第二章 仲直りの代償 ④

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「梓川君、ディナーで忙しくなる前に、休憩入って~」

「はい」


 ファミレスの店長にそう言われ、咲太が男子更衣室にもなっている休憩スペースに顔を出すと、丁度着替えの終わった佑真がロッカーの陰から出てきた。部活のあとなのに、疲れた様子はまるでない。

 その佑真の目が咲太に気づいた。


「よっ」

「おう」


 さわやかな笑顔でエプロンの紐を結ぶ佑真に、咲太は無愛想に応じた。


「咲太は休憩?」

「じゃなきゃ、ホールにいる」

「だよな……よし」


 びしっとエプロンが結べたらしい。鏡の前で身だしなみのチェックをしている。


「あ、そだ。咲太」


 何か思い出したように、佑真が再び話しかけてくる。


「ん?」


 パイプ椅子に座って、テーブルの上に置かれたポットからお茶を注ぐ。それをずずっとすすった。


「お前、俺に隠してることあるだろ」

「なんだその言い方。国見は僕の彼女か」


 一瞬、ドキッとしたのは、理央の片想いのことかと疑ったからだ。でも、佑真の口から出たのは別の名前だった。


「冗談じゃなくて、上里のこと」

「あー」


 ほっとしながら、視線を逸らす。あれはあれで、あまり触れられたくはない。けれど、二週間前に咲太が上里沙希から屋上に呼び出されたことを、佑真は知っている様子だった。

 恐らく、本人の口から聞いたのだろう。こうなっては逃げようがない。


「国見の彼女、すごいな」

「だろ? 自慢の彼女」

「お前としゃべるなって言われたぞ」

「独占欲が強くてさ。俺、めちゃくちゃ愛されてるんだよ」

「僕が国見といると国見の株が落ちるらしい。今、お前、いくらだ?」

「なんつーか、すまん!」


 両手を合わせて、佑真が頭を下げる。


「お前もすごいよな」

「なにがよ?」

「こんだけ誘導してんのに、一言も彼女の悪口言わないとかさ」

「そりゃあ、好きで付き合ってるんだし。ちょっと思い込みが激しいとこあるけど、真っ直ぐでいい子だよ」


 ちょっと真っ直ぐすぎる気もするが……。


「なんだその旦那にDV受けてる嫁のような発言は」

「『彼、時々やさしいの』ってか? バカ言え」

「ま、僕のことは気にするな。上里に何を言われたところで痛くも痒くもない」

「それはそれで複雑だな」


 困ったように佑真が笑う。


「それより、僕の方こそ悪かった」

「なんだよ、急に」

「彼女の悪口なんか聞かされて、気分いいはずないもんな」

「気にしてねーよ」

「それは上里に悪いだろ」

「あ、それもそっか」


 屈託なく佑真が笑う。


「てか、いいんだよ、それは。それよか、咲太、今後も変な気を遣うなよ。俺を避けたらそれこそ怒るぞ」

「彼女とケンカになっても僕は責任取らないぞ」

「そんときゃそんときだし……なんとなく、怒りの矛先は咲太に行くような気がするから大丈夫だろ」


 さらっと、面倒なことを言ってきた。


「おい、ちょっと待て、こら」

「痛くも痒くもないなら平気だろ?」


 佑真が勝ち誇った笑みを浮かべる。


「さすが女子に、『生理か?』って言える男は違うな。咲太の心臓ってなに? 鉄で出来てんの?」


 けらけらと佑真が笑い声を上げる。


「あ、やべ、時間」


 時計を見た佑真が慌ててタイムカードを通す。


「国見、入りまーす」


 そのままホールの方へと出ていった。

 でも、一分と経たずに休憩スペースへ戻ってくる。何か忘れ物だろうか。特に忘れるようなものもないはずだが……。

 佑真の視線は迷うことなく咲太へと注がれていた。何か言いたいことがありそうだ。


「なに?」

「例の女子アナ、また来てるぞ」


 隙のない佑真の表情。真剣さの中に、咲太を心配する穏やかな色が混ざっている。それが、咲太にとって歓迎すべき客ではないことを、雄弁に語っていた。


 休憩時間を無視してホールに出た咲太は、真っ直ぐ奥のテーブルに向かった。四人掛けのボックス席に、二十代後半の女性がひとりで座っている。清潔感のある春らしい色合いの半袖ブラウスに膝下のスカート。派手さを抑えたナチュラルなメイク。どこか知的で、全体の雰囲気はアナウンサーっぽい。実際、本物のアナウンサーなのだが……。


