楽しい、嬉しい、悲しい、怖い。海深の頭には、それ以上がない。どうして、がない。もしも、がない。遺伝子が同じで、体が同じで、きっと脳の形も同じなのに、どうしてこんなに違うのかと思うくらい、考えが違う。ぜんぜん違う。
海深にはない、冷めた目を、陸久は持っていた。思考と想像と空想が、いつも、いくつも頭の中にあって、よく観察していて、批判的で、悲観的。海深とは全く違う、深くて広い思考世界が、見た目だけは全く同じに見える、この頭の中には広がっていた。
でも、頭の中で考えていることは、外からは見えない。
海深も陸久も、どちらかというと引っ込み思案で、同じように扱われたときに咄嗟に嫌がったりできない。陸久も、人と揉めたりがっかりされたりするのが嫌で、そういった自己主張をしないようにしているので、それもあって周りからはなおさら同じに見えていることを、理解していた。嫌というほど。
だから、そのとき思ったのだ。
自分だけだったらいいのに。
と。
絵本が賞を獲って以降、ずっと陸久は、そんなふうに思うことがあった。陸久一人の成果を二人で分け合ってしまっている状況。誰もが、海深でさえ、あれが『双子』による合作だと信じて疑っていない状況。陸久が考えて描いたものが、『双子』が共有している不思議な二人三脚の世界だと誤解され、それを期待されている。その期待に逆らえば、ひどくがっかりされることが目に見えていた。だから思ったのだ。こんなことなら、双子じゃなくて最初から一人ならよかったのに、と。
二人で一人なのが嬉しかった時期は、とっくに過ぎた。
陸久にとっては少なくともそうだ。でも周りはそんなこと思いもしないし、親も、特にお母さんは、二人をおそろいにすることが大好きだった。きょうだいを平等に育てる、という建前はあった。だがお母さんは〝双子ちゃんのお母さん〟でいることが大好きだったし、何よりそうやって同じに扱うことが、楽なのだ。
納得できなかった。
できないが、それでも、きょうだいはきょうだいだった。
消したい、いなくなってほしいとまで思ったことはなかった。それくらいの情はあった。家族とはそういうものだ。いるのが当たり前で、最初からそこにいるものだ。
いいことも、悪いことも、理不尽なことも含めて、最初からずっとそこにあるもの。ずっといっしょの家族。だから、消したい、なんてひどいことは思わない。それ以外の部分では普通に家族で、きょうだいだから。
ただ、絵本のこととか、ほんの時々、引っかかることがあるだけ。引っかかった〝トゲ〟があるだけ。いや、双子の片割れに取られてしまった、〝欠け〟があるだけなのだ。
だから思ったのは、消えてほしい、ではない。
そこまでは思わない。ただ、分け合わなければいけない〝もう一人〟が最初からいなかったらという、一人っ子の自分の夢想だ。
空想するだけ。
したことがあるだけ。
でも、そうはならないことを知っていて。とっくに諦めて、すでにある当たり前を続けて日常を、ずっと生きていた、
そんな日々の────六年生になった、始業式の日。
陸久は海深とともに、ホールで奇妙なものを見た。
自分たちの名前が書かれた、掲示板の張り紙。
そしてその日の夜に、『かかり』として『ほうかご』に呼び出されたのだ。
カァ────────ン、
コ────────────ン!
ひび割れたチャイムの音ではじまる、『ほうかご』と呼ばれる不可思議な学校。
そこは恐ろしい世界だった。本で読むような学校の怪談の世界。怖い空想の世界。異次元の世界。悪夢の世界。
突如として陸久たちは、そんな恐ろしい非日常の世界に引きずりこまれ、その中で生き残るために、『かかり』のみんなと協力しなければならなくなった。陸久も海深も臆病だ。たくさんの観察をして、たくさんの怖い想像をしてしまう陸久はもちろん、その陸久の反応を過敏に受け取ってしまう海深も、怖い場所で積極的に動けるような人間ではなかった。
二人は完全に迷惑をかける側だった。
客観的に見ればどう見たって、足手まといで、悲観的なことばかり口にするお荷物。だが前向きなリーダーである華菜は、そんな陸久の怖い観察と空想を、むしろ警戒の役に立つものとして、積極的に拾ってくれた。
「わたしらの知らない怪談話のことよく知ってるし、こんな怖いことがあるかも、って、いろいろ思いついてくれるのは、助かってるよ」
華菜はそう言う。
それにみんなも同意してくれる。だがどう見ても釣り合っていなかった。明らかに陸久たちのほうが助かっていた。
足手まといとして見捨てられていたら、きっと陸久も海深も『ほうかご』で生きていられないだろう。ほかの子よりも明らかに活発な化け物と向かいあうなど、できなかっただろう。そうなったら、陸久も海深も終わりだった。
感謝していた。
感謝して、そして自分の空想がみんなの役に立つことが嬉しくて、積極的に発言した。
ことあるごとに、時には空気が読めないふりをしてでも、思いつく限りの嫌な想像を口にして、自分の存在をアピールした。
でも。
でもだ。
「大丈夫、ちゃんと役に立ってるよ。二人は」
と。
そう、ここでも。
この非日常の場所でも────陸久が頑張った観察と想像は、陸久ではなく、『双子』の功績になった。
華菜も、みんなも、陸久と海深のことを、『双子』として扱った。
ほかのみんなと同じように、陸久に、海深に、ではなく、話しかけるときは『双子』に話しかけた。いつもいっしょにいる同じ顔をした二人に、まとめて話しかける。それに対して反射的に入り混じるようにして返答する二人の話を、どちらが何を話したのか、厳密に区別する人は今までいなかった。そしてそれは華菜たちも同じだった。
役に立つ観察をして、想像できる危機について話しているのは、陸久だ。
海深は、それを受けて相槌をうって、似たような話を繰り返しているだけだ。
でも、誰もそれを区別できなかったし、区別しようと考えることもなかった。たぶん当事者である海深さえ区別していない。『私たち』が話したことだと思っているので、陸久の考えた意見はどうしようもなく二人の意見になり、ひいては二人の功績になった。
思った。
ああ、ここでも。こんなところでも。
陸久だけの才覚が、貢献が────陸久ではなく、『双子』の評価になる。
お腹の底が、モヤモヤする。
だがそれを表には出さずにいる。きっと、主張すれば華菜とみんなは配慮してくれる気がするが、ただでさえみんなに頼りきりなのに、そこに加えてそんなわがままを言うほど陸久は自分勝手ではなかったし、自己主張も強くなかった。
何より『かかり』は、みんなにとっても自分にとっても、そんな余裕があるような活動ではなかった。人が死ぬのだ。化け物に襲われて、仲間が。あるいはもしかすると、そのうち、自分自身が。
化け物が怖くて、死ぬかもしれないのが怖くて、そんな小さなことを言い出すような余裕はなくて。だから心の底に、じわりとしたインクの染みのような思いを押しこめたまま、必死で『かかり』の日々を、耐えて、戦って、過ごしていた。
だが、事態はだんだんと進んでいき。
模型はだんだんと不気味になり続け、とうとう被害者が出て。
恐怖は晴れず、身動きは取れない、そんな続いてゆく絶望的な日々に。
現れた。
二森啓が。
華菜が呼び寄せた、アドバイザーとして陸久たちに絵を教えてくれることになった元『かかり』。この異様に絵の上手い中学生は、早速始めた絵画教室の初日に、陸久と海深が並んで描いていた絵を見ると、即座にこう言ったのだ。
「……双子は似た絵を描くだろうって先入観があったけど、結構違うな?」
と。