ほうかごがかり5 あかね小学校

六話 ④

 二人はきょうだいだ。たしかにの中にわだかまりはあった。

 でも、きょうだいなのだ。そのわだかまりをこくふくしようとしている今、こくふくして前に進もうとしている今、立ちすくむもう一人を放っておくことは、にはできなかったし、考えられなかった。


「足元から見るようにすればいいよ。ゆっくり。ゆっくり」

「うう……」

「それでね、赤いのが見えたら、そこで止めて……その場所を『記録』すればいいよ。次に同じことをしたら、どれくらい血管が成長してるか分かるから。いつかは慣れてちゃんと見ないといけないと思うけど、今は、それでいいと思う。この模型でいちばん『記録』しなきゃいけないところって、たぶんその血管のとこだから」

「うううう……」


 寄りそって、アドバイスをして、少しでも、にも『記録』させた。

 ほかでもないふたが言うので、それにみんなにも見守られているので、もなんとかがんって、の言うとおりにする。指示している当のも、今までずっとと同じように『模型』をこわがっていたので、どこまでならまんできるかとか、どんなふうに段階をめばいいかとかが、手に取るように分かったので、アドバイスが的確にできた。

 そしても、自分の目と手で、『記録』をした。

 けいの用意した『日誌』のフォーマットに記入して、けいに習った絵をいた。初めてこの異常な存在に、本当に向き合って。

 最初はただただ必死で、きように精神を焼かれながら、向き合って、見て、いた。

 必死でのサポートもしながら、少しでも平気なふりをして、ふるえる手をおさえて、初めての『記録』を作った。

 けいのような絵はけない。だから図にする。

 自分にできるかぎりの写実的な絵をいて、足りないところを文字で補う。どうなっているのかを、どう見えるのかを、どう感じるのかを、記入する。

 自分が持っている技術とふうを、全てめこんで。それでもふるえる手で、の様子も気にしながらく絵は、いたものと大してちがいがないように見える出来になった。思う通りにけなくて、みした。

 だが────それでも、この新しい試みの効果は、歴然だった。

 三回めくらいで確実になった。『記録』していた血管の広がってゆく速度が、明らかにおそくなったのだ。

 みずさいばいした球根の根のようにろつこつの下から垂れ下がっている血管の、びる速度が、たしかににぶっていた。どれくらいびているか『記録』していたおかげで、その効果のほどが正確に明らかになったのだ。

 それが分かった時、みんなで、わっ、とかんせいを上げて喜んだ。

 は全身で、ひかえめに、自分も、も、目になみだかべて喜んだ。久しぶりに見えた希望だった。

 だがにとっていちばんうれしかったのは、の担当する人体模型のそれよりも、自分が担当する骨格模型の方が、より強く血管の成長がおさえられていたことだった。にはそれが何よりうれしかった。何より。そして、ひそかに。

 自分だけが助かりたいわけじゃない。でも、自分が先行していることがうれしかった。

 自分だけの〝好き〟が、〝努力〟が、と分け合うことなく認められたと思えて、それがうれしかったのだ。は『かかり』になってから、いや、絵本の事件があってから、初めて前を向くことができた。目標ができた。まずはが、それからが、『記録』を完成に近づけて、このごくからすのだ。

 そして、そうすることによってを、自分たちの世話から解放する。

 そうしなければ、いつかまると気づいていた。もっとずっと早くから。目の前のきように負けて、見ないようにしていただけで。

 やっと直視した。このまま、みんなでしずんでゆくわけにはいかない。

 がんれば、みんな無事に終わる可能性が高まるのだ。


「……そうだ、私が」


 の意識は変わった。

 もどした自己こうてい感と、それによって見えた責任。だから、これまで以上に熱心にけいから絵を教わって、少しでも絵の練習の足しにするため、ずっと遠ざかっていた、だんの遊びとしてのおきに復帰して、自分の手に経験を積ませた。

 今までみんなに助けてもらった。

 今度は自分ががんる番だ。

 私にはそれができるから。

 できるようになったから。

 きっと。




 が先頭になって、『無名不思議』をおさえこむ日々が始まった。

 みんなを引っ張っているのはで、だれが先頭だとは思っていない。でも、それでいいと思っていた。今までなら自分ががんっていることの評価がもれてしまうことにえられなかったと思うが、今のは平気だった。

 実際に『無名不思議』をおさえているのはで、結果もそのようになっている。

 それを自分が知っている。それに何より、けいちがいなくそれを察していて、それだけで今のには十分だった。

 たった一人、けいが見てくれた。それだけでよかった。

 あきらめた自分を見つけてくれた。その一人がいるだけで世界が変わった。

 絵本の事件から、ずっと灰色になっていた心の一部に、色がついていた。わだかまりがとけて、心の中に絵がもどってきた。けいもどしてくれたのだ。


「先生」


 は、けいのことをそう呼んで、心の中でけいに感謝し、しんらいし、なついた。

 ただ、も聞いている前でそんな主張をするつもりはなかったので、自分のそんな事情も好意も口にはしなかった。ただとにかく生徒として、熱心に、積極的に教えを受けた。

 けいの方も当然、そんなの思いには気づくことなく、あのみように根は育ちが良くて親身なのにぶっきらぼうな態度で、みんなと変わらずにと接した。だが、き上がる絵を見て口にするアドバイスと課題がに対してだけ明らかに高度になっていて、それだけでは満足だった。

 むしろそれこそが、を満たした。

 それこそがむしろ、く絵がのものだけなのだということを────とはちがう人間なのだということを、けいがはっきり見てくれているのだという、その証明に他ならなかったからだ。

 は自分のほこりをもどした。それとえなら、『かかりのしごと』は困難でおそろしくても、えられた。そして、そうやっていどんだ『かかりのしごと』は目に見える効果をあげて、その成果はにも、ポジティブなえいきようをもたらした。

 成果と手応えと喜びの中で、おびえるばかりだったに、ささやかな自信が育ったのだ。

 今までより少しだけ強くなった。少しだけ『記録』に前向きになり、おそれながらも模型に目を向けるようになり、絵も上達して、最初とは比べ物にならない情報量の『記録』を作ることができるようになった。

 そうなってみて、ようやくは言った。


「……ねえ、。私らが見ないで書いてたのって、やっぱり、ちゃんとした『記録』じゃなかったんだね」


 と。


「うん、そうだったんだと思うよ……」

「全然ちがうもん。今ならわかるよ。あの時は必死のつもりだったけど、私ら、みんなに甘えてたんだね……」

「うん、甘えてた、ずっと」

「謝らないと」

「そうだね……それに、次は、私らががんらないとね」


 も、ようやく少し現実を直視した。現実のじようきようを。現実の自分を。それから現実のきようを。やっとは、その前では上げることもできなかった目を『動く人体模型』に、自分から向けることができるようになった。

 全てが良い方向に回り始めた。


刊行シリーズ

ほうかごがかり6 あかね小学校の書影
ほうかごがかり5 あかね小学校の書影
断章のグリム 完全版3 赤ずきんの書影
断章のグリム 完全版2 人魚姫の書影
断章のグリム 完全版1 灰かぶり/ヘンゼルとグレーテルの書影
ほうかごがかり4 あかね小学校の書影
ほうかごがかり3の書影
ほうかごがかり2の書影
ほうかごがかりの書影