ほうかごがかり5 あかね小学校

五話 ⑧

 それだけは確かな成果だった。というのも二人がはじめた新しい『記録』は、その効果が歴然だったのだ。

 模型の表面を広がっていた血管が、二人が新しい『記録』をはじめてから数回で、明らかにその速度を落としたのだ。いまや、つる植物にびっしりとおおわれたはいおくを思わせる状態で、上半身が不気味な血管におおわれている人体と骨格の模型。表面に赤い血管がびっしりとからみつき、元の模型の白い部分は異様なあみ模様の間からけて見える状態で、その集合体から下半身に向けて植物の根のように血管が垂れ下がっている異常な物体が、じよじよにそのぞうしよくを止めたのだ。

 今までは、ただ見ているだけでも、前回とのちがいがうっすら分かるほどだった。それが、見ても分からない程度になった。そして二人が図として『記録』していることで、そのぞうしよく度合いがはっきりと見えるようになって、だんだんちんせい化していることが確実になった。

 は、それまでけいのことをあまり信用していない様子だったが、確かな効果が証明されたので、疑う理由はなくなった。


「わかった。これからは『しおり』に書いてること、信用するね……」


 それを聞いて、はホッとした。けいの協力と『かかりのしおり』が、自分たちには必要だと自身は確信していたが、これのせいで意見が割れるかもしれないとは思っていて、それでみんながバラバラになるかもしれないことを、内心ではおそれていたからだ。

 けいの協力によって、たちの『かかり』は、危機から立て直すことができた。

 つなわたりのような思いをしながらも、だれひとりすらすることなく、夏休みのあいだを、無事にやり過ごすことができたのだ。

 そして一ヶ月。二ヶ月。

 安定ともあしみとも言える、新しいせいしやも進展もない、まるで最初のころのような、『かかり』の日々が過ぎた。

 じようきようが安定し、夏休みが終わってからはけいの訪問も一ヶ月に一度になり、日がつにつれてふたも模型の直視に慣れて自信がつき、それから仕方がないけれども、『ほうかご』に来られなくなったゆうはるとは少しだけきよがあいてきた気がしてきた、そんなころ


 油断があった。

 たちはここにきて、自分たち『かかり』がどうして存在するのか、初めて本当の意味で理解することになったのだった。




 十一月のはじめ。

 暑い夏が過ぎ、マンションの前のサルスベリの花がいて落ち、秋が深まって、過ごしやすいすずしさがまだ続くのだろうと思わせるころ


 あかね小学校で、児童のが相次いだ。


 休み時間中などに、骨折したりする児童が三人、一週間ほどのあいだに続いたのだ。

 ろうを走ろうとしたひように足の骨を折った男子。

 うんていにぶら下がって手首を折った男子。

 理由は分からないが、そうの時間にわなければならないほど手のひらを切った女子。

 それぞれ大きな問題にはならなかったが、過ごしやすい気候になったからといって、あまりはしゃいで激しい運動をするなどしてをしないようにと、学校から児童と保護者に向けて注意が出た。

 たまたま、ぐうぜん、続いただけの、単なる事故。

 だが、たちには、それらの事故に、とある心当たりがあった。

 それらの事故が起こった週の直前、前の週の日曜日に、ゆうをした。学校のグラウンドで所属チームの野球の練習をしている最中、ダッシュで走っていた時に、右足の付け根の骨を折ったのだ。

 ろう骨折のしんだんだった。

 それ自体は、気の毒だけれども、そういうこともある、といった出来事だろう。

 だが月曜日。ゆうが入院して学校を休むという知らせをたちに伝えにきたはるは、明らかにそれだけではない深刻な表情をして。

 そして、に言ったのだ。


「なあ…………くんがしたの、『ほうかご』の。どうしたらいいと思う?」

「えっ?」


 はるは事情を話した。

 それは金曜日の夜のことだった。

 ずっとはるは『かかり』の時間に、もう『ほうかご』に呼ばれることはなく、代わりに夢を見ていた。どんなにない心づもりでいても、十二時十二分十二秒になると、意識がなくなるようにねむってしまい、そして自分が〝化け物〟になって、『ほうかご』の学校を延々とはいかいする夢を見るのだ。

 夢だ。自分の自由ではない。

 夢を見ている間は自分の意思で行動しているつもりだが、自分の意思ではないことに、目が覚めた後に気がつくのだ。

 自分は夢の中で、みように暗くてノイズがかった、モノクロームな視界の中、『ほうかご』の校舎の中を歩いている。すなあらしの中にいるかのように息苦しくて、体が、というよりも自分の動きの全てが砂の中にいるかのように重くて、悪夢の中で走っている時のように、全ての感覚が不自由だった。

 感覚はつんいだ。

 手足で歩いている。動物のように。何の疑問もなく。視野の下のはしに、自分の手が二本、自分が動くたびに、かくれしている。


 ぺた、ぺた、


 と自分の足音が聞こえる。

 暗くて空っぽのろうに、自分の足音だけがひびき、そうやって自分が移動してゆく先に、めいめつするてんじようの照明がともっていった。

 てんじようの照明が、延々と自分についてくる。そして時折、視界のはしに緑色の光が小さくともっててんめつし、ピンポーン、とかんだかい、しかし段ボール箱を頭にかぶっているかのようにくぐもった、チャイムの音を鳴らす。

 そんな中をはいかいしていた。目的はなかった。

 はいかいする自分の頭の中にあるのは、虫のような空っぽなうつろ。何も思わなかった。ただ感じているのは、不自由さと、どくだった。


 どくだ。

 どく感。


 暗くて広い、めいきゆうのような校舎の、な時間の中に、たった一人。

 くうきよどく感と共に、しかしだからといって何の目的もなく、暗くて重くて空っぽの、ざらつくめいきゆうはいかいし続ける自分。だれもいない。だれとも会わない。気配は感じることがあるが、そこに行っても何もいない。もうずっと、何とも出会っていない……

 はるはずっと、そんな夢を見続けていた。

 毎週金曜日の深夜に、そんなただ長いばかりで、何の意味もない夢を。

 いや、だれとも会わないのはいい。あの自分は〝化け物〟なのだから。もしもだれかに会ってしまったら、どんなことになるか分からない。ただ、いつもいつも同じ、わりえのしない、自分がゲームオーバーになったのだということを再かくにんさせられるだけの夢は苦痛で、そんなゆううつな、だがけようもないよどんだ悪夢をまた見なければならないのだと重い気持ちでねむりについたはるは、案の定この日もいつもと同じ夢を見たが、しかしそれは、

 いつものように、うつろなめいきゆうはいかいしていた〝自分〟は。


 出会ったのだ。

 


 もんの表情で砂の像となってしまった少年に、ろうはいかいしていた〝自分〟が、不意にでくわしたのだ。そんな、自分以外のモノとの久しぶりのそうぐうをした〝自分〟は、像へと近づいて──────そして手をばして右足の付け根をつかみ、そこから砂をむしり取って、その砂のかたまりを、口に運んで


 ばつん、


 とそのしゆんかんいつしゆんだけ照明が落ちて、フィルムを切り落としたように、像は目の前から消えていた。


『………………』


 数秒動きを止めた〝自分〟は、その間に、すーっ、といっぱいのかんを失って、ばした手を引っ込めて、また元と同じうつろなはいかいを再開した。

 この日は、後はそれ以上、何かに会うことなくしゆうりようした。


刊行シリーズ

ほうかごがかり6 あかね小学校の書影
ほうかごがかり5 あかね小学校の書影
断章のグリム 完全版3 赤ずきんの書影
断章のグリム 完全版2 人魚姫の書影
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