そして────そんなホールの空気を満たす、細かいノイズ。
天井のスピーカーから漏れ続ける、耳の中に砂を流しているかのような、耳よりもむしろ神経に触れる、微かなノイズ。
校舎の中の空気を満たしている、そのノイズ。降りそそぐそれと、周囲と心の内側の暗闇に苛まれながら、五人の少年少女は鬱々と長くて重い沈黙を続けていたが、やがてホールの端に立っていた一人の女子が口を開いて、みんなに向けて言葉を発した。
「…………みんな、ごめんなさい」
黒い印象の、人形じみた少女だった。
変わった格好の少女だった。長く伸ばした波打つ黒髪に、足首まである黒いスカート。上半身に身につけているシャツは白いが、その大半が、マントのように羽織った大人用の黒いケープによって、ぞろりと隠されていた。
首にはどういうわけか、ひどく目をひく鮮やかな赤いリボンが結ばれている。
右手には、ぶら下げられた電池式のランタン。そして左手には、最も奇妙なことに、赤いドレスを着せられた、首のない西洋人形を抱いていた。
名前を御島恵里耶という。
小柄だが六年生だ。恵里耶はその人形じみた貌を沈鬱にうつむかせ、悔いるように、それからこの状況への困惑もにじませて、ホールにいるみんなに言った。
「こんなことになるなんて……私がもっと、しっかりしてれば」
ランタンの光が、うつむいたその顔を照らす。表情に影が差す。彼女は今年の『ほうかごがかり』にいる、たった一人の経験者。今の状況と去年の様子を身をもって知っている、たった一人の、去年からの継続組だった。
この『ほうかごがかり』について知っている、ただ一人の人間。
だから、この『ほうかご』とは何なのか、『かかり』とは何なのか、ここに呼ばれた自分たちが何をすればいいのか、みんなに教えたのは恵里耶だ。
なのに、こんなことになった。だから彼女は謝る。
謝罪する。もう二人めの犠牲者が出てしまったことを。たった一人しかいない、経験者としての力不足を。
彼女は感情表現が苦手だ、こんな時でも、表情にとぼしい。
その顔を、神妙にうつむかせ、恵里耶はみんなに向かって、深々と頭を下げる。
そんな恵里耶に、同じくホールにいた、別の女子が声をかけた。
「それは、恵里耶ちゃんが謝ることじゃないよ」
恵里耶とは様々な部分で対照的な少女だった。髪を高く二つ結びにして、恵里耶とは正反対のはっきりとした表情。表情のみならず、着ている服もいわゆるギャル寄りで、恵里耶とは違っていかにも外交的で気が強そうに見える彼女は、その印象にたがうことのない、気丈な立ち姿をしていた。
この状況下でいくらか顔色を悪くしながらも、クレヨンサイズのミニライトと、それから重たいバールを、右手にまとめてつかんで持っている。そして空いた左手を腰に当て、力強い仁王立ちで、恵里耶の方を見ている。
「五十嵐さん……」
恵里耶が、彼女の名を呼んだ。
名前は五十嵐華菜。五年生。その首には恵里耶と同じ、しかし彼女の服装にはいまいちそぐわない、赤いリボンが結ばれていた。
「でも……」
「だって、どうにもできないでしょ、あんなの」
華菜は、恵里耶の言葉をさえぎって、たったいまみんなで逃げてきたバリケードで塞がれた通路の方を見ながら、悔しそうに言った。
「だいたい、恵里耶ちゃんが教えてくれなかったら、わたしらみんな、いまごろ何すればいいかも分からずに死んでたかもしれないし。多分もっとヒドいことになってたよ。そこはむしろ感謝してるんだから、謝ることないよ」
そう言い切る華菜の言葉に、誰からも異論は出ない。それでも、恵里耶は頭を下げることはやめはしても、視線は相変わらず落ちたままで、表情が晴れることもない。
「……でも」
