第三章 初デートに波乱は付き物だ ②
「はいはい、暴れない。大人しくね。迷子のお嬢ちゃんもおいで。交番でお母さんが待ってるよ」
「ママ? わーい!」
警察官のおじさんに引き摺られながら、迷子問題が解決したことにだけはほっと胸を撫で下ろす咲太だった。けれど、それすらも、
「最近、若者の間じゃ、痛いのが流行ってるのかい?」
という、おじさんの質問が台無しにしたのだった。
咲太たちが警察官のおじさんから解放されたのは、交番に到着して一時間半後のことだった。交番を出るときに見た時計の針は、恐ろしいことに四時を指し示していた。今すぐ誰かにタイムマシンを用意してもらいたい。
「はー、もー、最悪~」
疲れた顔で隣を歩く女子高生が不満を口にする。
「それはこっちの台詞だ、バカ」
「バカってなによ。元はと言えば、あなたが紛らわしいことをしてたからいけないんじゃん」
「誤解したお前の方がよっぽど悪いだろ」
「言い訳とか、かっこ悪い」
「言い訳じゃない。事実だ。だいたい、おじさんの話が長引いたのは古賀のせいだからな」
びくりと女子高生の肩が動く。
「……ちょっと、なんであたしの名前知ってるの?」
「古賀朋絵。かわいい名前してるんだな」
「フルネームも!?」
交番で警察官のおじさんに自分で名乗ったことを覚えていないのだろうか。通っている学校も把握済み。なんと咲太と同じ峰ヶ原高校の生徒だった。ひとつ下の一年生。一応、学校の後輩ということになる。
「僕はお前のことを何でも知ってる」
「はあ、バカじゃない?」
「出身は福岡だろ」
「どげん、知っとーとぉ!?」
「……」
「あっ」
慌てて女子高生こと古賀朋絵が口を両手で押さえる。
「さっきも『いたかー』って叫んでたぞ」
「そ、そんなの知らないし」
そっぽを向いてとぼけている。よくわからないが、知られたくない情報だったようだ。今さらごまかしたところで遅いわけだが。
「まあ、話を戻すと古賀が悪いってことだ」
「名前、教えて。そっちだけ知ってるのずるい」
「佐藤一郎だ」
真面目に教える義理もないので、わかりやすい噓を吐く。さすがに誰だって偽名だと気づくと思ったのだが、
「じゃあ、佐藤。あたしのどこが悪いって言うの?」
と、朋絵はあっさり受け入れた。どうやら、人を疑うということを知らない、純粋でいい子のようだ。今さら偽名だと言うのも面倒だったので、咲太は黙っておくことにした。
「わからないなら教えてやる。開始三十分ほどで警察官のおじさんには誤解だってことを理解してもらえたのに、古賀がスマホばかり気にして、いじって、ちゃんと話を聞いていなかったからだ」
事実、残りの一時間は人が話をしているときに『ケータイ』ばかり気にするなという内容のありがたいお説教だった。ケータイもスマホも持っていない咲太には、本当にどうでもいい内容だったのだが……。
「そうだけど……そんな理路整然と言わなくてもいいじゃん」
口を尖らせてふてくされたような態度を取る。
「少しは反省したか?」
「だって、メッセージ来てたし、しょうがないし」
「どの辺がしょうがないんだよ」
「返事、早くしないと友達じゃなくなっちゃう」
しゅんとして、朋絵が少し俯く。
「あ、それで必死に返事打ってたのか」
「じゃなかったら、怒られてるときにまでしないよぉ」
朋絵は頰を膨らませて上目遣いで睨んでくる。
「へえ~」
「なにその反応。感じ悪い」
「べつに~」
「どうせ、そんなんで友達じゃなくなるなら、そんなのは本当の友達じゃないとか思ってるんでしょ」
前に誰かに言われたことでもあるのだろうか。なぜか朋絵は声色を変えて言ってきた。
「お前がそう思ってるんじゃないの」
「う、うるさいな」
咲太は朋絵の頭に手を置くと、くしゃくしゃにしてやった。
