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二十六回目。
二十七回目。
二十八回目。
そして二十九回目の『ほうかごがかり』を終え、記念すべき三十回目。いつものようにチャイムと放送によって呼び出されて『ほうかご』に立った菊は、それと同時に自分が、たくさんの視線にさらされていることに気がついた。
「えっ」
顔を上げる。そこは、自分が担当している『テケテケ』のいる教室。
廊下側の窓をテープで塞いだ教室。塞いだテープの間から、教室の後ろに子供たちが図画工作の授業で描いた、互いの肖像画が並べて貼ってあるのが見える、いつも最初に目に入る教室だった。
今は、『窓』を介して見なければ、何の異常もないはずの教室だった。
菊が、封じたはずの教室。
その教室の、肖像画が。
増殖していた。
後方の壁一面に、縦横に並べて貼られていただけだった絵が、いつの間にか滅茶苦茶に数を増殖させていて、完全に後ろの壁からあふれて、教室中の天井や窓や棚や床や、黒板や机の板面に、おぞましく悪化した病変のように、覆って広がっていたのだった。
絵が、教室内を、侵食していた。
そして教室を埋め尽くし、見ていた。
凄まじい数に増殖し、折り重なるように教室の中を埋め尽くしていたそれらの、いびつで不統一に戯画化された無数の目。それらがぎょろりとこちらを、廊下に現れた菊の方を、一斉に向いて、そして凝視していた。
「あっ……」
悪寒が走った。鳥肌が立った。
初めて見る変化だった。絶対に、よくない変化だった。
目が合っていた。壁を這うように広がった、無数の上半身の絵と。そして壁を這って増殖したそれは、教室後方の出入口の、扉の隙間から廊下の壁にあふれ出していて――――――
剥き出しのそれと目が合った。
画用紙の中のそれが、明らかにこちらへと向けて身じろぎした。
動いた途端に、画用紙の下部で胴体が断ち切れて離れた。その断面から、どっ、と大量の血があふれて、そして絵から廊下の壁に向けてこぼれ、カーテンのように壁をつたって流れ落ちた。
そして――――全ての絵が、その瞬間に動き出す。
人間の子供の上半身を模した何かが、絵の中から蛹を脱ごうとするかのように一斉にみもだえし、引きちぎれた腹部から流血して、一瞬にして教室の中が、視界が、流れる血でいっぱいになった。
めしゃ、と紙を握って潰す音がした。絵の人間が、画用紙の縁をつかむ音。
あっ、ダメだ。即座に悟った。下手くそな、あまりにも歪んで戯画化された、あまりにも原始的に人間を表現したそれから、強烈な剥き出しの、〝悪意〟を感じた。
「…………!!」
思った。とうとうこの時が来た。
顔が引きつった。ばくばくと心臓が鳴った。
ここで、どうにかするしかない。菊は、手にしていた箒を、怖れと緊張で震えながら、啓への使命感だけを支えに、構える。
が。
足をつかまれた。
振り返った。えっ、と。
そして絶望した。そこに見えた光景は、終わっていた。
菊の背後の、教室の前側の扉が、完全に開いていた。そしてそこからあふれだした異常な数の子供の肖像画が、廊下の壁から床から天井までを完全に埋め尽くして、そこから何人もの上半身が這い出していて――――菊の足元に迫り、その先頭の一体が、菊の足首をしっかりとつかんで――――そして菊を見上げて、目鼻口の造作のズレた顔面で、笑って、いや、嗤っていたのだった。
脳裏に、『テケテケ』の話が浮かんだ。
追いかけてきた『テケテケ』に捕まると、食べられてしまう。
あるいは、噛まれたり、つかまれた場所が、腐ってしまう。
足首を痛いほど強くつかむ、明らかに人間の肉の感触ではない、紙粘土とゴムで生きた肉を再現しようとしたような『それ』の手の感触。そんな紛い物でありながら、しかし明らかに内部に血がかよっている異様な感触に足首をつかまれて、動けない菊に――――手で床を歩くひたひたとした音が、教室の中で群れをなすのが聞こえた。
………………