ほうかごがかり 3

九話 ⑨

 夏休み中にせいそうしきがあり、けいのような子供同士の知り合いのために、お別れ会の時間が作られていて、けいはそれに、母に連れられて参加したのだ。

 お別れ会のことを母から伝えられた時、けいは反射的に「行かない」と言ったのだが、母はけいのための正装を用意して、わざわざ仕事をけてけいを連れ出した。元々、大人の目のあるところで、『ほうかご』にかかわるせいの死に向き合いたくないという、反射的とも本能的ともつかないきよにすぎなかったので、そこまでされてていこうはしなかった。

 式はせいだいだった。テレビでしか見ない、著名人のそうしきのようだった。

 明るく広いセレモニーホールが、せいだいげんしゆくかざけられ、大人も子供もたくさんの人がいて、みんなが悲しんでいた。

 すでに心がつぶれていたけいは、その光景を前にして、みようなくらい実感がなかった。

 ここで悲しんでいるみんなの仲間に、自分が入れてもらえるという気がしなかった。感じたのはせいが遠くへ行ったという実感だけ。そして自分の着ている新しい正装の値段を思って、母親に申し訳ないという気持ちが、頭のはしかんでいた。

 会場に、なみだかべて、参列した一人一人にあいさつをしている、せいのお母さんがいた。

 けいともたがいに顔を知っていて、声をかけられたが、けいは目をせるばかりで、何と言って答えればいいのか分からなかった。

 せいの死が、大人たちの中でどういう形になっているのか、けいは知らない。あまり話してボロが出ないように、あまりせんさくしないようにしていたからだ。

 だがそうなると、子供に知れることはあまりにも限られていた。だから、表でどんな事件としてあつかわれたのか全く分からず、しかしせいが『無名不思議』によって死んだという〝真実〟を知っているけいは、そのことでせいのお母さんに対してひどい負い目を感じた。

 せいだいそうしきが、かざけが、照明が、自分を責めているように感じた。

 そしてそんなセレモニーホールの光の中で、けいは『ほうかご』の校庭で行った、真っ暗な空の下の、あやとイルマの葬そうを思い出していた。

 暗くて、まつな、あのとむらいを。

 そして、いま大勢の人たちが悲しんでいるのとはちがい、たった数人の自分たちしか見送る人がおらず、さらに家族からもクラスメイトからも忘れられてしまって、とむらわれることさえなく存在が消えてしまった、みんなのことをだ。

 あまりにもさびしい、最後を。

 たった十年と少しで未来をたれ、そしてたったそれだけの生きてきたあかしすらも、何もかも全て消えてしまったあの子たちのことを。

 だから思った。

 せいは、きっと、これでよかったのだと。

 そしてけいは、せいとはちがう方の仲間入りをする。それを望んでいた。そして思った。自分がそれを望んでいる以上に、自分にはそれが相応ふさわしいのだ、と。

 せいのお母さんに何も言うことができない自分には、光の中でとむらわれる資格はない。

 そして心から悲しみながらここに立っているせいのお母さんを見て、思ったのだ。自分の母親には、こんな顔をさせるのはいやだ、と。

 自分は消える。六年生の終わりまでに。

 だから、できるだけそれまでの間、母親にはしんを感じさせたくはない。

 何の不安もなく、ずっとつうの日常を過ごして。

 そしてある日、何のまえれもなく、とうとつに、自分の存在がなくなるのがいい。

 それが理想。

 だから。


「…………」


 少ししんに思われていたという事実と、急にられたせいの話で、どうようしそうになった自分の態度を、けいいつしゆんで、必死で立て直した。

 まず思い出した。過去の自分を。

 かつて裏で父親にひどいやがらせをされて、その意味も理由も悪意も理解できないまま、ただとにかく母親には知られてはいけないとひたかくしにしていた、幼いころの自分をおのれの中にもどした。

