ほうかごがかり 3

十話 ⑱


 めぐみは、白みかけた早朝の空の下を、学校に向けて走った。

 何のこんきよもなく、あまりにもうすい手がかり。本来ならば警察にれんらくすべき。だが、なぜだか今は、学校に行くべきだというみような確信があった。

 そうでないと、というみような確信。

 急がなければという確信。それにうごかされて、めぐみは学校へと走っていた。


けい……っ!」


 上がる息の中で、子供の名前を呼ぶ。

 その一心が、声にもれる。その一心で、めぐみは走る。

 だんから運動をしているわけでもない大人の息はすぐに上がり、肺が悲鳴を上げ、心臓がはやがねを打つ。足はすぐに痛みを発する。だがそれでもめぐみは必死で走り、いなくなったけいを捜して、小学校へと走っていった。


「…………」


 徒歩で十分ほどの場所にある小学校は、息せき切って走るめぐみの前に、ほどなくして姿を現した。うすあかるくなりはじめた、しかしくもっていて青黒い空の下。明かりが完全に落とされて、ただぽつりぽつりと街灯に周囲を照らされているだけの校舎は、住宅地の中に、きよだいにそびえる墓石のようにも見えた。

 けいの通う小学校。そこにたどり着いたが、人の気配はもちろんない。

 しきはしんと静まり返っている。息を切らしながら、そんな真っ暗なグラウンドをフェンスしにのぞきこんだめぐみは、それでもだれかいないかと、中に入ることはできないかと、外周をまわって正門を目指した。


 ――――けい、どこにいるの?


 心の中で、いのりのように唱え、問いかけながら。

 けいを捜して。どうしていなくなったのかは後回しだった。いまけいがいなくなっている。大事なのはそれで、他のことは頭から消えていた。

 正門が見えてくる。街灯に照らされた、大きなてつごうの門。

 やはり見えるはんに人はいなかった。だがとにかく門の前まで行き、門にとりついて中をのぞきこみ、だれかいないか探した。

 だが、


 


 とせいじやく。正門も、その中のしきもだ。

 人がいる様子は、どこにもない。もちろん、けいの姿も。


「…………!」


 しようそうにかられる。みような確信をもって、めぐみはここに来た。

 それはくつではなかった。しかし、母親の本能とか、くつえた愛情といったような、れいなものではない。もっと暗い、きようと罪悪感に似た、何かの別の感情にうごかされたその結果だった。

 あの知らない男の子から電話があった時、反射的に意識が否定して、なかったことにしようとしたが、ひとつだけちがいないことがあった。

 めぐみは――――


 けいのことを、


 以前の生活を捨ててまで、たたかって守ろうとした、自分の命よりも愛しているたった一人のむすのことを、忘れていたのだ。ぼけていたわけではない。あの電話でけいの名前を出されたしゆんかんまで、つまり着信で目を覚まして電話に出て名前を出されるそのしゆんかんまでの間、めぐみけいの存在を、

 けいの名前も、存在も、自分が母親であることも、完全に忘れていた。

 反射的に否定したその事実は、しかし時間を追うごとに罪悪感と共にはんすうされ、認めるしかなくなっていた。それは、あまりにも異常な事態だった。

 物忘れなどという簡単なものではない、もっと、異常で、めい的な何か。

 あのしゆんかんまで、自分の中から、我が子の存在が完全に欠落していた。それは思い返すと、とてつもないきようだった。


「…………!!」


 我が子が、うばわれそうになっている。

 その存在とおくまでもが。何かつうでないことが起こっていた。

 だから、めぐみは電話の少年の言葉を信じた。あの少年の言葉で、めぐみけいのことを思い出したからだ。だから信じた。それならけいはここにいる。見えていないけれども、このどこかに、きっといる。

 それに、めぐみの直感も、それをこうていしていた。

 けいはここにいると。めぐみくつでもなんでもなく、ただ直感に従って、校門の前で、いのるようにさけんだ。


けい! いるの!? 返事をして!!」


 けいはどこ? けいに会わせて! けいを返して!!

 ごめんなさい! 忘れそうになって、ごめんなさい! だから帰ってきて! 私のところから、いなくならないで!

 心の中でも、めぐみさけぶ。言葉でも、心の中でも。


けい――――!!」


 さけぶ。なみだかべて。

 その時。



 ――――――お母さん。



 どこからか、けいの声が聞こえた気がして。

 めぐみは大きく目を見開き、かえって、何もない空間に手をばし――――――

刊行シリーズ

断章のグリム 完全版3 赤ずきんの書影
断章のグリム 完全版2 人魚姫の書影
断章のグリム 完全版1 灰かぶり/ヘンゼルとグレーテルの書影
ほうかごがかり4 あかね小学校の書影
ほうかごがかり3の書影
ほうかごがかり2の書影
ほうかごがかりの書影