ほうかごがかり 3

十話 ②

 きくは、『ほうかご』に入った直後、教室からあふれ出した『テケテケ』に囲まれ、足をつかまれ、シャツをつかまれ、うでをつかまれ、とがったつめうでのあちこちをかれて――――そして取り囲まれてかべめられた後、折り重なるようにして上半身に向けてせまって来た『テケテケ』に、深々とわきばらみつかれた。

 ぶち、とみ破られた。音がした。体の外と、中で。

 おなかの肉を深々と食い千切られ、持っていかれた。ぎょろぎょろとちゆうるいのようにでたらめに眼球を動かしながらせまった『テケテケ』の頭部。そのいびつな形をした頭部に、骨格を無視して開いた口の中には、まるでするどとがった小石のような形をした歯がおぞましいほどの数、ずらりと並んでいて――――それがもみくちゃにされた中でしゆつしてしまったわきばらに思い切りみついて、その肉をったのだ。


「――――――――――――――――っ!!」


 激痛。

 明らかに内臓にれられた、深い部分の不快感をともなった、生まれてから一度も感じたことのない激痛。

 それがわきばらしやくねつして、悲鳴にならない悲鳴をあげた。おそろしい痛み。おぞましい感覚。苦痛。かんきよう。全身のに、腹部から広がるようにしてとりはだと冷たいあせして、視界が赤く、そして暗く、せまくなった。

 きようした。生まれて初めて、本当に、本当に、命の危険を感じた。

 必死になって身をよじり、ほうきまわした。生まれてから一度もしたことがない、本気の激しいていこうだった。


「っ!!」


 痛い!

 苦しい!

 死んじゃう!

 頭の中が悲鳴で一色になる。しゃにむにほうきまわした。ほうきたたきつけられ、あるいはれた『テケテケ』がひるんで、囲みに空いたその穴から、足をもつれさせそうになりながらした。


「………………っ!!」


 追ってくる異形の『テケテケ』。背中からせまる、ばちばちとゆかたたく手のひら。かちかちと鳴るつめの音。かいな金切り声。それに向けてほうきまわしながら、必死にげた。体に入った力で、走るしんどうで、わきばらの傷が立て続けに激しく痛んだ。

 傷が、はだが、肉が、腹部が、千切れそうな痛み。

 目の前が暗くなるほどの、内臓にひびく苦痛。そんな痛みの根源から流れ出るみようなほど熱く感じる血と、対して冷たくなってゆく全身の感覚。

 そんな状態で、まともにげられるはずもなく、すぐにまた足首をつかまれた。たたきつけられるように転んだ。昼間のきくがよくやるように。だがここでは意味がちがう。襲われている。絶望する。もうってげるような力は残っていないのだ。

 ずざ、と引きずられた。冷たく硬くざらつくゆかの上を、『テケテケ』の方へ。


「うう……っ!!」


 足元に、ねん絵具えのぐと色紙を混ぜて造形したような、しかし明らかに肉でできたニンゲンが群れをなして折り重なり、波のようにせまった。たがいの血で血まみれになり、血まみれの手を無数にばし、血まみれの顔面をこわれたようにゆがめた群れが、でたらめな並びで歯が生えた口を開け、身がすくむような金切り声をさけびながらきくへと向けてれ込んだ。


「ひ……!!」


 思わずまわした安物のトートバッグが、何本ものうでにつかまれ、軽々と引きちぎられた。

 紙のように。しかし何のていこうにもならなかったそれが、ばらばらになったしゆんかんきくの筆記用具といつしよに中に入っていたものが、空中にばらかれた。

 それは塩。

 ひとふくろの塩。

 塩の入ったビニールぶくろがバッグといつしよに空中でかれ、白い塩がその場にらされると、それがれたたん、押し寄せていた上半身だけの異形の群れが、まるで熱湯でもかけられたかのようにいつせいさけごえを上げて、きくから手をはなして引き波のように下がった。


「!」


 それを見たしゆんかんきくは急いでほうきるって、目の前のろうに線を引いた。

 ろうらされた塩がほうきでなぞられ、いた線が引かれると、その線にガラス窓を閉めたかのようにへだてられて、群れが押し寄せるねつきようにも似たあつとうてきな気配と異常な空気が、大きく弱まった。

 きくは急いで力の入らない身を起こし、改めて線を、ろうはばいっぱいに引き直す。はっきりと、く、強く。そんなきくに向けて、異形の群れは再度押し寄せようとしたが、塩で引かれた線がまるでかべであるかのようにたり、無数の手とつめと歯がそこをえられず、空中をがりがりと引っかいた。

 ろうに、かべが出来上がる。

 自分の流した血と混ざって、まだらになった塩の線と、それを境にした見えないかべ


「………………はあーっ…………はあーっ…………」


 きくは、その光景を前に、かたで息をしながら、くした。

 かべはばまれた、おそろしい異形の群れ。それらが何もない空中を引っかくたびに、ゆかに引かれた塩の線が、まるで空中までつながっているかた土壁かべであるかのように、少しずつ少しずつけずれて、厚みを減らしていた。


「………………!」


 いつまでもここにはいられない。

 それほどたずに、ここは破られる。だが呼吸と心を整える時間が、ほんの少しでも今は必要だった。

 どうしよう?

 絶望的なじようきようを前にして、考える。

 まずはげないと。とりあえずげて、『開かずの間』まで行って、それから、そこでいつものように合流を――――――


「……


 はっ、と気がついた。

 今のじようきよう。終わりの始まり。午後に感じたあの予感。全てが頭の中でつながった。これがぐうぜんであるはずがなかった。

 けいが、絵を終わらせようとしている。その宣言があった矢先の、このほうかい

 必然だと思った。『無名不思議』が、化物たちが、けいが至ろうとしている結末をらおうとしている。けいきくの、ふくしゆう心と努力と、せいの協力と思い出と、悲劇と、思いと、希望と、これまでの人生を、いま最後の悲劇の物語に変えて、余すことなくくそうとしているのだ。

 終わりだ。

 終わりが来たのだ。

 急がないといけない。けいを助けないと。

 どこにいるだろう? どこでおそわれるか分からない。何がおそってくるのか分からない。なぜならきくは、そして何よりけいも、いまや全ての『無名不思議』の記録者なのだ。どれがけいらいに現れるのか分からなかった。

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