第三章 初デートに波乱は付き物だ ①

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 天気は快晴。待ちに待った日曜日は、絶好のデート日和となった。

 バイトの方も、午後二時ぴったりに上がることができ、逆に待ち合わせまで少し時間があったので、咲太は一旦家に帰ることにした。

 自転車を飛ばすこと約三分。


「おかえりなさい」


 と出迎えてくれたかえでの頭にぽんと手を乗せてから、お風呂場へ直行する。

 自転車のこぎ過ぎで汗だくになった体をシャワーで流し、念のために新しいパンツに穿き替える。その際、かえでに訝しげな視線を送られたが、


「男はあらゆる事態に備えておくべきなんだ」


 と、一般論風に言ってごまかした。


「じゃ、行ってくるな、かえで」

「あ、はい、いってらっしゃい」


 なすのを胸に抱いたかえでに見送られ、二時二十分に再び家を出る。今度は徒歩で藤沢駅へと向かった。

 なんだか体が軽い。普通に歩いているのに、スキップでもしているかのような軽やかさだ。翼でも生えた気分。

 見慣れた住宅街の景色が、今日は違って見える。割れたアスファルトの隙間から顔を出した草花が自然と目に留まった。電線に止まったすずめの鳴き声がよく聞こえた。

 そして、それらが愛おしく思えてくる。やさしい気持ちになれた。

 そんな浮かれに浮かれた咲太の耳に、小さな女の子の泣き声が聞こえてきたのは、家を出て三、四分後のことだった。

 進行方向の前方。公園の入り口に、わんわんと泣きじゃくる女の子がいる。


「どうした?」


 近づいて声をかけると、女の子は一度咲太を見て泣きやんだ。でも、またすぐに、


「うわー、ママじゃなーい!」


 と言って泣き出してしまう。


「迷子か?」

「ママ、いないー」

「迷子だな」

「ママ、まいごー」

「そういう解釈もあるな」


 なかなか将来が楽しみな女の子だ。


「ほら、もう泣くな」


 女の子の前にしゃがみ込むと、咲太は小さな頭にぽんと手を置いた。


「お兄ちゃんがママを捜してやるから」

「ほんとう?」

「ああ」


 しっかり頷いてから笑いかける。これで女の子もにっこりと笑顔になるかと思いきや、どういうわけか不思議そうな顔で首を傾げていた。


「よし、じゃあ行くか」


 気を取り直して、咲太が女の子の手を握った瞬間だった。


「くたばれ、ロリコン変質者!」


 そんな威勢のいい掛け声が背中から聞こえてきた。

 一体、何事だろうか。そう思って振り向こうとしたのだが、それは叶わなかった。相手の顔を確認する前に、咲太のお尻に鋭い衝撃が走ったのだ。

 まるで、硬いブーツの先端で、尾骶骨を蹴り上げられたかような激痛。いや、実際、その通りなのだろうが……。


「うおおおっ!」


 雄叫びを上げながらアスファルトの上をのた打ち回る。その際、視界の隅に映ったのは、咲太とそう年齢の変わらない女子。恐らく、高校生。すなわち女子高生。

 ふんわりしたショートボブの髪型に、短いスカート。当然、ナマ足。控えめながらメイクも決めたイマドキの女子高生だった。


「さあ、早く逃げて!」


 真剣な表情で女子高生が女の子を促す。突然のことに女の子は、「え? ええ?」と戸惑うだけだった。


「だから、早く!」


 何が「だから」なのかはわからないが、女子高生は女の子の手を摑むと、どこかへと連れていこうとする。


「ロリコン変質者が立ち上がる前に!」

「誰がロリコン変質者だ」


 お尻を押さえながらよろよろと咲太は立ち上がる。痛すぎて下半身に力が入らない。内股になった足はぷるぷると震えている。生まれたての小鹿のようだ。


「お兄ちゃん、ママ、捜してくれるんだよ」

「へ?」


 素っ頓狂な声を女子高生が上げる。


「ロリコン変質者じゃないの?」

「僕は年上好きだ」

「やっぱり、変質者!?」


 そう言いながらも、女子高生の表情には動揺が浮かんでいる。よく見ると、かわいい顔をした女子高生だった。まだ少し幼さを残した丸い輪郭。ぱっちりと開いた大きな目。軽めのメイクはやわらかい印象で好感が持てる。やりすぎな女子を学校内で見かけるので、メイクをするならこの子くらいを基準にすればいいと咲太は思った。


