そんな仲間の恐ろしい最期を目の当たりにして、彼は過呼吸のような息をしながら、目を見開いて床を見ていた。暗くて硬くて冷たい床にじっと目を落としながら、必死でこの恐ろしい現実と、自分の中の感情に耐えていた。
そんな中から漏れた、たった一言の、死んだ彼の名前。
そのたった一言は、華菜が頑張ってカラ元気で立て直そうとしたみんなの心の堤防に、確実によくない形の穴をあけた。
「なんで、こんなことになっちゃったの……?」
ホールの別の隅に、並んで座っている二人の女子のうちの片方が、つぶやいた。
同じデザインの、色違いのワンピースを着た女の子が二人。二人は同じ顔をしていた。髪型は少し違うが、二人とも同じ、肩あたりまでの長さ。
明らかに双子である二人は、この状況に怯えるように、ぴったりと寄り添って、膝を抱えて座っていた。二人とも、今にも泣き出しそうな顔をして震えていて、いま漏れたつぶやきの声も、なかば涙声だった。
藤田海深と、陸久の姉妹。
つぶやいたのは姉、海深の方。妹の陸久は何も言わなかったが、同じ顔をして、同じポーズでじっと座っている。
そして、二人の首に、そろって同じ赤いリボン。
全員の首に結ばれているリボン。これは別に、みんなで示し合わせて身につけているわけではない。『かかり』として『ほうかご』に呼び出されたときに、全員の首に、なぜか分からないが勝手に結ばれているものだった。
あまりにも気味が悪い。だが、誰も外さずにいる。
というのも、この面々が『ほうかご』に呼び出された最初の日。最初の七人の中にいた一人の男子が、錯乱して学校から逃げ出そうとし────正門から外に駆け出しながら首のリボンを引き剝がした瞬間、ごろりとその場所で首が断たれて頭が転がり落ち、残った胴体が勢いのまま前のめりに倒れて、虫のように手足を動かしながら死んでしまったのを、みんな見てしまったからだった。
その彼はいま、校門の外に並ぶ亡霊の列の、真ん中に立っている。
亡霊の一人になっている。自己紹介どころか、まともに顔を合わせる間もなかった。ここにいる誰も、彼の名前を知らないままだ。
だが、その姿は全員の頭に焼きつき、今も見ようと思えばすぐに見られる場所にいる。
自分もそうなるかもしれないと、みんなが恐れている。
そして今日、恐れていたのとは別の形だったが、とうとう二人目の犠牲者が出た。もうリボンだけではなく、ここでは何が起こるか分からなかった。
どんな恐ろしいことが起こるか分からない。このホールに落ちている重くて絶望的な空気は、改めて突きつけられたそんな不安や恐怖などが、それぞれの中で何重にも重なったものの顕れだった。
「……ごめんなさい」
恵里耶が、漏れ出したみんなの感情に向けて、再び謝罪を口にする。
「私、案内人なのに、みんなを案内して守らなきゃいけないのに、去年のみんなからその役目を任されたのに、全然できてない……」
みんなの感情を自ら背負って、うつむく恵里耶。
「去年とはぜんぜん違ってて、経験がぜんぜん役に立たなくて……」
「だから、恵里耶ちゃんが謝ることじゃないってば」
その謝罪に対してもう一度、華菜がさっきと同じように釘を刺す。
「恵里耶ちゃんのせいじゃないでしょ。恵里耶ちゃんも、わたしらとおんなじで、巻きこまれただけじゃん」
だが華菜は、そう言ったあとで────少し迷って、そしてこれだけは聞かなければいけないと、恵里耶に問いかけた。
「でも……これだけは、一応確認させて」
腰に当てていた手を、肩がけしたサコッシュに触れさせる。
「ほんとにこれで『記録』してれば、化け物は大人しくなるんだよね?」
そのサコッシュの中には筆記用具とノートが入っていて、それが一部はみ出して、フタのない口から覗いていた。
