海深と陸久は、二人で寄り添って、こそこそと話していた。怯えと不安ばかりだった最初に比べて、少し前向きな顔。絵が『記録』に有効だと知ったのが大きかったようだ。啓が絵によって『無名不思議』を無力化したことがあるという事実を知り、さらに、絵本で入賞したことがあるくらい絵が好きで得意だというのを見込まれて、啓から絵の指導をしてもらえることになったのだ。
そして────春人と、湧汰は。
二人は啓と話したあと、どこか放心したような、抜け殻のような顔で、公園にいた。
「残念だけど、君らに僕から言えることはない」
啓は二人に言ったのだ。
「たぶん、手遅れだ」
二人はもう『かかり』としては死んでいると、啓は断言した。
湧汰と春人が、『かかり』として『ほうかご』に戻れることは、たぶんないと。それからこのあと二人がどうなるかも分からないと。寿命が減って早死にするかもしれないし、何事もなく普通に人生を終えるかもしれない。だが断言できることは何もないと。少なくとも生きてここにいることが、これ以上は望めないほどの幸運だと。
そして。
いま二人は────『ほうかご』で化け物になって、仲間を襲っている。
きっとそういうことなのだと、うっすらと分かってはいたが、認めたくなかったことを、啓は断定した。
二人はそれから、気落ちしたような、気力がなくなったような様子で、みんなの個別の相談が終わるのを待っていた。仲間はずれになった、しかし他に行く場所もない、そんな様子でぽつんと時間を過ごし、そのまま啓を見送った。
二人は、啓に見捨てられた。
啓は、華菜と二人の時に、こっそりと言った。
「君がリーダーなら、大事なのはトリアージだ」
と。
「トリアージは分かるか? 災害なんかでたくさんの怪我人が出た時に、最初に治療の優先順位を決めることだ。今にも死にそうな奴と、まだ助かる奴、先にどっちを助ける? この答えは『まだ助かる奴』だ。一人でも多く生かして帰したいなら、手遅れの奴は優先できない。難しいと思うが、憶えておいた方がいい」
と。
「…………」
その〝アドバイス〟が、二人を見る華菜の心を、重くしていた。
いや、確かにきちんと考えれば、二人は啓が言うように、幸運だった。
少なくともここにいる二人は、消えずにいる。あるいは消えたのに助かった。一度、この世界から本当に消失してしまった様を見ているからこそ、この幸運がどれほどのものか、華菜には理解できる。
だが、それでも。それでも、二人の虚脱が、心に痛かった。
ここにいる自分と地続きだった、間違いなく今までそう思っていた自分が、化け物に殺されて、脱落して、仲間を襲う化け物になったのだ。どんな気持ちなのだろう。想像が追いつかない。どんなふうに声をかけていいのか分からない。
でも────声をかけないわけにはいかなかった。
二人は仲間で、華菜はリーダーなのだから。
そして、華菜には話さなければいけないことがある。湧汰に、言わなければいけないことがある。
「ねえ……」
華菜は、二人が黄昏ているところに近づいて、声をかけた。
気づけば彩度がすっかり落ちた空の下。それでもまだ熱が残る空気の中、公園のベンチに影を落としていた大ぶりの木の根元で、木に寄りかかってどこか遠くを見る湧汰と、うつむいて立ち尽くす春人。
「二人とも、大丈夫……?」
「……」
その声かけに、二人はすぐには反応しなかった。二人とも、じっと何もないところを見つめて、何か考える表情で、黙っていた。
沈黙。
やがてぽつりと、湧汰が口を開いた。
「……残念だけど、俺らはもうゲームオーバーなんだな」
その淡々とした、寂しそうな声を聞いて、華菜はぐっと胸がつかえた。
「っ……」
「向こうの俺らは、バケモノになっちまったってことなんだろうな。悪りぃ、リーダー。もう助けになれねえわ」
