第一章 先輩はバニーガール ④
その中を、同じ制服を着た生徒たちがぞろぞろとホームへ降りていく。定期のICを読み取るカカシみたいな機械が一本立っただけの簡素な改札口。日中は駅員さんが立っているが、咲太たちが登校するこの時間には誰もいない。
駅を出て、踏切をひとつ渡れば、学校はもう目の前だ。
「そういや、かえでちゃんは元気?」
「妹はやらんぞ」
「つれないこと言うなよ、お義兄さま」
「国見にはかわいい彼女がいるだろ」
「そういや、そうだった」
「彼女が聞いたら怒るぞ」
「いいよ。俺、上里の怒った顔も好きだし。ん? お、噂をすればなんとやらってか」
何かに気づいた佑真の視線を追うと、十メートルほど前を桜島麻衣がひとりで歩いていた。長い手足に、小さな顔。すらっとしたモデルのような体型。同じ制服を着ているはずなのに、他の生徒とは違って見える。両足を包む黒タイツも、お尻を隠したスカートも、サイズがぴったりのブレザーも……そのすべてがしっくりきていない。借り物の衣装を着せられている感じ。もう三年生だというのに、制服は麻衣に全然馴染んでいなかった。
むしろ、その周囲でしゃべる女子三人組の方が、よっぽど上手に制服を着こなしている。部活の先輩に威勢よく、「おはようございます!」と言っている一年生の方が似合っていた。友人の背中に軽く蹴りを入れている男子生徒でさえ、華やかさと活気に満ちている。
駅から学校までの短い通学路は、峰ヶ原高校に通う生徒たちの楽しげな話し声と笑い声で満たされていた。
そうした中を、ひとり無言で歩き続ける麻衣の姿は妙に孤独に見えた。平凡な県立高校に迷い込んだ異分子。異質な存在。みにくいアヒルの子。それが、この場所における桜島麻衣の印象だった。
いや、それどころか、誰も麻衣を気にしていない。あの『桜島麻衣』がいるのに、見向きもしていない。騒ぎ立てる生徒はひとりとしていない。これが峰ヶ原高校における『普通』なのだ。
言うなれば、『空気』のように、麻衣はこの場所に存在している。それを全員が受け入れている。その光景は、昨日、湘南台の図書館で見た人々の反応を、咲太に思い出させていた。妙な不安感が腹部をそわそわとさせる。
「なあ、国見」
「ん?」
「桜島先輩のこと見えてるよな」
「そら、ばっちりと。目はいい方だからな。両目とも2・0」
こんな質問をすれば、佑真のように返答するのが当然だった。昨日の、アレがどうかしていたのだ。
「んじゃあな」
「ああ」
今年は別々のクラスになった佑真とは二階の廊下で別れ、咲太は二年一組の教室に入った。すでに登校している生徒は半分ほど。
窓際の一番前の席に座る。『梓川』という名字のおかげで、春の席順はだいたい同じ位置になる。『相川』や『相沢』でもいない限り、出席番号は一番。なんとなく損をすることが多いように思う『一番』だ。けど、この峰ヶ原高校に入学してからは、春に窓際の席が約束されるのであれば、そう悪い番号でもないと思えるようになっていた。
なぜなら、この学校の窓からは海が見えるのだ。
朝から風を求めてやってきたウィンドサーフィンの帆がいくつか見える。
「ねえ」
「……」
「ねえってば」
近くでした声に気づいて顔を上げる。
机を挟んだ真正面から、不機嫌そうな女子生徒が咲太を見下ろしていた。クラスで一番目立つ女子グループの中心的存在。名前は上里沙希だ。
ぱっちりと開いた大きな目。肩まである髪はくるんと内向きにカールしている。薄っすらとメイクした唇は綺麗なピンク色だ。男子の間ではかわいいと評判。
「無視とか酷くない?」
「ごめん。僕に話しかけてくるやつが、まだこの教室にいるとは思わなかった」
「あのさ……」
チャイムがそこで鳴る。
