ほうかごがかり 3

十話 ⑨

 今まで砂のようなノイズに満たされながら、しかし同時に異様なせいひつさも宿していた校舎の中は、いまきんこうという名の冷たいガラスがこわれて、その向こうに閉じ込められていたきようらんがあふれ出したかのように、あらゆる存在感がくるっていた。

 ノイズがひどい。放送が、どこかにつながっていた。

 今までの、どことも知れないくうつながっていたかのような、砂を流すようなノイズではない。スピーカーが、明らかに意思のある何かと接続していて、しかしそれは一言も発することなく、ただその意思の存在を学校中にひろげながら、息づくようなちんもくを、断続的にガリガリという激しいノイズで乱していた。


 ――――ザーッ――――ガッ……ガリッ…………ガリガリガリッ……!


 まくに穴を開けようとするかのような、火花にも似たノイズ。

 耳と脳をけずろうとするかのような、その強いノイズの中にいるとへいこう感覚もおかしくなり、まいにさえおそわれる。

 みように暗いながらもともっていた電灯が、あちこちで消え、あるいはめいめつしていた。

 ろうの先に続く、うすくらがりと、くらやみと、めいめつのモザイク。そして、そんな毒のようなノイズと光のモザイクの中で、今までずっと校内で静かにしていた全ての異形が、土からしたむしのように我がものがおでうごめいていた。


 教室の中央でねんのように形を変え続ける黒いもや。


 延々とヒールぐつの足音がする教室。


 人の形のふくらみを作ったまま、ずるずると移動する白いシーツ。


 煌こうと明るい教室の中で、無数の机とが何の音も立てずに、寸断してつないだフィルムを上映しているかのように、いつしゆんのうちに何度も、パズルのように組み代わり続けている異常な光景――――







 てん、てん、と。

 白い〝張り紙〟が、異様な存在感をもって点在する、異形がうごめくめいめつするろうを、けいはひとり歩いていた。

 激しいノイズと周りの異様な気配によって、へいこう感覚がおかされて、ぐ歩くことさえ異常にしようもうするろう。得体の知れないきよだいな気配が満ちる中を、ちっぽけなけいが、たったひとりだけで、いやあせかべながら、しかし決然と、歩き続ける。


 断続的なノイズの向こうから、遠い教室でかき鳴らされる、頭がおかしくなりそうなちやちやなピアノの音が聞こえる。


 非常ベルの前を通るたび、赤いランプの光を反射するガラス窓の向こうから、かおのないむらさきいろの女が、、とこちらを見ている。


「………………っ」


 けいは歩く。キャンバスにいた、完成を待つ景色と異形をめぐって。

 たどり着くたびに立ち止まり、イーゼルを立てて、仕上げの筆をき加えてゆく。キャンバスに鼻がつきそうなほど顔を近づけて、虫眼鏡を使わないとつうの人間はしようさいあくできないほどのさいき込みを、じゆのように重ねてゆく。

 大きな異形のコラージュのすきめるようにしてき込んだ、まだ担当する『かかり』がいない『無名不思議』。それをはらんでいる教室の前に立ち、ガラスしに中身をぎようして、仕上げの一筆を書き込むと、教室にともっていた強い明かりがろうそくしたように、昔話で化け物の家の明かりがとつぜん消えるように、ふっと消えて暗くなった。

 絵のすきめる材料として、まだ卵の中にいるかいぶつの命をして、けいは進む。

 そのこうこそ、まさにかいぶつだった。かいぶつかいぶつとして、けいは黙もくと、正気を失いそうな学校の中を、ひとり進み続けた。

 かつてはきくという助手のいた道行きを、ひとりで。

 助手がいてなお、至難だった作業を、たったひとりだけで。

 そして、進むごとに、絵が終わりに近づくごとに、けいへいしていた。

 くごとに、進むごとに、命と心がけずれていた。まるで自分の命を油にして化け物をき、絵筆に乗せて、キャンバスにふうじ込めてでもしているかのように。

 心身を化け物と絵にけずられながら、しかしそれでも、進み続けるけい

 明らかにへいしながら、しかし目の力だけは強いまま、ゆうのように歩み続けるけい


「…………………………」


 助手もおらず。無防備なまま。

 自分の命をけずって。しかし今のけいに、きようはなかった。

 けいは、初めきようえて、次に使命感で、それからきくへのつぐないで、校舎へと最後の絵画行のためみ込んだ。しかし、今はちがっていた。今のけいを動かしているのは、それらのどれでもない、ただだった。

 。ただそれだけ。

 始めてしまったそのしゆんかんけいは〝き〟になった。ただ目の前のものをいてキャンバスに写しとり、絵を完成させることだけを目指す、それだけの存在に。それは、絵をき始めるとしんしよくを忘れるだんけいそのもの。こんな異常事態の中にあっても、けいけいであるという事実以外の何物でもなかった。

 集中したけいは、目の前の絵のこと以外、全てを忘れた。

 けいかいすることも、身を守ることもせず、けいはひとり校舎の中をめぐり、『無名不思議』の絵を仕上げていった。

 目標が目前だった。近づいていった。

 だが同時に、けいだいしようはらっていた。いた『無名不思議』の全てが、けいと一体になってゆくのだ。

 き上げるたびに、『記録』の作成者であるけいが、その『無名不思議』の一部となる。

 記録者とは登場人物だ。き上げた『無名不思議』は、けいらう存在として、後をついて来るのだ。

刊行シリーズ

断章のグリム 完全版3 赤ずきんの書影
断章のグリム 完全版2 人魚姫の書影
断章のグリム 完全版1 灰かぶり/ヘンゼルとグレーテルの書影
ほうかごがかり4 あかね小学校の書影
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ほうかごがかりの書影