「まあ……でも、確かに、ね」
ともあれ、このどうにもならない現実は、華菜も認めた。
「自分を責めちゃうのも、分かるけど。でも、誰の責任でもないじゃん」
言いつつ、ため息とも、吐き気をこらえたとも定かではない、深い息を吐く。
華菜もこうして気丈に振る舞ってはいるが、顔色は血の気が引いていて、唇も白い。恵里耶の自責がひどいことにならないように否定するために、とにかくカラ元気を見せただけでしかないのだ。
「……」
無理に出した元気は、すぐに尽きる。
場は暗いまま。なにしろ友達が死んだのだ。恐ろしい状態で。少し前まで生きていて、言葉を交わしていた子がだ。
恐ろしい悲鳴を聞いて駆けつけると、そこには化け物に手足をちぎられて、五体をバラバラにされた彼の体があった。そして────血の海の中で、残った頭と胴体がまるで火で炙られた樹脂のようにぢりぢりと縮んで変形し、皮膚が溶けたようになりながら、徐々にてらてらと光沢を帯びてみるみるうちに丸い塊に変わってゆくという────あまりにも異常で恐ろしい光景を目にしてしまったのだ。
みんなの目に焼きついた、その惨劇。
それからありありと耳に残っている、校舎の中に長く響いた、すさまじい悲鳴。
その長い悲鳴の間に、彼が何をされていたのか、その瞬間は誰も見てはいない。だがあの光景を見れば、決定的瞬間など見なくても、自ずと知れていた。
彼が────いや人間が、あんな恐ろしい声を出すのを、初めて聞いた。
死んだ春人はおとなしい男子だった。大きな声を出すのはむしろ苦手な、運動も、それに争いごとも苦手な、やや気弱で引っ込み思案な、しかし温和で頭のいい男の子だった。
そんな子の上げた、学校中に響きわたる、すさまじい叫び声。
痛みと苦しみと恐怖と絶望の、比喩ではなく身がすくむ叫び。何分ものあいだ続いたその声が、死によって途切れるまで、たぶん彼はあの恐ろしくて気味の悪い化け物に捕まえられて、その手と足を、想像を絶する力で生きたまま引きちぎられたのだ。
みんな、誰も、そうだとは口にしなかった。
誰もが口をつぐんでいた。口にすれば、直視するしかなくなるからだ。
出現した恐ろしい化け物。友達の悲惨な死。無惨な死体。異常な現象。
そして、それらが次は自分に降りかかるかもしれないという事実。それどころか、今にも化け物がバリケードを破って、このホールに躍り込み、自分たち全員があのようにされたとしてもおかしくないのだという、実感を。
それは小学五年生と六年生に、耐えられるものではなかった。
もっとパニックになっていても、おかしくはない。それでもここにいる五人が、かろうじてこの程度で耐えられている理由は、犠牲者が出たのが初めてではないことと────それからもう三ヶ月近く、毎週ここに呼び出されて過ごしてきた、その期間のおかげ、あるいは、その期間のせいだった。
みんな押し黙った。心が潰れていた。
そんな無言の果てに、一番ショックを受けている様子で、床に座り込んでいた男子が、半ば呆然とした声でつぶやいた。
「越智君……」
一見してスポーツマン風の少年だった。
サイズが大きめのTシャツに、ハーフパンツ。襟足を刈り上げた、活動的な髪型。
その頭に、ゴムバンドつきの小型のヘッドランプを巻いている。そのランプの光が、うつむいた頭にしたがって、座り込んだ足元を照らしていた。そしてその床に落ちた光の輪の中で鈍く光っているのは、今は手を離れて床に転がっている、彼自身の持ち物である、金属バットの持ち手。
それから首に結ばれた、赤いリボン。
彼は志場湧汰。六年生。湧汰はこの三ヶ月間、数少ない男子同士ということで、死んだ春人と、他の誰よりも密に接していた。