ほうかごがかり 3

九話 ⑧

 その正面のかべには、


 それだけではなかった。全て。そう広くもないけいの部屋の中は、座り込んだけいを中心にかべゆかてんじようも空間も、ほとんどすきなく、まるで異次元の病変のように、折り重なるようにしてひしめく

 かべが、ゆかが、てんじようが、異形と化していた。部屋は、周囲は、視界は、真っ黒な黒い穴に、ケタケタと笑う子供のいたしようぞう画に、歩き回る赤いくつに、ねじくれた樹皮のようにからみあった無数のうでに、ありもしない学校のとびらや窓に、そこからのぞきこむひとかげや子供の顔や毒々しい色をしたかいぶつに、並んでぶら下がった二つの血みどろの赤いふくろに――――それからその他の無数の異形の存在によって、パッチワークのようにおおわれていたのだ。

 おぞましいかいのパッチワークが、かいだんのコラージュが、部屋を完全にしんしよくしていた。

 視界を切り刻まれているかのように統一性もみやくらくもない景色と、それらの立てるこんとんとした音に取り囲まれて、部屋はくるおしい様相と化していた。そしてこれらは、きくが家にいた時から。この正気を失いそうな、いや、もしかするとすでに失ったかのような光景は。けい以外には見ることも聞くこともできないのだ。

 眩暈めまいがしそうなほうかいした景色が、音を立てていた。

 足音がする。話し声がする。泣き声がする。笑い声がする。物音がする。ピアノの音がする。チャイムの音がする。水のしたたる音がする。

 ノイズがする。何人もの人の声が、耳元でささやく声がする。

 まくに息をきかけられたかのような、まったような感覚がする。めくるめく音と、めちゃくちゃな視界によって、感覚がおかしくなり、頭がおかしくなる。

 そして、そんなけいの前に、が立った。

 かすかにりんかくのぶれた、赤いくつと足。赤いズボンと上着とシャツ。

 そして。


 かき切られたのどと――――引きつったように笑った、けいの口。


 目の前に立って、けいを見下ろし、そして笑った、『まっかっかさん』の姿。


「…………」


 じっと、無言で、けいは見つめた。

 きっと、いずれ自分は殺されるだろう。確信があった。

 確信しながら、けいまゆを寄せ、目の前の『まっかっかさん』に手をばし、うでってはらいのけた。


「どけよ」


 そして言った。


「そこに立たれたら、見えないだろ」


 夏休み最終日。

 明日にはまた、学校が始まる日。

 そんな日の、しかし、だからといってだんと変わらない朝。母親の用意したトーストとヨーグルトの朝食をこの日も黙もくと食べていると、出勤前でいそがしくしている母親が、めずらしい様子で話しかけてきた。


けい……明日から学校でしょ。だいじよう?」


 どこか、心配そうな様子。

 けいろんげに、そして、少しのけいかいと共に顔を上げて、母親に答えてき返した。


だいじよう、って、何が?」

「なんか最近、つかれてるみたいに見えるから。気のせい?」


 そう言われて、けいはきょとんとした表情をする。作った表情だ。そんなこと初めて言われたと、気づかなかったと、そんな主張の表情。


「気のせいじゃないかな」


 そして言う。


「なにもないよ」

「そう? だったらいいけど……ほら……」


 らない様子の母。けいは首をかしげる。


「なに?」

「えーと、ほら、あの…………がた君のこと、あったじゃない?」

「!」

がた君があんなことになって、おそうしきに行った後くらいから、ずっとけいの様子が少し変に見えて……心がつかれてるみたいに見えたから、学校に行くのは、だいじようなのかな、って思ったの……」


 言いづらそうな母の言葉に、けいは自分が思っていたよりもショックを受けていた。

 そして、そんな自分にも、けいはショックを受けていた。けいは母親に『ほうかご』のことを何も知らせないために、どんな会話があったとしても、心を殺して知らない顔をするかくを決めていたからだ。

 二重にショックがあった。母親に言われて、自分の心が動いたこと。

 それから、今まで何もないふりをしていたのに、何かつうではないようだと、母親に気づかれていたこと。

 そして思い出した。

 今まで、あまり思い出さないようにしていた光景を。


 せいそうしき

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