ここにいるみんなは、自分の担当している化け物をこうやって『記録』していた。
自分たちの持ち込んだノートやメモ帳に、日記のように書きこんでいるのだ。
「……うん、去年はそれで、ちゃんと『卒業』してた」
恵里耶は、暗い表情で答えた。
化け物を『記録』する。そうすることで化け物たちはおとなしくなり、六年生の終わりまで耐えれば無事に『かかり』は終わる。初めてみんなが『ほうかご』に呼び出された時、恵里耶はそう説明していた。
恵里耶と────それから、もう一人が。
「それで去年は、みんな…………えっ?」
華菜の質問に答えた恵里耶は、そこで不意に誰かから声をかけられたように反応すると、左手に抱えていた首のない西洋人形に、耳を寄せるように顔を近づけた。
人形の赤いドレスには、よく見ると、首元に赤いリボン。
「えっ。うん…………うん……」
恵里耶はそんな人形の、首から上の何もない空間に少し耳をかたむけていたが、不意に目の焦点が合わなくなって。同時に少しだけ開いた恵里耶の唇の間から、どちらかというと可愛らしい彼女の声とは明らかに違う、落ち着いた少女の声がした。
『……間違ってないわ』
唇は、舌は、動いていなかった。
『記録することは、あなたたちにできる一番の対策なのは間違いないわ。記録は〝あれら〟の最も求める捧げ物。だけど同時に、〝あれら〟の力を最も削ぎ落とす毒よ』
恵里耶は言う。恵里耶の声ではない声で。恵里耶の言葉ではない言葉で。口も、表情も動かさずに。その声で話し始めたとたん、急に、どことなく焦点の合わなくなった目で、みんなの方を見つめながら。
まるで人形が喋っているかのようだった。
いや、それは恵里耶が抱いている人形の言葉、そのものだった。
『記録されればされるほど、〝あれら〟は限界も規則もない化け物から、あらゆるものに縛られた何かに変わってゆく』
彼女は言う。
『でも〝あれら〟は、そんな〝何か〟になりたいの。あなたたち子供が大人になるように。運が悪いと、待ちきれなかった〝あれら〟に襲われるわ。と言うよりも、〝あれら〟は常にそのタイミングを狙ってる。気をつけて』
落ち着いていて、無機質な、しかしどこか優しい声色。忠告の言葉。その言葉のあいだ、恵里耶の腕は、抱いていた人形の体を起こしていた。聴衆であるみんなの方に向けるように。いま恵里耶の口から出ている言葉が恵里耶の言葉ではなく、この『人形』の言葉なのだと、そう示すように。
「『メリーさん』……」
華菜が、人形の名前を口にした。
これは、ただの壊れた人形ではなかった。腹話術のたぐいでもないし、恵里耶の持ち込んだ私物でもない。この人形は、この『ほうかご』に棲んでいる生きた人形だ。春人を殺した〝化け物〟の仲間だ。
恵里耶が担当している。名前が『メリーさん』。
意思を持ち、話をして、『かかり』のみんなに助言をしてくれる人形。その直接の言葉は担当である恵里耶にしか聞こえないが、恵里耶の口を借りて、みんなに聞こえるように話をすることもできるのだ。
『気をつけてね。あとは、記録やお世話が間違ってたり、失敗してたり。それから混乱したり自暴自棄になって、めちゃくちゃなことをしたりすると、襲われるわ』
歴代の担当と共に『かかり』を見守って、助言役をしてきたという人形。
『そんな時に最低限、逃げたり隠れたり身を守ったりできると助かるかもしれない。だから心構えをしておいた方がいいわ。抵抗して助かるとは限らないけど、できなかったら、確実に命を失うのだから』
化け物たちの中で唯一の、子供たちの味方。そんな彼女が言う。
『祈りましょう』
言って、焦点の合っていない目を、少しだけ伏せる。表情のない目と貌に、少しだけ憂いのような影が落ちる。