「俺も、あそこに越智くんがいなかったら、たぶん同じこと思ったかもな」
その隣で湧汰もうなずいた。
「でも、越智くんが死んでたのは、俺も知ってたからな。だから俺が死んでたってのも、信じるしかねえな、って思って。みんなの反応もマジっぽかったし」
誰も座るような雰囲気ではない中で、一人だけベンチに堂々と座って、ばりばりと頭をかきながら、言う湧汰。
「だから、びっくりしたし、やばいんじゃないかって思ったけど────でもまあ考えてみたら死にたいわけじゃねーし、生き返ったんならラッキーかもしれねーな、って思って」
「志場くんは考えなさすぎだよ……」
変に前向きな湧汰の発言に、春人が呆れ、ため息をついた。
「まあでも今は正直、それに助けられてるけど……」
ただ、そうもつけ足す。それでもやはり呆れのほうが明らかに勝っているらしく、複雑な表情で、湧汰に苦言を呈する。
「さすがに前向きというよりも、楽観的すぎだよ」
「スター選手は、前向きなほうがいいだろ?」
悪びれない湧汰。
はあ、ともう一度、大きなため息をつく春人。春人はそれ以上、湧汰に何かを言うのをあきらめると、表情をあらためて顔を上げ、華菜たちへと向き直った。
「まあ、志場くんはこんなだけど……僕はまだ、混乱してる」
そう言う春人に、華菜はうなずいた。
「そうだよね……ごめん」
「うん、だから考える時間がほしいんだけど、正直に言って、考えて何かわかるとは思ってなくて────僕が納得する時間がほしいだけで────言っとくとこれは『ほうかご』の怪奇現象だから、『ほうかご』にしかヒントがない気がしててさ」
春人は胸元で手ぶりをしながら、まだ自分の中でまとまっていない考えを、頑張って言葉にする。
「だから、すぐに話ができなくて悪いけど、でも次の『かかり』までに、どうするか考えたほうがいいと思うんだ。これから何が起きそうとか、何を調べたらいいかとか、それまでに準備しとくものとか……」
その様子は、他でもない、今まで通りの春人だった。怖がりだが、頑張って冷静に、できるだけ観察して考えてアドバイスをくれる。今まで『かかり』のブレーンとして、みんなが頼りにしてきた春人。
「……やっぱり、越智くんだ」
思わず口に出た。春人がいぶかしげな顔になる。
「どういうこと?」
「あ、ごめん。越智くんがいなくて、ずっと心細かったから、嬉しくて、つい。何回も、越智くんがいれば、って思ってたから。だから越智くんが話してるの聞いて、心強くなって、つい言っちゃった」
目を細めて笑う華菜。春人はその笑顔を見て、恥ずかしがるように顔をそらして、もごもごと口の中で言う。
「……それ、僕は全然身に覚えがないから、逆に不安になるんだよね」
「ごめんね?」
あやまるが、笑顔の華菜。
「でも、頼りにしてる」
「……」
そして真っ直ぐに言う。目を合わせないまま、春人は答えた。
「……まあ、うん……がんばる」
「うん」
華菜はうなずく。
そして思った。今は。喜ぶべきだと。
もう二度とないと思っていた、この時間を喜ぶべきだと。春人と、湧汰と、また話ができることを、どれだけこれが異常な状況だったとしても、この先に何が起こるか分からない不気味な状況であるとしても、変わらない二人と再会できたこの状況だけは、幸運として喜ぶべきだと思った。
それに何より。また欠けのないメンバーで『かかり』をすることができるのだ。
上手くやってきたつもりのメンバーが欠けた、あの時の恐ろしさ、喪失感、心細さ。埋まるはずのなかったそれが、全てではないにせよ埋まるのなら────それが異常事態によるものだったとしても引き換えにできる。そう思ったのだ。
そして。
あっという間に日が経って、週末。
それぞれ思うところを抱えながらも、前を向いて、金曜日。
久しぶりに全員がそろう『ほうかご』に、久しぶりの心強さと、ほんの少しの嬉しさを感じながら。華菜は自分の部屋のベッドの上で、いつもの荷物と武器を手にしながら、十二時十二分十二秒のチャイムを待った。
†
…………
音割れしたチャイムと放送が鳴り響き、部屋のドアが開いて。
ドアに向かい、眩暈と共にドアを通り抜けると、外からの明かりが射しこむだけの、いつもの暗い『ほうかご』の廊下に立っていた。
目の前に教室。教室の電灯がじわりと灯って、教室の窓が照らされる。
血の手形と「たすけて」の血文字。それをただの背景として、いつものように見なかったことにした華菜は、いつもよりも急いで集合場所のホールへ向かおうと、薄暗い廊下の真ん中で身を翻した。
久しぶりに、『ほうかご』に、みんなが。
その事実に心が躍る。説明のできない一抹の不安はあるが、それを上回る喜びがある。
華菜がそんな思いで、ホールへ向かう最初の一歩を踏み出そうとした時だ。
背後で、
ピンポーン、
といきなり電子音が鳴った。
「!?」
ばっ、と振り返った。
廊下の虚ろに響き渡ったのは、人感センサーの音。何もいるはずのない廊下の端の、別の階とつながっている階段のスペースに、万が一何かがいた時のために仕掛けた、センサーが鳴らした音だった。
「………………!!」
心臓が跳ね上がった。鳥肌がたった。
息が止まる。甲高く安っぽい電子音の余韻が消え、元の静寂に包まれた空間で、見つめた廊下の先は、暗闇に沈めたように真っ黒で、そこに何も見ることはできなかった。
だが、
何かが、センサーに触れた。
何か、そこに、いる? 何が?
「………………」
息が止まったまま、体の動きが止まったまま、まばたきが止まったまま、見つめる。
視線の、廊下の先の暗闇は、ただ静止していた。何も見えない。何も。
しん、
とした、暗闇。
あまりにも暗くて、奇妙な粘性のようなものを感じる、闇。
ふと、かすかに震える自分の左手が、持っているものを意識した。
クレヨンほどのサイズの、しかし強力なペンライト。張り詰めた、そして凍りついたような異様な対峙のなか、華菜は自分の手の中にあるそれの存在を思い出し────それのスイッチを押し込んで、先端に灯ったレーザービームのように遠くまで届く光を、手首の動きで、通路の向こうへと、その奥にわだかまる濃い暗闇へと、向けた。
子供の腕が生えた人形の頭が立っていた。
照らされた。見えた。廊下の端にいた。こちらを見ていた。目があった。
ぶわっ、と悪寒が背中を駆け上がった。恐怖が。それから疑問が。
なんで!?
恐怖と共に、その疑問が頭を駆け上がる。
その人形は──────春人の顔をしていた。
ひた。
とライトの光の中で、それが動いた。
「!!」
瞬間、反射で体が動いた。だっ、と身をひるがえし、即座に廊下を逆方向へ、走って逃げ出した。息ができないまま全速力で走り、階段を駆け下りる。そして息が続かなくなり、水面に顔が出たかのように激しく息を吸い込んで、あえぎ、呼吸に苦しみながら手足を振って、廊下を駆け抜けて、必死にバリケードを目指して逃走した。
「………………!!」
後ろは見なかった。その余裕もなかった。
だが気配はあった。背中の向こうに、あれの気配がする。
ピンポーン、
と自分がセンサーに触れて、間近でチャイムが鳴る。
それに遅れて、
ピンポーン、
と離れたところでチャイムの音が続く。
「…………………………!!」