啓。立ち上がろうとして、ふらついた。慌てて壁に手をついた。
「あっ……!」
見ていた菊が、ふらついた本人よりも慌てて近寄ろうとし、スケッチを踏みそうになって、たたらを踏んだ。
「だ、大丈夫……?」
「…………ずっと座ってたから、足が痺れただけ。そっちこそ大丈夫かよ」
転びそうになって、音を立てて襖をつかんで何とか踏みとどまった菊に、啓は言う。菊が恥ずかしそうにする。啓は小さく笑う。
「……じゃあ、帰るね」
「ああ」
「ほんとに……大丈夫? 体の調子とか……何かおかしなこととか、ない?」
「なにもないよ」
「じゃあ……ばいばい。また、明日」
菊が、小さく手を振って、啓の家を辞する。啓はそれを見送った後、一人になった家で、自分の部屋の元の場所に戻り、またスケッチに囲まれて、座り込む。
「…………」
じっ、と部屋を眺める。
無言で、静かに。