「僕は迷子になったその子の母親を一緒に捜そうとしてただけだ」

「いやいや、迷子はこの子でしょ?」

「ママ、まいごー」


 咲太の発言を、女の子が肯定してくれた。しかも、女子高生の側を離れ、咲太のもとまで来ると、袖口をきゅっと握ってくる。形勢は一気に逆転。

 さすがに、女子高生も自分の勘違いを認めたらしく、苦笑いが浮かんでいる。


「あー、お尻が痛い」

「ご、ごめんねえ。あははっ」

「ふたつにぱっくり割れたかも」

「え? それは大変! って、もとからふたつじゃん!」

「あ~、痛い、痛いなあ」

「わ、わかったぁ。わかりましたぁ」


 投げやりな感じで女子高生が大きな声を出した……かと思えば、後ろを向いて電信柱に手をつく。


「さあ!」


 気前の良さそうな掛け声と共に、ミニスカートに包まれたお尻を咲太に突き出してきた。



「いや、『さあ』じゃなくて」


 蹴れということなのだろうが、天下の往来で女子高生の尻を蹴る趣味はない。


「いいから、早くして。あたし、友達と約束あるの!」


 約束なら咲太にもある。それも重要な約束だ。今、こうしている間にもどんどんとその時間は迫っている。というか、迷子の問題もあるので、このままでは遅刻は確実。それゆえに余計なことに時間を使っている場合ではない。

 こうなると、さっさと蹴ってしまった方が早そうだ。


「じゃあ、はい」


 ぽんっと軽く女子高生の尻に蹴りを入れた。これで納得するだろう。そう思っていたのだが、


「もっと強く!」


 と、女子高生は背中越しに訴えかけてきた。


「まじで?」


 先ほどよりも強めに蹴る。ぱんっといい音が鳴った。


「もっとぉ!」


 それでもまた、足りないらしい。


「よし、どうなっても知らんぞ!」


 ここは覚悟を決めよう。

 女の子のお願いを聞き届けてあげるのが、いい男というものだ。

 咲太は半身を引いて構えると、軸足にぐっと力を溜めた。標的の丸いお尻を確認。狙いを定めて、しなりのある本気のミドルキックをお見舞いした。

 どすんっという生々しい低音が響く。

 一瞬遅れて、


「い、い……いたかぁー!」


 と、博多弁の悲鳴が上がった。


「う~」


 呻き声をもらしながら女子高生がしゃがみ込む。その両手は大切そうにお尻を押さえていた。痛すぎて続く言葉が出てこないようだ。金魚のように口をぱくぱくとさせている。


「お、お尻がふたつに割れた……」


 やっと絞り出したのはそんな声。


「安心しろ。もとからふたつだ」

「あ~、ちょっと君たち」


 後ろから声をかけられ、女子高生と同時に振り向く。制服を着た警察官のおじさんが立っていた。その表情には困惑が見て取れる。


「休日の真昼間から公道でド変態プレイをお楽しみのところ申し訳ないね」

「いや、ド変態はこいつだけですって」


 事実なので女子高生を指差す。


「ち、違う! 違うから! これにはわけがあるんだって!」


 妙な誤解をされて、女子高生も必死だ。


「とりあえず、そのわけとやらは交番で詳しく聞くから」


 ぐっと腕を組まれてしまい、身動きが取れない。さすが警察官のおじさん。おじさんといえども、しっかりと鍛えているのかびくともしない。この街の治安は安心だ。


「僕、このあと大事な用事があるから離して!」


 交番など冗談ではなかった。五分、十分なら奇跡的に可能性があるが、それ以上の時間を麻衣が待っていてくれるはずはない。なんたって、彼女は『桜島麻衣』なのだから。

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