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学校に春人が現れなかったことと、その春人のことを湧汰が分からなくなっていたという異常事態に驚いて、慌てて状況を確認し。
結果、春人の存在が消えてしまったのだと結論するしかなくなった時、みんなが集まっている放課後のホールの片隅の陰で、華菜は文字通り膝からくずれ落ちて、みんながはじめて見る表情を失った顔で、呆然とつぶやいた。
「わたしが殺したんだ……」
足から力が抜けて、まさにその『ほうかご』で負った怪我に貼った、両ひざの大きな絆創膏が、コンクリートの床に打ちつけられる。だが華菜は、その痛みを感じていない様子で、同じように絆創膏を貼ったひじの先の、やはり絆創膏を貼った手と指を、震えるほど強く握りしめた。
つまり、春人は死んだのだ。
あの『ほうかご』で化け物になってしまった春人が、『赤いクレヨン』の部屋に喰われて死んだ。そしてきっと、きっとそのせいで、こちら側の春人も消えてしまったのだ。そう理解するしかなかった。
一度春人が死んだ時と、状況が同じだった。
二度目の死。それをやったのは自分だと、ショックに膝をつく華菜。そして────そんな華菜が、いったい何にショックを受けているのか分からずに、戸惑っている湧汰という、前回とは違う状況。
「つまり、その越智くん、って仲間がいて、死んだせいで消えちまったってことか?」
「そうだよ、志場くんと仲良かったんだよ……!」
「……」
「ほんとに忘れてるの?」
「……全然わからねえ。言われてることがマジでわかんなくて、すっげえ気持ち悪りぃ」
「っ……!」
加えてその湧汰の反応が、華菜のショックを大きくしていた。
他のみんなにとってもだ。湧汰にだけ認識できない、しかしだからこそ、あまりにも残酷な状況。ひどすぎる。あんまりだ。こんなの。それに何より、前回はそうではなかったのに、今回湧汰が春人のことを忘れてしまったということは、本当に湧汰が『かかり』の仲間ではなくなってしまっているのだという、決定的な証拠を突きつけられたのだ。
部外者はみんな、死んだ『かかり』のことを忘れてしまう。
部外者なのだ。もう。湧汰は。湧汰が。
そして、
「わたしがやったんだ……」
その引き金を、自分が引いてしまったと、殺してしまったと、へたりこむ華菜。そんな華菜の前に、恵里耶が慌ててしゃがみこんで、支えるように両肩に手を触れさせて、説得するように言う。
「じ、事故だよ、こんなの、こんなことになるなんて、誰にもわからないよ……」
そう、必死で。
「責任感じることなんかないよ、誰だって、襲われたら抵抗するし、そうしなかったら、五十嵐さんが大変なことになってたんだから、仕方ないと思う」
だがその言葉も、今の華菜には届かない。
「…………」
「少し、休もうよ、ね、五十嵐さん、ずっと頑張ってきたんだから、休んだ方がいいよ」
恵里耶は言う。
「代わりに、私が、頑張るから。今まで五十嵐さんがやってくれてたこと、ほんとは、私がやらなきゃいけなかったことだから……」
今まで自分たちをまとめていた柱が折れそうになっている。そんな状況を、必死でどうにかしようとする恵里耶。
「…………!」
「…………」
海深と陸久が、出そうとしつつも出せない手を宙に浮かせて、その様子を見ていた。
自分たちも励ましたいけれども、どうにかしたいけれども、何もできないし、何も言えない海深。そして陸久が、その隣で海深と同じようにしながら。しかし心の中で、密かに考えていることがあった。
…………
†
陸久と海深は双子として生まれた。
生まれた時から一緒にいる。見た目は同じで、みんなからは、性格も好みも考えていることも、何もかも同じだと思われている。
実際、二人で一人だと思っていた時期もあった。といっても、すごく小さい頃の話だ。今はもちろん違うと思っている。湧汰の質問にも答えたように、二人はただ、同時に生まれただけのきょうだいで、ものすごく近いけれども、違う人間だ。
一緒にいると周りの人は二人をひとかたまりで扱うし、確かにそんな時には、話し方とかタイミングとか、反応とか表情とかが似るけれども、それはみんなが期待しているような、二人に双子の不思議なつながりがあるからじゃない。普通のきょうだいだって、何なら友達同士でだって、話す言葉とかが似てくる。陸久たちも、ただ二人の歳が同じなせいで、いつだって一緒にいさせられる、長く過ごしすぎているきょうだいだから、似ているのだ。
同じように見えるかもしれないけれど、考えていることは、心は、ぜんぜん違う。少なくとも陸久はそう思っていた。同じなわけがない。双子とはいっても、ちゃんと分かれた違う人間なのだから。
本当は。
陸久は────海深なんかいなければいいのにと思ったことがあった。
陸久と海深のことを、友達も先生も両親も親戚も、みんな二人で一人として平等に扱うけれども、陸久はそれを内心で不満に思っていた。普段は別にいい。ただ、たった一つだけ、どうしても許せないことがあった。
絵本のことだ。
双子の合作として、賞を獲った絵本。あの物語も、絵も、そのどちらも、本当はほとんど全部、陸久が考えて描いたものなのだ。
あの絵本は、放課後の学童クラブで遊びながら描いたものだ。陸久が考えて話を作りながら描いて、海深はそれを聞いて楽しんだだけ。ただそれだけの遊びだ。考えたのも描いたのも陸久で、海深はただ質問や感想を言ったりして楽しみ、陸久の描いた絵に、少しだけ好きなものを描き加えたりして遊んでいただけなのだ。
その時はただ楽しかった。それだけの遊びだった。
だが、それを見ていた学童の先生がコンテストに出すことを提案し、そして忘れた頃に大きな賞を獲って戻ってきた。
知らないあいだに、双子の合作として応募されて。
えっ、と思って、一瞬で頭の芯が冷えたのを憶えている。納得いかなかったが、それを言い出せる雰囲気ではなかった。自分以外の全員が大喜びしていたからだ。先生も、両親も、祖父母も、それから、海深も。
取られた、と思った。
あれは『双子』の作品ではなくて、『陸久』の作品なのに。
だが他のみんなにとって、親にとってさえ、双子は二人で一人で、平等で、それ以外の扱いは最初から頭になかった。陸久がもっと小さな子供だった頃なら、それで素直に喜んでいただろうが、今はもう違った。二人は違う人間だ。同じことをしているわけではないし、だから結果を平等に分け合うのも違っていた。違うと思った。
絵が、物語が、絵本が好きなのは、『双子』ではない。『陸久』だ。
本当に好きなのは陸久だ。海深も好きではあるのだろうけれども、自分で考えて描くほど好きなのは、陸久だけだった。
だいたい海深は、陸久とくらべて、ものを深く考えていない。普段からそうだ。ちゃんと考えていないし、ちゃんと見ていない。よく考えずに暮らしていた。陸久と海深とでは、周囲のものへの解像度が、ぜんぜん違っていた。
海深は、目の前にあるものに、ただ反応して生きている。