上巻

一話 空とワンダー ④

 混乱が、最高潮に達しようという時、追い討ちのような異常が迫ってきた。

 何か、粒状のものが、空を高速で移動しているのが見えたのだ。

 見間違えだと思って、目を擦ってみた。けれど逆に粒は大きくなり、より鮮明になっていく。

 ふた呼吸置いたところで、粒の正体が明らかになった。

 魚だ。

 さっきハローバーガーの店内から見たばかりだから、間違いなかった。ずんぐりとした体に花柄のマントを羽織った、空を飛ぶ魚のワンダー。

 の、群れ。

 少なくとも十体。いや、もっとかも。見た感じ単体の大きさは一、二メートルほどだが、それが群れて集まって、一匹の巨大な魚のように動いていた。


「すごっ! ワンダーって、あんな速く動けるんだ」


 我ながら能天気なコメントだった。

 どう考えても、私は今すぐその場から逃げるべきだった。

 観覧車の高さはせいぜい十五メートル。非常用レバーで扉を開いて、鉄骨を伝って降りれば、まだなんとかなるかもしれなかった。

 まばたきを一度するたびに、目に映る魚群の大きさは倍加した。

 それがどういうことか、頭では分かっていた。

 接近してきているのだ。

 それも、とてつもない速度で。

 けれど私は窓に額をこすりつけ、彼らから目を離すことができない。今なにか、トンデモないことが起ころうとしている。進路相談とか将来設計とか自分の存在意義とか、そういうダルいこと全部ぶっ飛ばしてくれるような非日常が、目前まで迫っている。

 可笑おかしいだろ?

 でも、この胸騒ぎだけがリアルだった。

 三度のまばたきを経て、先頭を飛ぶ魚の一匹と目が合った。

 直後。

 衝撃が観覧車全体を貫き、私の体はシャカシャカポテトみたいに、ゴンドラ内を跳ね回った。私は何度も窓のガラスと鋼鉄の座席に、頭と腰を打ち付けた。

 ずきずきと痛む頭。手を当てると後頭部が湿っている。

 そして私はハッと息を呑む。

 隣のゴンドラが支柱から外れて吹っ飛び、メリーゴーランドのテントを突き破っていた。


(あっ。待って、これ――)


 今まで散々センセーやナルコに話題をふっておいて、結局、自分でもそこまで真剣に考えていなかった。体長一メートルを超えるイキモノが、空を飛んでいることのヤバさ。そんな重さの物体が高速で激突したら、どうなるか。


(――ガチでやばいやつだ)


 スローになる思考。

 けれど体はどうしようもなく鈍かった。

 おいおい、まじかよ。私の人生には何かが欠けている。その何かさえ見つかっていないのに。私まだ、出会うべき人に出会ってもないのに。

 恋も、したことないのに。

 死因:魚の追突――私、こんなわけのわからん死因で死ぬんか。

 四度目のまばたきはそのタイミングさえ与えられず、瞳は、まるで散弾のように接近する魚群を、一度だけ捉える。ことの顛末を見届けたいだなんて崇高なこと、思えるはずもなく。

 無様に私は、目を閉じた。


 次に、私の視界が捉えたのは、一回転した空と――

 黒いケープの――男の子?

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トンデモワンダーズ 上 〈テラ編〉の書影