どこか遠くを見たまま、謝る湧汰。違う。違うのだ。謝らなければいけないのは、華菜の方なのだ。
「それどころかヤバいのが増えちまった。マジでごめん」
「……違う」
言わなければいけない。言いづらいけれども、言わなければいけない。
湧汰をそんな風にしたのが誰なのか。誰のせいで『ほうかご』で、湧汰が死ななければならなかったのか。
「違う! ごめん! わたしのせい!」
だから、華菜は言った。言って、深く頭を下げた。
「あ? 何が?」
「話、聞いたと思うけど────志場くんが『ほうかご』で死んじゃったのは、わたしが越智くんの『記録』をしようなんて言ったからだよ!」
突然の華菜の発言に驚き、不思議そうにする湧汰に、華菜は懺悔する。これだけは言わなければいけなかった。謝らなければいけなかった。
「わたしがあんな提案したから、越智くんのバケモノも引き受けちゃって、襲われちゃったんだよ! 本当にごめん!」
頭を下げたまま、華菜は勢いのまま言う。言いながらぎゅっと目をつむる。本当に申し訳なかった。言葉にしてしまうと、その申し訳ない思いが、後から後から噴き出して、止まらなくなった。涙が出そうだった。
「ごめん、あんなこと、言わなきゃよかった……!」
心の底から謝罪する華菜。
湧汰は、そんな華菜の言葉を聞いて、遠くを見ていた目を華菜に向け、「あー……」と少し困ったように指先で頰をかいた。
「いや……いいよ。あの時は知らなかったし。俺も一応、こうして生きてるし……」
「でも、悪影響あるかも、って言ってた……!」
「いや、寿命とかそんな先の話されてもわかんねーし、何もないかもなんだろ? だったらいいよ、別に。俺たち失敗したけど、運はよかったんじゃね? って、越智くんとも話してたんだよ。な?」
「あ、うん……」
話を振られて、慌てて顔をあげ、うなずく春人。
「ショックはショックだけど……ここにいる僕は別に怖かったり苦しかったりするわけじゃないし、どっちかっていうと、『ほうかご』に行けなくなってごめん、って気持ちのほうが強いんだよね。みんなはまだ『ほうかご』で怖い思いをするのに、僕らだけ抜けちゃって、申し訳ないな、って話してた。
なんていうかな…………死んだら復活できないゲームのアバターが死んだ、くらいの感覚なんだよ、僕。ショックだけど、正直、それほどでもない。運よく生きて抜けれたって気持ちのほうが強いんだ。だからちょっと、悪いと思ってる」
春人は言う。それでも華菜は頭を上げられない。
「……でも、ごめん」
「あー、もう、いいって。だから頭あげろよ」
湧汰はめんどくさそうに言って、華菜の肩をばんと叩く。
「俺らがごめんって思ってるのはマジなんだから、そんなにされたら二倍になるじゃんか。もうやめにしようぜ」
慰めではない。湧汰は心にもないことを言うタイプではない。
そこまで言われて、ようやく顔を上げる華菜。それでも表情は晴れない。そんな顔で湧汰と顔を見合わせる。
「……うん……」
「はあ……」
晴れない空気。ため息をつく湧汰。
しばらく二人とも黙っていたが、ふと湧汰が何かを思い出した表情になって、「あ」と視線を外した。
「そうだ、忘れるとこだった」
そして自分の背負っていたボディバッグを胸の前にやり、ファスナーを開けた。
「リーダーに渡さなきゃいけないものがあった」
「え?」
戸惑う華菜の前で、湧汰はバッグからパッケージを取り出した。ホームセンターで買ってきた証拠のシールのついた、追加の人感センサー。本当なら前回の『かかり』の時に、『ほうかご』に持ってくるはずのものだった。
「あ、僕も……」
春人もそれを見て、自分のバッグを開ける。同じく、『ほうかご』に持ちこむはずだったガジェット。剝き出しで持ってきた湧汰とは違って、ビニール袋に入れてある。
「俺らが『ほうかご』に戻れるならいいけど、戻れないなら渡そうと思って持ってきた。ないと困るだろ」