「わっ、バカっ、セット大変なのに」
咲太の手を払いのけ、朋絵が慌てて乱れた髪を両手で直している。
「ま、がんばれよ。女子高生」
「なに? バカにしてんの?」
「その馬鹿げたルールの中で、お前、必死に生きてんだろ? なら、バカにはしない。バカだとは思うけど」
メールにしろ、メッセージにしろ、誰が望んで作ったルールなのかもよくわからない。誰のためのルールなのかも、よくわからない。最初は自分たちが「いい感じ」でいるために用意した決め事だったはずなのに、気が付いたら、自分たちを苦しめる縛めになっている場合もあるそんなルール。
でも、一度そのルールでやると決まってしまった以上は、仕方がない。ルールを守れなければ、みんなの輪から除外される。簡単に仲間はずれにされる。しかも、一度輪から外れたら、元の場所には戻りようがない。そんなことは咲太だってよく知っている。かえでが散々それで苦しんだからよく知っている。
消耗するだけ。それでも、そんなルールで自分たちを縛って、繫がって、居場所を作っておかないと安心できないのだ。一通一通のメールや、ひとつひとつのメッセージは「大丈夫だよね?」、「大丈夫だよ」とお互いに確認し合うためのもの。自分で自分を肯定するのは難しいから誰かに肯定してもらう。そして、それをみんなで共有する。同調する。そうやって安心できる居場所を作っている。
中学も、高校も……学校が社会のすべてで、世界そのものなんだから仕方がない。みんな、必死だから仕方がない。
そういう世の中の仕組みが、高校入学後にバイトをはじめ、大学生や社会人のスタッフと接するようになって、咲太は少しだけわかった気がした。別の場所から学校という空間を眺めることで、わかったような気がした。求めていたのは居場所だったんだと……。
「結局、バカにしてんじゃん」
「古賀はいいやつっぽいから、ま、いいんじゃないか」
「なにそれ」
「変質者から小さな女の子を助けようとしたガッツは尊敬に値する。危ないから今後は誰かを呼んだ方がいいけどな。相手が本物の変質者だったら、お前も襲われてんぞ。かわいいんだし」
「か、かわいいとか言うな!」
真っ赤になって朋絵は照れている。案外、言われ慣れてないのかもしれない。
「ま、その正義の心を忘れずに、これからもがんばってくれ」
「あ、うん。ありがと」
意外なほど素直に朋絵はお礼を言ってきた。根っこは本当にいいやつなのだろう。眩しいくらいの純粋さだ。
スマホの着信音が鳴る。咲太は持っていないから、もちろん朋絵のだ。
「あ、やばっ! 約束あるんだった。じゃあね!」
ばたばたと朋絵が走り去っていく。短いスカートで走るものだから、ちらちらとパンツが見えていたけど、大声で指摘すると逆に注目を集めてしまいそうだったので、咲太は黙って見守ることにした。
「白か」
すっかり朋絵が見えなくなったところで、咲太は帰ろうと思って歩き出した。
三歩ほど進んで足を止める。
何か大事なことを忘れていないだろうか。
「……あ」
脳裏を過ったのは麻衣の顔。当然、やさしく微笑んでくれていたりはしない。かわいく拗ねていたりもしない。前に一度だけ本気で怒らせたときの表情が思い浮かぶ。
「やべっ」
足をもつれさせながら、咲太は猛ダッシュで待ち合わせの場所へと急いだ。
2
咲太が走り込んできたのは、毎日学校へ行くために使っている江ノ電藤沢駅。その改札口の前だった。
麻衣が指定した待ち合わせ場所。
切れた息を整えながら、右を見て、左を見る。横幅六、七メートルしかない改札口を確認するのに手間はかからなかった。
「……」
残念ながら麻衣の姿はない。
「ま、そりゃそうだよな」
あの桜島麻衣が、一時間半も待っているはずがない。



