空を仰ぐように、ベンチの背もたれに背を預ける湧汰。
「確かに、あれすげえよな」
「そうらしいな。できるなら実際に見てみたかった」
湧汰のため息まじりの言葉に、啓が応じて言う。
「絵に描きたい。想像で描くことはできるけど、それだと僕の想像を超えない。そういう普通じゃないものは、実際に見て、スケッチしたい」
その言葉は今までと変わらず、表情も淡々としていたが、その目の奥に不意に奇妙な情念が宿ったように見えた。ひどく暗くて────赤い情念。そう感じた。気づいた華菜はぎょっとしたが、しかしそれは一瞬のことで、すぐに見えなくなり、啓はつい今しがたまでと変わらない態度で付け加えて言った。
「あとは、去年生き残った『かかり』の一部は、実は完全には助かってなくて、ここの二人みたいな状態になってる可能性もある」
「あ……」
その想像はしていなかった。
顔色を悪くして口元を押さえる恵里耶。みんなの間に、沈黙が落ちる。
「…………」
「まあ────とにかく、全体的にはこんなところだ。あとはそれぞれの『無名不思議』を個別に分析して、地道に記録していくしかない」
啓はまとめた。
「自分の担当の『無名不思議』がどういうものなのか、徹底的に観察して、考えて、記録するんだ。それ以外に今のところ、奴らを大人しくさせる方法が見つかってない。だけど、逆に言うと、それが成功すれば『卒業』まで生き残る確率が上がることがわかってる。
外見、印象、行動、変化、できるならそれ以上のものも、全部記録するんだ。
それ以上のもの、っていうのは、たとえば『霊感』が見たり感じたり読み取ったりする、普通の人間じゃ知ることのできない情報がそうだ。他に、普通の人間ができることだと、奴らのルーツを探るのなんかは、有効だってことがわかっている」
啓は言う。華菜は気づいた。ここからは、事前に会って話を聞いていた華菜も、まだ受けていない、実践のレクチャーだった。
たずねた。
「ルーツ?」
「そうだ。奴らにはルーツがある。それを見つけて記録するんだ。これに成功すると記録の強度が段違いに上がる」
答えて言う啓。
「まず、奴らは『学校の七不思議』の雛だ。だから、もうある怪談と似てることがある。それを見つけると奴らは未知の恐怖じゃなくなる。
それから、奴らは担当の『かかり』を怪談の被害者という餌にするために、僕たちにとっての何かになろうとする。僕たちの人生に強くかかわる何かになって、僕たちの人生の最後という物語として、できるだけ怖い怪談の結末というやり方で捕食しようとするから、それを見つけて記録することに成功すると、もう結末の見えた話になって、僕たちを殺す化け物としての力が弱くなる」
「ルーツ……」
思わず華菜は考える。だが考えたのは、自分のことではなかった。あの人形頭の化け物。砂になった湧汰。双子が担当している人体模型と骨格模型。他の子のことばかり。どうしようもない、華菜の性分だった。
「たとえばだ」
そこで啓は、手を背中に回し、背負っているリュックサックのポケットを探り、携帯を取り出した。
「たとえば────えーと、こっちで色々調べたんだけど────たとえば、君らが『ほうかご』にいる時に首に巻かれる赤いリボンだけど、調べたらそれと似た、全国的に広まってた怪談があった」
「えっ」
「『赤いマフラーの女』というやつだ」
華菜も、それからみんなも、その言葉に驚いた。啓はみんなが注目している中、慣れていなそうな手つきで携帯を操作し、そしてメモのアプリを呼び出して、「えーと……」と目を細めて内容を読み上げた。
「あるところに、一年中、いつも首に赤いマフラーを巻いている女がいた。ある男がその女のことを好きになって、告白して交際を始めた。男はいつもマフラーを巻いている理由を女にたずねたが、女は『いつか教えてあげる』と言うだけだった。やがて二人は結婚することになった。男はもう一度マフラーの理由をたずねた。女は『そろそろ教えてあげる』と言った。そしてマフラーを外した。そのとたん、女の首はぽろりと落ちた」
