ほうかごがかり 3

十話 ④


どうじまさん……?」


 ぼうぜんと、つぶやくけい

 足元にきくが横たわっている。血まみれ。血だまり。血の中に、きくは横たわっていた。

 かべに身を預けて、よこだおしに、自分の流した血の中に横たわるきく。血の気のせたひどく白いはだ。その顔色はしろうとにさえ分かるくらいの、明らかに危険な、いや、明らかにその先の、顔色をしていた。

 そんな白いはだが、血の赤と、強いコントラストを作っていた。

 そして静かに、静かに、横たわっていた。


「なあ、どうじまさん……」


 ぼうぜんと、呼びかけるけい

 きくは答えなかった。目を閉じたまま、静かに。ねむっているかのようだった。

 びたかみが顔にかかっていて、表情のほとんどは見えない。

 だが、血でよごれたほおと、そこに見える口元は、かすかにほころんで、ほほんでいるように見えた。


「なあ……」


 力なく呼ぶけい。その頭上には、きよだいきよが、音もなく広がっていた。

 黒い空。今ここで起こった出来事を、今まで起こった出来事を、この学校そのものを、そしてその中でくすけいを、何もかもあまりにもわいしようなものとして、完全におおくしている広大無辺のくらやみが。

 その真っ暗で、空っぽで、あまりにもきよだいな空の下で。

 けいはかがんで手をばし、横たわるきくほおに、れる。

 冷たいほお。呼吸はない。人形のように。

 だが彼女は人形ではない。けいは何もできず、そのほおに血でりついているかみを、そっとどけた。

 しばし、その横顔を見下ろした。

 頭上の空が、ただ黒く、きよだいに、無限にうねりながら、屋上にたたずむけいと、血だまりの中に横たわるきくと、正門に続く血のあとの先で動かなくなったを、それからグラウンドに立ち並ぶたくさんのたくさんの墓標を、に見下ろしていた。


「……なんなんだよ」


 けいの口から、言葉がもれた。

 小さく、ぼそりと。それは先に、正門のを見下ろして発した言葉と全く同じものだったが、そこにめられたきよは、さらに大きくなっていた。

 心の、感情の、ほぼ全てが失われたかのような、胸に空いたくうどう

 ごっそりと自分に空いた、あまりにも大きなその穴のせいで、身動きができなかった。手足に力が入らなかった。

 あまりにも、で広大な世界。

 全てに意味などないかのように、広大で空っぽな世界。その中で自分はあがいていた。あまりにもちっぽけな、自分が。

 この世界の中で、みんな、みんな、死んだ。

 せいが、きくが、あやが、イルマが、が死んでいき、いま自分だけが一人、きよの中に取り残されている。


「……なんだよ、このごく


 けいはつぶやく。

 自分のやっていることに、やってきたことに、急に意味を見失った。

 せいかたきつため。今までずっと、その一心でやってきた。いや、正直に言うならば、その他のことを考えないようにしていた。

 本当は、心の底では、けいかたきちが成るとは考えていなかった。

 せいのための行動だったのはちがいない。だがこれは、同時にちゆうたおれることが前提の、けいが『ほうかご』で死ぬための、そしてこの世から消えるための行動だった。

 きくよりも、さらに言うならばせいよりも、自分が先に死ぬはずだった。なのに自分だけが生きて、ここにいる。けいが守るつもりだったせいは、けいの目も手も届かないところでたおれ、けいの最後まで付き合わせるつもりはなかったきくは、最後にけいのことを守ってたおれた。

 なんでだ? 何を思って?

 なんなんだこのごくは? こんなことを続ける意味が、本当にあるのか?

 もうみんな、いなくなったのに?

 フェンスの外を見た。ここから、この屋上から飛び降りれば、何もかも全部終わるんじゃないのか? 今からでもそうするべきなんじゃないのか? 最初から、けいが『ほうかご』に呼び出された最初の最初から、『まっかっかさん』がさそっていたように。


「――――――」


 そうして、きくを見下ろしていたけいは。

 ふと、そんな絶望に満ちた、自分の思考のはしが――――きくの血でよごれた白いほおと、考えていることに気がついた。


「――――――――――――――――ははっ」


 けいの口元にみがかんだ。絶望と、ぎやくの笑いだった。

 こんな時にまで絵のことを考えていた自分に対しての絶望。それからきくへの申し訳なさ。彼女をモデルに『オフィーリア』でもくつもりか? だとしたら、ここにいるのは人間じゃあなかった。絵に取りかれた化け物だった。

 かつて幼いけいにとって、絵はきようこくふくのためのものだった。

 自分をおびやかす化け物を、絵にくことでこくふくする。そうやって生きてきた。だがそうするうちに、いつの間にか、自分こそが絵をく化け物になっていた。

 死んだ友達を、どうやって美しくこうかと考えるような化け物に。きくはそんな化け物につきあわされた。そしてそんな化け物を守ってたおれ、その死さえも、命を捨てて守ったはずの化け物の中で絵にされようとしている。


「…………」


 けいは、のろのろと立ち上がり、梯子はしごを登って、屋根の上にもどった。

 そして絵の道具をリュックサックにしまい直し、キャンバスをかついで、梯子はしごを降り、きくの前までもどってきた。


「………………ごめんな」


 そして謝る。つぶやくように。

 きくが何を思いながら最期をむかえたのか、けいには分からない。どうしてこんなことになったのかも分からない。おそわれて大怪をして、助けを求めてここに来て、けいを助けてちからきたのだろうか? それとも大怪をしているのに、ただけいを助けるために、死んでしまうのに、こんなところまで来てしまったのか?

 分かるのは、きと助手として、いつしよに歩き回った日々のことだけ。

 分からないから、謝るしかなかった。けいは化け物だから。その死までもぼうとくしようとした、かいぶつだから。

 けいは、きくを残して歩きだす。

 屋上に放置されていたイーゼルを拾い上げ、かたにかつぎ、それから入口の明かりの下に落ちたパレットナイフを拾って、とびらをくぐって校舎の中へもどる。


「――――――――」


 たんに周囲をめる、校舎を満たしているうすくらがりと、砂を流すようなノイズ。

 その中をけいはただ一人、階段を降りてゆく。

 感じた。校舎の空気が、なんだかさわがしかった。

 何かの物音がするわけではない。声がするわけではない。ただ学校の中を満たしている気配がだんとはちがった。いつもは体のしんから不安を引きずり出されていると感じるほど、異様なまでにせいひつな『ほうかご』の気配が、今はひどくざわめいていた。何かがあるわけではないのだが、ふんみようさわがしいのだ。

 視線を感じる。

 どことも、だれとも知れないが、見られている。

 まるで、学校そのものが自分をぎようしているかのように、くうから視線を感じる。

 学校が。『ほうかご』が。

 最後に残った自分を今まさにおうとしているのだろうか? 『無名不思議』に最後のきばてようとしている自分を、わずらわしい自分を、今まさに、ここではいじよしようと動きだしたのだろうか?

 だったらやればいい。僕はここにいる。

 圧力めいた視線を受けながら、ノイズを浴びながら、うすくらがりの校舎を、けいは歩く。

 そしてけいは、歩き続け。やがて『開かずの間』にたどり着き、音を立ててとびらを開けた。

刊行シリーズ

ほうかごがかり4 あかね小学校の書影
ほうかごがかり3の書影
ほうかごがかり2の書影
ほうかごがかりの書影