湧汰が言う。そして押しつけるようにセンサーのパッケージを渡す。
「あ、ありがとう……」
「もうこれくらいしかできねーから」
ぶっきらぼうに言う湧汰。
「考えるのが仕事な越智くんはまだやれることあるけど、俺はマジで役立たずになるから」
「志場くん……」
悔しそうな感情がにじむ。華菜はそれに対して何を言えばいいのか一瞬迷って、押しつけられたセンサーを、複雑な表情で受け取る。
「そんなことないよ、いてくれるだけでも心強いよ」
そして言う。噓ではなかった。
いてほしいと思っているのは本当だった。だが、これを言った自分の意識が、死を目の前にした親戚に対して、心にもない慰めの言葉を口にしているのと同じなことに、あらためて気がついて、思わず動揺した。
「……サンキュ」
そして、湧汰が同じように受け取ったことも、華菜には分かった。
言葉が出てこなくなった華菜から、湧汰は視線を外すと、ボディバッグのファスナーを閉めて、元のように背負い直した。
「じゃあリーダー……後はたのむ」
そして言う。視線を合わさずに。
「あ……」
華菜は、そんな湧汰にかける言葉が思いつかず、呼び止めることもできずに、湧汰が自転車の方に足早に向かい、乗って走り去るのを見送ることしかできなかった。
6
二森啓は、顔合わせ翌日の昼過ぎに、遠藤由加志の家を訪ねた。
いつもの帆布製リュックサックとスケッチブック、それから片手に提げた紙袋に入れた、何枚かの小ぶりなサイズの油絵。インターフォンを押して、玄関に出てきたお母さんに招き入れられた啓は、家に上がりながら、お母さんが玄関に入ってすぐのところにあるドアをノックするのを見る。
「由加志ー! 二森くん来たよ! 由加志!」
「一回で聞こえるよ、うるさいな!」
大きなノックと大声で呼びかけるお母さんと、部屋の中から怒鳴り返す由加志との、だいたいいつも通りのやり取りを見てから、啓はドアが開くのを待つ。
お母さんの気配がなくなるのを見計らって、中からドアの鍵を外す音。ドアが開き、猫背で不健康な顔色の由加志が隙間から顔を出す。
「来た」
「ん……」
挨拶とも言えない挨拶を交わして、由加志は啓を部屋に入れる。
冷房のきいた部屋は、足の踏み場もない。座椅子とノートパソコンがある小さなテーブルの周辺以外の床は、山積みの本が林立していて、ろくに移動できる場所がなかった。
そして壁沿いに────ずらりと並んだ、空っぽの本棚。
これは、本棚を動かしてドアをふさぎ、そこに本を詰めこんで重石にすることで、ドアを開かなくするための由加志独自の工夫だった。
部屋にある全ての〝開くもの〟を徹底的にふさいでしまえば、『ほうかご』への〝入り口〟がなくなる。由加志はこうやって『かかり』への呼び出しを拒否して二年間の『かかり』を乗り切ったのだが、『卒業』してもう『かかり』ではなくなって一年以上経ったはずの今も、毎週金曜日のこの習慣をやめることができなくなっていた。
もしも、万が一、呼び出しのチャイムが聞こえたらという想像が、金曜日になるたびに頭をよぎって、怖くてやめられないのだ。
由加志は今も不登校だ。
そしてそのせいで、この由加志の部屋は、出会ったばかりの『かかり』だった頃と、変わらない状態だった。
その頃と大きな違いがあるとすれば、部屋の端の一角に、油絵の描かれたキャンバスと梱包資材が置かれていること。元は惺が請け負っていた、ネットで啓の絵を販売する拠点としての役目を、今は由加志が引き継いで、啓の画材代と、それから二人の『ほうかごがかりのしおり編集委員会』の活動資金にしているのだ。
ここは『編集委員会』の拠点だった。
「これ。新しい絵」
「ああ、そっちに置いといてくれ。あとで撮影してネットにのせるから」
紙袋を差し出す啓と、座椅子に戻りながら梱包場所を指さす由加志。部屋の一角に、啓が持ってきたものと同じような絵と、梱包資材が集めてある。啓は黙ってその近くに紙袋を置き、由加志のテーブルの対面にあぐらをかいて腰を下ろす。
由加志が言う。
「で……行って来たんだろ? どうだった?」
「いい状況じゃないな」
啓は答えた。
そして、あかね小学校の『かかり』全員と顔を合わせ、話をした、その内容と感想を、由加志に話して聞かせた。
「……なーるほどなあ。やばそうだな」
そうしてしばし。ガラスポットからマグカップに麦茶をそそいで飲みながら話を聞いた由加志は、やがて啓の話が終わると、他人事のようにそう感想を述べる。
結露したマグカップを、テーブルに置く。同じようなカップを置いたことがあるらしい、天板に丸い痕がついたノートパソコンの画面に目をやって、今まで得たあかね小学校についての情報のメモを見て、ため息をついて言う。
「まあ、『しおり』もないのに、おれらのトコにたどり着いたくらいだからなあ。そんだけ追い詰められてるのは当たり前か」
「初めてのパターンだからな」
うなずく啓。
「だからできるだけ力になってやりたいけど、『無名不思議』の方も初めてのパターンでどう対応すればいいのか分からない。〝死にもどり〟が二人もいるのは初めてだ。だいたい〝死にもどり〟自体、見るのが二回目だ」
「ほとんど何も分かってないからなあ。というか同じ〝死にもどり〟でも、本当に同じものなのかも、だいぶ怪しいんだぜ」
お手上げ、とばかりに軽く両手を上げる由加志。
「同じように見えるけど全然違うとか、普通にあるだろうしさ」
「だと思う」
こと『無名不思議』に関しては、本当に何も信用できない。何が起こるか分からないし、見た目がそうだからといって、その通りである保証はない。むしろそういったものから予想して決めつけるのは、逆に害になりかねない。
啓は言った。
「ていうか、いくら『無名不思議』でも、人間が本当に生き返ったりするのか? 僕は怪しいと思ってる」
「……お前、それ本人に言ってないだろうな?」
「言ってない」
「よかった」
あまりにも淡々とした啓の物言いに危惧を覚えた由加志の問いは否定されて、由加志は胸を撫で下ろした。
「言わないよ。いくらなんでも」
「いや、お前、絵と『無名不思議』に関しては無茶苦茶やるからな。言ってても全然おかしくない。人の心がないまである」
「なんだよそれ」
不満そうに眉根を寄せる啓。だが啓がそんな表情をしても、自分の意見をゆずる気のない由加志は、ただ肩をすくめて受け流す。
そして話題を戻して言った。
「まあでも、『無名不思議』が、ただ普通に生き返らせるはずがない、ってのは、おれも同意するけどな」
「だろ」
「どうも話を聞いてると、そいつらは『かかり』の自分が『ほうかご』に取り残されたタイプと同じで、夢で『ほうかご』の自分とつながってるみたいだし、ただ普通に『卒業』したのとは違うと思う」
そこで由加志は、ふと思い出した様子になって、口調を変えて言った。
「……そういや、〝死にもどり〟の片方は、『ほうかご』で砂にされたんだろ? おれ、いま『スワンプマン』ってやつを思い出したんだけど」
「スワンプマン?」
聞いたことのない言葉を、いぶかしそうに啓は聞き返した。
「なんだそれ?」