沈黙が落ちた。
ひどい沈黙だった。全員、顔色を失って押し黙り、動きを止めて立ち尽くし、あるいは無意識に自分の首に手をやった。
みんな思い出していた。『ほうかご』で自分の首に巻かれているリボンの感触を。それから全員が初日に見た、自らリボンを外して、それと同時に首が落ちた、本当は『かかり』の仲間としてやっていくはずだったのだろう、名前も知らない男子の死に様を。
それから校門の前に並んで立つ、通せんぼの子供たちを。
初日に首が落ちた男子を含む、その五人ほどの亡霊たちは、全員が首に赤いリボンを巻いていた。自分たち全員の首にもリボンが巻かれているので、今までそのように意識したことはなかったけれども。
「話にはいくつかバリエーションがあるらしい。女と男が幼馴染で、どうしてマフラーをしてるのか、っていうやりとりを何度も繰り返す話だったり」
そんな、みんなの沈黙の中、啓は続ける。
「それから、秘密を見せた女がそのまま男の首を切り落として、その後、赤いマフラーを首に巻いた女と、青いマフラーを首に巻いた男の、夫婦の姿が見られるようになった、っていう結末だったり」
「………………」
切れた首をマフラーで繫いで隠して生活し、外すと首が落ちる人間。秘密を知った相手の首を切り落とし、仲間にする化け物。
話を聞いているうちに、みんな、自分の首にギロチンがかかっている気分になった。
みんなうっすらと思っているが、いつもはできるだけ考えないようにしている、あのリボンを外したら首が切れるのではなくて、実はリボンの下ですでに切れているのではないかという想像が、ありありと浮かんだ。
自分の首に巻かれた、『ほうかご』のリボンの感触。
そのリボンの下の首が、肌が、中身が、骨が、鋭利に切断されていて繫がっていない、幻の感覚。
それらが、いま聞かされた話にからみつくようにして、頭に、体に。
自分たちが怪談の登場人物になっている想像に、感覚に、どうしようもなく襲われる。
「こういうルーツを探すんだ。それぞれ」
啓が言う。
「観察して、記録して、その記録を分析して、それも記録する。『無名不思議』がどういうものか分かれば分かるほど、それを記録するほど、奴らは弱くなる。そのぶんだけ奴らの自由がなくなって、『かかり』を殺すだけの力がなくなる。
観察。分析。記録。『かかり』がどうしてそれをしなきゃならないか、何を目標にしてそれをするのか、っていう理由が、それだ。君らは学校が新しいせいで、そういう情報が今までなかった。今日、それを教えるから、これから頭に入れて、自分の担当してる『無名不思議』を観察して、よく考えろ。やり方は僕らが相談に乗る。分析にも協力できる。
とりあえず────君らの担当してる『無名不思議』と似てると思う怪談を、こっちで調べてきた。まずは、そいつらにその名前をつけるところから始めよう。それから、君らの『無名不思議』と、君らの状況について、個別に話をしよう。他にも協力できることは協力する。気になることとかあったら、好きなだけ相談してくれ」
………………
5
数時間。
夕方になるまでみんなと話をして、啓は帰っていった。
全員に連絡先を伝え、また来ることを約束して。とりあえず夏休み中は週に一度、啓がここを訪ねて来るということになった。
日の傾いた公園で、残されたみんなは、それぞれの表情で啓を見送った。それぞれ『かかりのしおり』を渡されて、個別に何十分も啓と話をした後のみんなは、決して明るいものではなかったが、最初に公園に集まった時とは、また違った様子になっていた。
「……」
恵里耶は疑いとも心配ともつかない、まだ確信が持てないような表情で、啓が去っていった方向をじっと見ていた。