 そして、その自分に、表情を作らせて、言わせた。


だいじよう。なにもないよ」

「そう……?」

「今、どうしてもきたいけど難しい絵に集中してるから、つかれてるのはそうかも」


 本当ではないが、全くのうそでもない理由をつける。母は、けいの絵にかかわることには、あまり反対しない。だからそれを前面に立てる。


「今までいたことのない感じの絵で、すごくなやんでる。でも完成させたくて」

「そう。それならいいんだけど……」


 母は、半分くらいなつとくした様子で、そしてもう半分は出勤時間に追われて、この話を切り上げる。


「でも、体をこわすような根のつめ方はしないでよ?」

「わかってる」


 トートバッグをかたにかけながら、心配そうに言う母。

 けいなおに返事をした。いつもそうしているように。

 いつもと変わらない表情で、母を見る。


 その真横に、


 部屋のかべに穴があった。

 視界のはしに見える洗面所の鏡が、あかむらさきいろに光っていた。

 耳元で、ぼそぼそと『まっかっかさん』がささやく。


「――――――――」


 く聞き取れない、うわごとのような言葉。しかしそれは聞き取れないにもかかわらず精神に毒のようにみこんできて、けいは母親に気づかれないように、そしらぬ顔をして、テーブルの下で左手を強くにぎりしめた。

 薬指のつめが、手のひらにさる。

 けんの切っ先のようにとがらせて切った薬指のつめが、手のひらのをぶつりと破り、中へと食い込んで、肉の内側にれられた神経が、痛みでしやくねつした。


「行ってらっしゃい」


 けいは言った。何事もないかのように。

 左手の手のひらに、ぎりぎりと、力の限りにつめしながら。


「うん、じゃあ、行ってくるね」


 げんかんでせわしなくくつきながら、母が言った。


「ごめんね、お皿、片づけといてね。それから明日の学校の準備も」

「わかってる」


 けいは答えた。そしてテーブルについたまま母親を見送り、耳をませても足音が聞こえなくなるまで、にぎりしめた左手に力を入れ続けた。


「っ!」


 そして、母親がもどってこないことを確信してから、けいは耳元の『まっかっかさん』をはらう。何の手応えもなく、あんなに近くにいた『まっかっかさん』が夢のようにかき消え、同時に周囲にひしめいていた『無名不思議』がかげまぼろしのように消え去って、後には左手のひらの痛みだけが残った。

 けいは、つぶやいた。


「……急がないと」


 だんだんと『やつら』がせんめいになっていた。だんだんとひんも増えていた。

 けいは自分の部屋をかえった。視線の先は、今はふすまが閉じられていて見えないが、自分の部屋のイーゼルに立てかけられたキャンバスのある方向だった。

 けいは席を立ち、部屋のふすまを、する、と開ける。

 キャンバスが姿を現す。それは今、元の白紙ではなくなっていた。


 そこには、異常なコラージュがあった。


 キャンバスがスケッチでおおわれていた。キャンバスの表面に、一見して数えられないほどの異形めいたスケッチが、まるでうろこのように張りつけられていた。それは今までいてきた、無数のスケッチからてつていてきに選び出されたもの。それが切り刻まれて形を整えられて、パズルのようにぎっしりと、キャンバスをめ、びようによってとめられていたのだった。


 絵の構想が、完成したのだ。

 後は、さいまで進むだけだ。


 今のけいの状態は、だれにも言っていなかった。

 母親にはもちろん、きくにも、にも、『ろうさん』にも。

 たぶん、今、けいは全ての『学校のかいだん』を背負っている。『無名不思議』を、つまり『ほうかご』を、全てこの身に背負っている。

 いずれ自分は死ぬだろう。この『無名不思議』のどれかによって。

 一度は大人しくなった『まっかっかさん』の予言の通り。必ず自分は死ぬだろう。


「なにもないよ」


 そう言って、だれにも知らせずに、けいは全てを背負った。

 せいがそうしていたように。けいは、せいいだのだから。だからけいは、せいのように、だれにも知らせずに、全てを背負って、死ぬ。

 みんなを救うために。

 きくを、それから学校の全ての子供たちを救うために。

 せいが救おうとしていたものを救うために。救おうとして――――そして、きっと、たぶん、せいのように死ぬだろう。

 そうして『学校わらし』の輪に加わる。

 表の世界を『無名不思議』から守る、ぼうていの一部になる。

 せいがそうしたいと願った、望みを代わりにかなえる。

 そしてけいはその副産物として、あるいはほうしゆうとして――――母親を、自分という存在から解放するのだ。

 けいは、心に決めていた。

 こわくはなかった。しかしそれは、死によって願いがかなうからではない。

 そんなもので、死ぬのがこわくなくなるはずがない。化け物がこわくなくなるはずがない。

 だとしたらなぜか。


 けいはすでに――――


 そこにあるのは画題。それが全て。他はもう、何も必要なかった。

 もしも望みがあるとするならば、終わりの時までが、少しでもおそいこと。少しでも長く、く時間をもらえることだけ。


 ………………

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