「ご注文をお伺いします」


 あくまで事務的に咲太は声をかけた。


「お久しぶり」

「どちら様でしたっけ?」

「なるほど、そう来るか。では、はじめまして私はこういうものです」


 丁寧な手つきで、女性が名刺を差し出してくる。

 TV局のロゴ。アナウンス部所属。中央には、『南条文香』と名前が印刷されている。

 ああは言ったが、本当は面識がある。妹のいじめ事件のときに、『中学生のいじめ問題』という名目で、取材にやってきた文香と会っているのだ。それから、もう二年近い付き合いになる。


「今日は何の用ですか?」

「生シラスの取材で近くまで来たの。夕方からはオフだったので、会いに来ちゃった」


 わざとらしくはしゃぐ文香を前にしても、咲太は表情を崩さなかった。文香の目的はわかっている。いじめの取材の中で、彼女は思春期症候群の存在を知り、興味を抱いたのだ。もちろん、そんな都市伝説を真っ向から信じているわけじゃない。半信半疑で懐疑的。でも、本当だったら大スクープになる可能性もあるので、諦めきれないと、以前に文香自身があっけらかんと語っていた。


「オフなら野球選手を誘ってデートでもしたらどうですか? 女子アナらしく」

「魅力的な提案だけど、シーズン中の今、目ぼしい一軍の選手はお仕事中よ」


 時刻は午後六時。プレイボールの時間だ。


「それに、デートだけならここでもできるしね」


 意味深な視線を文香が咲太に向けてきた。


「僕はおばさんに興味ないんで」

「子供の咲太君には、わかんないかなぁ。この大人の魅力が」


 頰杖を突いて、咲太の顔を下から覗き込んでくる。


「三ヵ月前に会ったときより、太ったのはわかります。二の腕、そろそろやばいですよ」

「……っ!」


 ぴくっと眉が吊り上がった。少しむっとしたようだ。背もたれに体を預けて、


「かわいくないなあ」


 と言ってきた。


「どうせならかっこよくなりたいんで……ご注文は?」

「咲太君をお持ち帰りで」

「頭がおかしいようなので、ご注文は救急車一台でよろしいですね」


 淡々と言葉を返す。


「チーズケーキのドリンクセット。ホットコーヒーで」


 メニューを見ずに注文してくる。ここに来るときは、文香は必ず同じものを頼むのだ。なんというか、この辺の行動は男っぽい。


「以上でよろしいですか?」

「事件のこと、まだ話す気になれない?」


 鞄からスマホを出して、文香はメールのチェックをはじめる。


「一生なりません」

「胸の傷、一枚写真に撮らせてくれるだけでいいんだけど」

「嫌です」

「どうして?」


 指でなぞって画面をスクロールさせている。


「じゃあ、南条さんの裸の写真も撮らせてくれますか?」

「うん、いいわよ」

「ここに痴女がいますよー」

「個人で使うだけにしてよ? ネットに流出とかはさすがに会社クビになっちゃう」


 相手にするのもバカらしくなって、咲太は返事をせずに立ち去ろうとした。

 でも、二、三歩離れたところで、ふとあることを思いついてしまった。


「あの」


 戻って文香に声をかける。


「ん?」


 スマホを見ながらの上の空の返答。


「南条さんは、桜島麻衣を知ってますか?」


 少し躊躇いつつもその名前を口にした。


「逆に、知らない人っているの?」


 文香の視線はまだメールを確認中だ。


「彼女が、活動休止した理由……南条さんは知ってたりします?」

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