ほうかごがかり5 あかね小学校

六話 ③

2


「えっ?」

「君ら二人はく絵がちがうな、って話をした」


 耳を疑って聞き返したに、公園のしばに座っている二人の背後に立って、手元のスケッチブックを見下ろしたけいは、ぶかにかぶったキャップのつばの下で、かげになった目をわずかに細めて言った。

 おどろいた。信じられなかった。今までそんなことを言った人は、ただの一人としていなかったからだ。


「ど、どこが?」

「そんなにちがう……?」


 なかばぼうぜんとなると、きょとん、と聞き返す。いまここにある二人の絵を見て『ちがう』と言い切る人は、今までが関わってきた人のなかには絶対にいない。けいの絵を見た後だからなおさら思うが、がどれだけちがうと思っていても、あくまでつうの子供レベルの差でしかなくて、しかもは、たぶん本人も意識せずにの絵をいているので、全くちがうとはとても言い切れなかったからだ。

 なのに、


ちがう。こっちの絵は自分で考えていてる」


 けいはきっぱりと言い切った。言ったのはそれだけで、それ以上の多くは語らなかったが、それはにとっては心の中のきりが晴れるような、いや、それどころか海が割れるような思いの一言だった。


「……!」


 気づいてくれる人がいた。の絵を────いや、を、ちがうと言ってくれる人が。絵本のことがあって以来、好きなはずのおきをしていても、心のはしっこに何かが引っかかって、以前のように心の底から楽しむことができなかった自分が、救われた思いになった。

 本当は、絵を教えてもらうことになったのも、少しゆううつだったのだ。

 他人に自分の、いや、自分たちの絵を見られることが、いやになっていたのだ。何年もずっと心のすみめていたおもが、このとき消えた気がした。心が軽くなった。けいは、そのあとの指導でも、へのアドバイスを同じにはしなかった。ほぼ別物と言っていいカリキュラムを指示した。そのことがはひどくうれしかった。

 今までのことが許せると思った。

 いや、ちがう。今までできるだけ、ちゃんと見ないようにしてきたモヤモヤを、やっと直視することができたのだ。

 直視した上で、許せる気持ちになった。

 もういい、と。終わってしまったこと。今まで見たくなくて、見ないようにして、もう取り返しのつかないこと。ずっと引っかかっていたこと。それらを今なら過去のものにして、先に進めるのではないかという気がしたのだ。

 にとって、毎週の教室は、大事な楽しみになった。

 絵の楽しみが、のなかにもどってきたのだ。

 それがゆううつな『かかりのしごと』のための練習だったとしても、にとってはそれで構わなかった。にとってはやはり『かかりのしごと』にすぎない、あまり気乗りのしない課外活動のようだったが、それでいい、とは思った。いや、そのほうがよかった。そうでなくてはいけなかった。


 絵が本当に好きなのは────なのだから。


 絵が好きだ。だから、その気持ちをもどしたから、直視する勇気がでた。直視する。あの模型を、過去のことを、自分の気持ちを。なぜならくということは、直視するということなのだから。

 それから、が『ほうかご』に向かう気持ちは、変わった。

 こわくなくなったわけじゃない。もちろん変わらずにこわい。でも今までとはちがって、見る勇気をりしぼることができた。不気味で異常な『骨格模型』を、見る。それから、それをこわいと思う、『自分の心』を直視する。

 くために。

 模型を。

 きようを。

 絵のモデルだと思えば、ぎりぎりでえられた。絵に対する気持ちが弱いえられないので、そんなの手を引いて、『ほうかご』に向かった。

 金曜日の、十二時十二分十二秒。


 カァ────────ン、

 コ────────────ン!


 激しいノイズ混じりの、頭が痛くなるチャイムの音を待って、『ほうかご』につながった部屋のドアを通り抜ける。

 めまいがして、暗い『ほうかご』のろうに、窓の外から差しこむ明かりに照らされて、たちが並んで立っている。首にはリボン。そしてそこから見える、上部に『理科室』のプレートがついた、うっすらと薬品っぽいにおいのする空っぽの部屋のなかに、そこだけてんじようともっているあかりに照らされて、模型が二体、並んで立っている。


 シャ──────────────────ッ……


 とスピーカーから空気にもれて、耳の奥と神経にれる、砂のような細かいノイズ。

 そのノイズと、どことなくにぶい照明のなかに立っている二体の理科室の模型は、最初を思い返すと比べものにならないくらい、不気味さが増していた。

 台と支柱に、針金によって物々しくしばりつけられた模型は、それぞれぞうしよくする血管によっていまや上半身をびっしりとおおわれていた。細くて大量の血管はまさに植物の根のようで、それらは人体模型のしになった脳や眼球の裏側から、また骨格模型のがいこつの内側から発生し、表面をおおいつくして、下半身へと向けてべろりと赤く垂れ下がっていた。

 おおった上半身から下半身の表面にむけて血管をぶら下げて、それがまるで、重度の火傷やけどで上半身全体のがれて垂れ下がったかのようになっている、人体模型。

 そしてそのとなりの、いまやきようこうの内部が血管でめつくされ、そのろつこつの下から血管が垂れていて、それがまるで上半身の皮をいだあとでその部分から切断し、断面から胸の内容物がこぼれているかのようになっている骨格模型。

 異常な変化の進んだこの二体は、一見すると、正視できないほどのせいさんごうもんが行われた後の、死体がさらされているように見えた。

 ざんぎやくそんかいされた死体に見えていた。だが、実態は逆だ。

 この二体はけずられたのではなく、その肉の組織をだんだんとやしている最中だ。の目には、だんだんとように見えていた。本物の人間に。この血管がこのまま全身に広がったとき、いったい何が起こるのか、どうなってしまうのか、はこの二体から目をそらしながら、同時に、来るであろう未来をおそれていた。

 だが────それも、過去のものになる。

 けいの助言と『しおり』をもらってからの、新しい体制。『ほうかご』に立ったは、まずホールに行って、みんなと顔を合わせ、理科室について来てもらう。

 は今までと同じようにおびえているが、はもうちがう。いや、こわいのはちがわないが、今のは前を向いている。そんなが前に出るので、そしてみんなから協力という名の善意の圧力を受けるので、もしかたなく理科室に入る。ふたが二人、理科室に入って模型の前に並ぶ。

 そうして二人は、今までとはちがう、本当の『かかりのしごと』を始めるのだ。

 自分の目で見てする、本当の『記録』を。

 そしてくのだ。『記録』のための〝絵〟を。

 こわくて不気味でグロテスクなそれを、は必死で直視し、はそれができずにいる。


、ちゃんと見ないとけないよ……?」

こわいよ……こわくないの?」

こわいよ。でも、このままだと、もっとこわいことになるし、みんなにもめいわくかけっぱなしになるんだよ?」

「うう……」


 はたには、二人、支え合っているように見えると思う。

 同じ顔をしているから。でも、必ず前に立っているのはだ。をかばい、前へと引っ張っている。そうしないと、はいずれおくれになるからだ。

 助けないといけなかった。

 今までうばわれていて、しかしけいとのいによって、かろうじてもどすことができた、自己へのこうていがそうさせた。


刊行シリーズ

ほうかごがかり6 あかね小学校の書影
ほうかごがかり5 あかね小学校の書影
断章のグリム 完全版3 赤ずきんの書影
断章のグリム 完全版2 人魚姫の書影
断章のグリム 完全版1 灰かぶり/ヘンゼルとグレーテルの書影
ほうかごがかり4 あかね小学校の書影
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