『越智くんの魂が、安らかでありますように』
「……」
そして、黙禱のような少しの間があったあと、恵里耶は顔を上げた。
その時には、恵里耶の目は元の表情を取り戻していた。顔の表情もだ。元より乏しい彼女の表情だったが、それでも人形と比べると、明らかに表情がある。
ただ、戻ってきた恵里耶は何も言わず、みんなの沈黙も続いた。
黙禱のような沈黙だった。みんな、死んだ春人のことを考えていた。
「………………」
あまりにも自分の死と地続きの────重く、恐ろしい、押し殺した、黙禱。
ずっと、誰も、二度と、口を開かないのではないかとさえ思うほどの、あまりにも重苦しい沈黙。
だがその中で、一人が動いた。
「……ねえ」
華菜だった。沈黙を破る。そして言った。
「あとで、行ける人だけでいいから、もう一回、越智くんのとこに行こうよ」
「!?」
みんなが、ぎょっとしたように顔を上げた。驚き、正気を疑うような目で。だが華菜は、そんなみんなの視線を決然と受け止めて、先を続けて言った。
「まだどうにかできないか、確認しようよ」
「……」
「無理でも越智くんの持ち物だけでも取り返そう。越智くんの、お墓を作らなきゃ」
「!」
それを聞いて、誰かが息を吞む気配がした。
「お墓、からっぽじゃ、かわいそうじゃん。もちろん無理するつもりないし、そしたら取り返せないかもしれないけど。でもそれならそれで、あの化け物がどれくらい危険なやつか、分かるじゃない? 無理しない程度でいいから、調べようよ。生き残るために」
「……」
最初は戸惑っていたみんなだが、そんなふうに華菜の言葉が続くにつれて、徐々に納得が広がった。それから次に賛同や諦めなど、それぞれの受け止めによる反応。
「そうだ。そうだよな……」
顕著だったのは、顔を上げ、手放していた金属バットを握り直した湧汰だ。
それから静かにうなずいて見せた恵里耶と、先ほどより強く身を寄せて座ったまま、ゆっくりとかぶりを振って、視線を落とす双子。
「……ごめん、私たちは無理。自信、ない」
海深が言う。
華菜はそんな双子たちの方も見て、うなずいて言った。
「うん、それでいいよ」
「……」
「隠れてるのもアリだと思う。無理して死んじゃったら意味ないし。何をしたら助かるか、答えなんか、分からないし。とにかく自分で生き残るために、みんなでアリだと思うことをしようよ」
そしてうつむく双子を覗き込んで、言う。
「わたしは見に行く。海深ちゃんと陸久ちゃんは、逃げて隠れる。めっちゃ隠れて、逃げるわけ。それならできそう? おっけ?」
「…………それなら、たぶん」
「よっし」
笑いかける。顔を上げ、毅然と、みんなに向けて語りかける。
「生き残ろうよ」
そう、強く。
「戦おう。観察しよう。逃げて、隠れよう。それぞれできることをしよう。いいと思うことをして、正しいと思うことをしよう」
毅然と、しかし悲痛に、みんなと自分を鼓舞する。
「それで────頑張って、生き残ろう」
華菜は宣言した。
無理をした、蒼白な顔で。
「…………」
「……行こう」
しかし、それでも、その言葉によって。
悲嘆と恐怖と絶望の中で止まっていた一同は、ゆっくりとだが立ち上がり、自らができることのために、再び動き始めた。
………………
3
月曜日。朝。
児童たちの登校も終盤にさしかかり、下駄箱がごった返している時間。五十嵐華菜は、玄関ホールから少しだけグラウンド方面に出たところの、少しだけ目立たない端っこで、隠しようもなく曇った顔で、テンションの低い挨拶をしながら、集まっている『かかり』の面々に合流した。
「……おはよ。確認してきた」
「!」
そして報告する。待ちかねていたみんなに、緊張が走る。
「『メリーさん』の言った通りだった。席もロッカーもなくなってたし、クラスの子に聞いてみたけど、誰も越智くんのこと覚えてなかった」
「……っ」
その報告に、息を吞む一同。
「びっくりした。本当に、存在がなくなっちゃうんだね……」
「そんな……」
湧汰のつぶやき。ショックを受ける面々。言葉がなくなる。
明るい朝の、賑やかな喧騒の、片隅で。
日常の端っこに、行き交う誰にも気づかれることなく、空気が冷え切ったような時間が生まれて、流れていった。
…………
………………
†
あかね小学校は、統廃合によって五年ほど前にできた小学校だ。
児童数の減少によって、二つの小学校が統合されて、新しく建てられた。なので建物は新しいのだが、敷地はもっと昔に閉校になった小学校の跡地が、再利用されている。
旧来の住宅地の一角に建っていて、ほぼ隣と言っていい位置にお寺がある。しかしお寺が近いからといって、それが由来の怪談のようなものはないし、七不思議どころか、噂されている怪談の一つもなかった。
不気味ないわくの一つも聞かない。
気味が悪い場所もないし、開かずの部屋もないし、トイレも綺麗で明るくて、行くのが嫌な場所ではない。
通っている子供たちも、荒れた雰囲気のない子ばかり。
このあかね小学校は、建物も雰囲気も新しい、総じてキレイで明るい、古臭い怪談のようなものとは無縁な、いかにも今時の小学校だった。
「おはよー」
そんな小学校に通う、五十嵐華菜。
五年生。ママがいわゆるギャルママで、自分のオシャレも、娘にオシャレをさせるのも大好きだ。もちろん華菜本人も。
好きな授業は図工と体育。
好きな食べ物はイカの塩辛。
好きな遊びは、泥だんご作り。
朝の会がもうすぐ始まるという時間に、教室に入ってきた華菜は、固まっておしゃべりしていた友達のところに行って、背中にタッチしながら挨拶した。
挨拶は大事だというのがママの教えだ。
別にそれを忠実に守っているわけではないが、華菜の朝は、よく話す友達みんなに挨拶することから、だいたい始まる。
「おはよー、ひーちゃん、もこちゃん、あっちゃん、なっちゃん」
「あ、おはようー、華菜ちゃん」
「いえーい」
振り返って挨拶を返すみんなと、にぎやかに手を触れ合わせる。
「ふーちゃんも、きららちゃんも、おはよー。あ、ゆめちゃん、おはよー、金曜日はありがとね、めっちゃ助かった! すっちーいるじゃん、おはよー、風邪治ったんだ? あっきーもおはよー。木島くんおはよー」
そしてクラスの女子の半分以上と、何人かの男子に挨拶したところで、チャイムが鳴って今日子先生が入ってきて「はーい、みんな席についてー」と声かけをしたので、挨拶の続きはまた後で。
華菜は、友達が多い。
明るく前向きで世話好き。基本的に人間が好きで、人と話すのが好きで、人の顔も名前も憶えるのが得意で、生まれつき人づき合いが身についている、生粋の社交家だ。
意識してそうしているのではない。自然に友達になっている。
華菜にとって、歌にある「ともだち百人」は比喩ではない。ただ華菜本人としては、それが確かに自分の強みで、基本的にはそれでいいとは思っていつつも、決していいことばかりではないと思っている。
そんな華菜は、五年生になって、『ほうかごがかり』に選ばれた。
先生から受け取った、日直のバインダーに挟まれた今日の予定の紙に、手書きで書きこみがされていたのだ。
ほうかごがかり
五十嵐華菜