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「お前らー、こんなに気が緩んでるってことは、夏休みは楽しかったみたいだな? よかったな。一応教えとくけど、お前らが長期休みでも、先生は別に休みじゃないからな。補習やら出張やら二学期の準備やらで、先生は普通に毎日出勤だったんだからな。少しは先生に感謝の心を持てよ。それから大人になったら一ヶ月以上の休みなんて二度とないから、今のうちに噛みしめとけよー」
朝の会の開始時間になっても一部が私語をやめないクラスに向けて、担任のネチ太郎の説教が始まって、本格的に始まる新学期。
その片隅にいる菊。始まった学校は、少なくとも菊のクラスから見る限りでは、夏休み前と変わらない、平穏そのものの学校だった。
だが――――惺は死んでいるし、留希は消えている。惺のいたクラスは、中心人物だったクラスメイトの死という出来事に、明らかにざわついて浮き足立っていたし、留希の存在は学校から完全に消えてなくなっていた。
菊の新学期は、そうして始まった。
傍目には何の変わりもない新学期。しかし菊からすると、学校は明らかに、夏休み前とは変わってしまっていた。
惺がいない。
留希がいない。
啓との関係は深まっていたが、惺がいないせいで、学校で話すことはむしろ減った。
そして――――夏休み前にはいなかったと思う『目に見えないモノ』が、休みが明けた学校には、増えていた。
元々霊感のある菊は、学校でも外でも、この世のものではない何かに人が近づいてしまっているのを見かけるたびに、それとなく引き離すといったことを今までもしていたが、明らかにそうする必要のあるものが校内に増えていた。
新学期になって数日して、菊が校内に危険な〝何か〟がいないかと、それとなく見回っていると、休み時間に一年生が、何人か校舎裏に集まっているのを見つけた。
「……なんの穴?」
「なにか見える?」
「見えない」
壁に張りつくようにして口々に言い合っている、その小さな子たちの様子を見て、菊は思わずぞっとなった。そこが『こちょこちょおばけ』の本拠地だったことを菊は知っていたし、何より子供たちが頭を寄せあうようにして熱心に覗き込んでいる壁に、穴なんか空いてなかったからだ。
「!」
急いで『狐の窓』を向けて確認すると、そこに穴が見えた。
黒い穴。そしてその黒い穴の奥から、じわ、と浮かび上がった、爪先立ちで穴を覗いている一年生の目と触れんばかりに近い真っ赤に充血した凝視する目と、それが見えていない様子の一年生。
菊は慌てて、その子供たちに近づいた。
「だ、だめだよ!」
声をかける。驚いて振り返る一年生たち。
「あ、あぶないから、壁にイタズラしちゃだめ。先生に言うよ?」
「はぁーい……」
菊の注意を受けて、立ち去る一年生。子供たちを追い払った菊の背中に、視線を感じる。
後ろには、校舎の壁しかないのに。『狐の窓』を向けていない菊には壁しか見えない。しかしどこから視線を感じるのかは、明らかだった。
「…………」
そこに何がいるのかも、明らかだった。
明らかに『無名不思議』が、昼の学校に染み出していた。
元『かかり』の命を使った『学校わらし』の輪は、『無名不思議』が外に出ることを阻んでいる。だが小学校の中は〝輪の中〟だった。孵化して育った『無名不思議』は、だんだんと学校に現れ始めるのだ。菊はそのことを知っていた。
すでに『赤いマント』もそうなっている。
いまや菊は怖くて遠目で窺うことしかできない、個室に赤い袋が並んで吊り下がっている『赤いマント』のトイレは、なぜだか利用者が少ない。目撃した子がいて噂になっているのか、それとも見えてはいないが嫌なものを感じ取っているのか、とにかくこのトイレは何となく避けられていた。いつ見ても人がいないのだ。
同じような現象を、菊はもう過去に経験していた。
去年『かかり』の犠牲者がだんだんと増えて、人が少なくなってしまった、後半にだ。
減った『かかり』は餌食にされて、同じ数の成長した『無名不思議』が現れて、学校をうろつき始める。去年の最後は、そうなってしまった学校を惺と二人だけで、ひたすら身を潜めるようにして、やりすごしたのだ。
今回はずいぶん早くそうなった。
惺は、そうならないようにしたいと願って、今度は防ごうと、あれこれ試みていたのに皮肉だった。
今、また、取り残されるように二人だけになった。
二度目。二人きり。命がけの『ほうかご』。今度は啓のことを手伝いながら。
ただ――――
そんな二人の状況は、意外なほど、安定していた。