ほうかごがかり 3

九話 ⑮

 三十回目の『ほうかごがかり』。

 けいは『ほうかご』に立った。その姿は一ヶ月ほど前のけいを知っていて、久しぶりに会ったという人なら、明らかにそれと分かるほど、顔色が悪くやつれていた。

 ろうし、すいじやくしている。しかし相変わらず目だけは、力を失っていない。

 強い意志と、知性と感性を宿した目。それをぐ前に向け、背中には重い画材入りのはんのリュックサック。かたにはイーゼル。うでにはキャンバス。

 絵は――――『記録』は、着々と進んでいた。

 もう背景はき上がり、全景はほぼ完成していて、後は細部をきこむばかりの、仕上げの段階に入っていた。

 これから、各部にかれている『無名不思議』を、一体一体仕上げる段階だった。たましいと情報をこめて一体をき上げるたびに、その『無名不思議』の『記録』がほぼ完成する。そのはずだ。そう確信していた。

 くいけば、今日にでも仕上がるかもしれない。そんな段階。

 そうでなくても、あと数回で終わる。そんなじようきよう

 ここまでぎつけた。日々を『無名不思議』におかされておびやかされながらも、けいは絵をき進め続けた。いや、おびやかされていたからこそかもしれない。けいのもとに現れるということは、現れれば現れるだけ、それを写し取ることができるきに、その姿と存在を、さらしているということだからだ。

 ふと思う。それとも、『ほうかご』にのがされているだけだろうか?

 努力をした。ふうもした。けいの感覚とどうさつは、過去最大にまされていた。日々おびやかされた。だいしようはらった。心身はへいくして、今や精神力だけで、かろうじて立っている状態だった。

 だがそれでも、ここまでたどり着けるとは、正直に言うと思っていなかった。

 何か理由があるのだろうか? 泳がされているのだろうか? ゴールを間近にした方が、絶望がより深くなるから?

 だが、関係なかった。仮にそうだったとしても関係ない。

 やることは変わらなかった。絵をく。完成させる。完成に向けてき進める以外に、けいに進むべき道などなかった。

 今日、仕上げをする。少なくとも一体は、今日き上げる。

 その最初の一体をどれにするか、もうけいは決めていた。それだけはすでに一歩先、完成寸前まで持ちこんでいた。


 ――――『こちょこちょおばけ』



 今もの姿をして、学校をはいかいしている化け物。

 せいの直接のかたき。これを、たとえ今日、けいたおれるとしても、これだけはき上げるために、今日はやって来た。


「…………」


 呼び出しの放送が終わり、ノイズが流れる空気の中で、けいは顔を上げた。

 今日の『ほうかご』の始まり。最初に立っている通路。そこから見える開けっぱなしのドアの、その向こうにある屋上の、くらやみの中に、じわ、とりんかくがにじんでいる、真っ赤な色をしたひとかげが立っていた。

 けいの担当する『まっかっかさん』。

 そう名付けられたモノの、ほぼざんがいのようなもの。

 もはや、そうやって細部の判然としない姿を見せ、聞き取れないうわごとをささやく程度しかできない存在。けいはいつものようにそれを無視して、背を向けた。もう自分の担当する『無名不思議』に向けることのない目を――――根深くつかれきっていながらも、そこだけは力のある目を、『開かずの間』に向かうために階段の下へと向けた。


〟が立っていた。


 てんじようともる明かりに照らされて、しかし目には、みように暗く感じる階段の下。目を向けるとそこに〝〟が、ぼう、と立っていて、ぽっかりと黒い穴が空いた顔面を、階段の上のけいへと向けていた。



「…………………………………………」



 声も何もなく、ぽっかりと、こちらを〝ぎよう〟する〝うつろ〟。

 行く手をはばうつろの化け物。たいする。きんちようけいくちが引きつって、笑う。


「……初めて、正面からお前の顔を見たよ」


 けいは言った。強がり。そして本心だった。

 絵を〝完成〟させるためには、いつかは、一度は、絶対にこうして、間近にたいしなければならないと思っていた。

 だが、少なくともこんな何の準備もかくもしていないじようきようでやるつもりではなかった。

 ましてやきくがいない、『きつねの窓』もないじようきようでは。

 けいの額から、あせが顔を伝う。


 ………………

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