ほうかごがかり5 あかね小学校

六話 ②

 楽しい、うれしい、悲しい、こわい。の頭には、それ以上がない。どうして、がない。もしも、がない。遺伝子が同じで、体が同じで、きっと脳の形も同じなのに、どうしてこんなにちがうのかと思うくらい、考えがちがう。ぜんぜんちがう。

 にはない、冷めた目を、は持っていた。思考と想像と空想が、いつも、いくつも頭の中にあって、よく観察していて、批判的で、悲観的。とは全くちがう、深くて広い思考世界が、見た目だけは全く同じに見える、この頭の中には広がっていた。

 でも、頭の中で考えていることは、外からは見えない。

 も、どちらかというと引っ込みあんで、同じようにあつかわれたときにとついやがったりできない。も、人とめたりがっかりされたりするのがいやで、そういった自己主張をしないようにしているので、それもあって周りからはなおさら同じに見えていることを、理解していた。いやというほど。

 だから、そのとき思ったのだ。


 自分だけだったらいいのに。


 と。

 絵本が賞をって以降、ずっとは、そんなふうに思うことがあった。一人の成果を二人で分け合ってしまっているじようきようだれもが、でさえ、あれが『ふた』による合作だと信じて疑っていないじようきようが考えていたものが、『ふた』が共有している不思議なにんさんきやくの世界だと誤解され、それを期待されている。その期待に逆らえば、ひどくがっかりされることが目に見えていた。だから思ったのだ。こんなことなら、ふたじゃなくて最初から一人ならよかったのに、と。

 二人で一人なのがうれしかった時期は、とっくに過ぎた。

 にとっては少なくともそうだ。でも周りはそんなこと思いもしないし、親も、特にお母さんは、二人をおそろいにすることが大好きだった。きょうだいを平等に育てる、という建前はあった。だがお母さんは〝ふたちゃんのお母さん〟でいることが大好きだったし、何よりそうやって同じにあつかうことが、楽なのだ。

 なつとくできなかった。

 できないが、それでも、きょうだいはきょうだいだった。

 消したい、いなくなってほしいとまで思ったことはなかった。それくらいの情はあった。家族とはそういうものだ。いるのが当たり前で、最初からそこにいるものだ。

 いいことも、悪いことも、じんなこともふくめて、最初からずっとそこにあるもの。ずっといっしょの家族。だから、消したい、なんてひどいことは思わない。それ以外の部分ではつうに家族で、きょうだいだから。

 ただ、絵本のこととか、ほんの時々、引っかかることがあるだけ。引っかかった〝トゲ〟があるだけ。いや、ふたの片割れに取られてしまった、〝欠け〟があるだけなのだ。

 だから思ったのは、消えてほしい、ではない。

 そこまでは思わない。ただ、分け合わなければいけない〝もう一人〟が最初からいなかったらという、一人っ子の自分の夢想だ。

 空想するだけ。

 したことがあるだけ。

 でも、そうはならないことを知っていて。とっくにあきらめて、すでにある当たり前を続けて日常を、ずっと生きていた、

 そんな日々の────六年生になった、始業式の日。

 とともに、ホールでみようなものを見た。

 自分たちの名前が書かれた、けいばんの張り紙。

 そしてその日の夜に、『かかり』として『ほうかご』に呼び出されたのだ。


 カァ────────ン、

 コ────────────ン!


 ひび割れたチャイムの音ではじまる、『ほうかご』と呼ばれる不可思議な学校。

 そこはおそろしい世界だった。本で読むような学校のかいだんの世界。こわい空想の世界。異次元の世界。悪夢の世界。

 とつじよとしてたちは、そんなおそろしい非日常の世界に引きずりこまれ、その中で生き残るために、『かかり』のみんなと協力しなければならなくなった。おくびようだ。たくさんの観察をして、たくさんのこわい想像をしてしまうはもちろん、そのの反応をびんに受け取ってしまうも、こわい場所で積極的に動けるような人間ではなかった。

 二人は完全にめいわくをかける側だった。

 客観的に見ればどう見たって、足手まといで、悲観的なことばかり口にするお荷物。だが前向きなリーダーであるは、そんなこわい観察と空想を、むしろけいかいの役に立つものとして、積極的に拾ってくれた。


「わたしらの知らないかいだん話のことよく知ってるし、こんなこわいことがあるかも、って、いろいろ思いついてくれるのは、助かってるよ」


 はそう言う。

 それにみんなも同意してくれる。だがどう見てもっていなかった。明らかにたちのほうが助かっていた。

 足手まといとして見捨てられていたら、きっとも『ほうかご』で生きていられないだろう。ほかの子よりも明らかに活発な化け物と向かいあうなど、できなかっただろう。そうなったら、も終わりだった。

 感謝していた。

 感謝して、そして自分の空想がみんなの役に立つことがうれしくて、積極的に発言した。

 ことあるごとに、時には空気が読めないふりをしてでも、思いつく限りのいやな想像を口にして、自分の存在をアピールした。

 でも。

 でもだ。


だいじよう、ちゃんと役に立ってるよ。


 と。

 そう、ここでも。

 この非日常の場所でも────がんった観察と想像は、ではなく、『ふた』の功績になった。

 も、みんなも、のことを、『ふた』としてあつかった。

 ほかのみんなと同じように、に、に、ではなく、話しかけるときは『ふた』に話しかけた。いつもいっしょにいる同じ顔をした二人に、まとめて話しかける。それに対して反射的に入り混じるようにして返答する二人の話を、どちらが何を話したのか、厳密に区別する人は今までいなかった。そしてそれはたちも同じだった。

 役に立つ観察をして、想像できる危機について話しているのは、だ。

 は、それを受けてあいづちをうって、似たような話をかえしているだけだ。

 でも、だれもそれを区別できなかったし、区別しようと考えることもなかった。たぶん当事者であるさえ区別していない。『私たち』が話したことだと思っているので、の考えた意見はどうしようもなく二人の意見になり、ひいては二人の功績になった。

 思った。

 ああ、ここでも。こんなところでも。

 だけの才覚が、こうけんが────ではなく、『ふた』の評価になる。

 おなかの底が、モヤモヤする。

 だがそれを表には出さずにいる。きっと、主張すればとみんなははいりよしてくれる気がするが、ただでさえみんなにたよりきりなのに、そこに加えてそんなわがままを言うほどは自分勝手ではなかったし、自己主張も強くなかった。

 何より『かかり』は、みんなにとっても自分にとっても、そんなゆうがあるような活動ではなかった。人が死ぬのだ。化け物におそわれて、仲間が。あるいはもしかすると、そのうち、自分自身が。

 化け物がこわくて、死ぬかもしれないのがこわくて、そんなを言い出すようなゆうはなくて。だから心の底に、じわりとしたインクのみのような思いを押しこめたまま、必死で『かかり』の日々を、えて、戦って、過ごしていた。

 だが、事態はだんだんと進んでいき。

 模型はだんだんと不気味になり続け、とうとうがい者が出て。

 きようは晴れず、身動きは取れない、そんな続いてゆく絶望的な日々に。


 現れた。

 もりけいが。


 が呼び寄せた、アドバイザーとしてたちに絵を教えてくれることになった元『かかり』。この異様に絵のい中学生は、さつそく始めた絵画教室の初日に、が並んでいていた絵を見ると、そくにこう言ったのだ。


「……ふたは似た絵をくだろうって先入観があったけど、結構ちがうな?」


 と。



刊行シリーズ

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断章のグリム 完全版3 赤ずきんの書影
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