続けて、担任の教師が教室に入ってきた。
「あーもー。大事な話があるから、放課後、屋上。絶対だよ」
ばんと机に手を置くと、上里沙希は斜め後ろの自分の席へと戻っていった。
「僕の意思は関係なしか」
ぼそりと独り言を口にしてから、咲太は肘を突いて海を見据えた。
今日も海はそこにある。ただ、あるだけだ。
「面倒なことになったな……」
女子生徒から放課後に呼び出しを受けても、咲太は少しも浮かれた気分になれなかった。雀の涙ほどのときめきもなかった。
だいたい、上里沙希は国見佑真の彼女なのだ。
3
放課後、忘れたふりをして一度は下駄箱に行った咲太だったが、律儀にも引き返して屋上へ顔を出した。ばっくれたらあとが面倒だと考え直したのだ。少し違うが、急がば回れ。
それなのに、先に来ていた上里沙希からは、
「遅い!」
と早速怒られた。心外極まりない。
「掃除当番だったんだよ」
「そんなの知らない」
「で、何の用?」
「単刀直入に言うけど」
そう前置きをしたあとで、沙希は真っ直ぐに咲太を睨み付けてきた。
「クラスで浮いてる梓川なんかと一緒にいると、佑真の株が下がるの」
「……」
なにやらすごいことを言われた。宣言通り、単刀直入だ。
「今日、はじめて上里さんとは会話をするのに、僕のことをよく知ってるんですね」
棒読みで言葉を返しておく。
「『病院送り事件』のことは、みんな知ってる」
「ああ……『病院送り事件』ね」
興味がなさそうに、咲太は曖昧に繰り返した。
「佑真がかわいそうだから、今後、佑真としゃべんないで」
「その理屈だと、現在進行形で上里さんもかわいそうで、株が大暴落してるけど、いいわけ?」
屋上には他の生徒の姿もある。彼らの視線は、不穏な空気を放つ咲太と沙希を明らかに気にしていた。
スマホをいじっているやつもいる。実況でもしているんだろうか。ご苦労なことだ。
「あたしはいいの。佑真のためだもん」
「なるほど。すごいな、上里さんは」
「はあ? なに褒めてんの?」
どちらかというと揶揄する意味で言ったのだが、皮肉が伝わらなかったようだ。
「まあ、心配ないと思うぞ。大丈夫だろ、国見は。僕と一緒にいるところを誰かに見られたくらいで、国見の株は落ちない。あいつは、自分の母親が作った弁当を毎日美味いと言って、感謝しながら食うほどに、思いやりというものがどういうことかを知っているいいやつだ」
母子家庭に育てば誰だって母親を大切にする、と佑真は笑っていたが、そんな単純な話じゃないことはバカでもわかる。余計に反発するやつだって絶対にいる。
「そんなわけで、国見は上里さんにはもったいないくらいにいいやつだから安心しろ」
「ケンカ売ってるの?」
「買ってるんだよ。上里が僕にケンカ売ってるんだろ?」
苛々してきたせいか、『さん』が抜けてしまった。
「それ! その上里もムカツク! なんであんたのことは名前で呼ぶくせに、彼女のあたしは佑真から『上里』って名字で呼ばれなきゃいけないのよ」
変なところに食いつかれて、急に話題が飛んだ。「知るか」と思ったが黙っておく。これ以上、彼女の愛に振り回されるのはごめんだ。
ただ、その代わりに口にした言葉こそ、言うべきではなかったのかもしれない。
「そんなに苛々して、上里、生理か?」
「んなっ!」
一瞬で、沙希の顔が真っ赤に染まる。
「ちょっ、死ね! バカ! 死ね! 絶対死ね!」
完全に取り乱した沙希は、罵声を浴びせながら校舎の中へと戻っていく。ばたんと勢いよく屋上のドアが閉まった。
ひとり取り残された咲太は、
「……やべ、図星だったか」
と、反省して頭をぼりぼりと搔いた。
うっかり上里沙希と校舎の中で再会しないように、咲太は屋上で少し潮風に吹かれてから帰宅することにした。



