第三章 初デートに波乱は付き物だ ③
「うわー、やっちまった……」
押し寄せる後悔。けれど、あそこで迷子の女の子を前にして、素通りすることなどできなかったし、よもや、その直後に正義の女子高生に絡まれるとは思いもしなかったのだから、こればかりはどうしようもない。
ケータイもスマホも持っていない自分を、今日はさすがに恨んでしまう。あれば、一本連絡を入れることはできた。まあ、事情を話したところで、「ふ~ん、私とのデートよりも大事な用事なんだ」とか真顔で言われて、結局、今日のデートはなくなっていたのだろうが……。
こうなると問題はどうやって許してもらうかだ。恐らく、麻衣は咲太が来ないことに散々腹を立てた上で、帰るなり、ひとりでどこかへ行くなりしてしまったのだろう。その怒りがそう簡単に収まるとは思えない。
ガックリと落ち込んだ咲太の背後から、足音がひとつ近づいてきた。なんとなく知っている気がする足音。ただし、そのリズムからは激しい苛立ちを感じる。
「私を一時間三十八分も待たせるなんていい身分ね」
「……」
信じられない気持ちで振り返る。そこには私服姿の麻衣が立っていた。
「なによ、ハトが豆鉄砲を食ったような顔で」
「だって、麻衣さんは遅刻してきた男を、健気に一時間三十八分も待っているような可愛げのある女じゃない! さては偽物だな!」
す~っと麻衣の目が細くなる。不思議と周囲の温度も二度ほど下がった気がした。
「咲太が私をどういう目で見ているのかよくわかった」
主にエロい目で見ていることがばれたのだろうか。
「『君』が抜けてますよ」
「咲太なんて咲太で十分」
麻衣は罰のつもりで言っているのだろうが、はっきり言ってご褒美にしか聞こえない。それを伝えると『咲太君』に戻ってしまいそうなので、咲太は黙っておくことにした。
「にやにやして、なに?」
「なんでもないです」
頰が緩むのを我慢しながら、改めて麻衣を見た。はじめて見る私服姿。長袖のブラウスの上に、ニット生地のかわいいフードベストを羽織っている。スカートは膝丈。裾の部分が少し外に広がった大人っぽいデザイン。加えて、膝下まであるブーツ。上品で、エレガントで、だけど、決めすぎてもいない絶妙なバランスの良さ。大人っぽい麻衣にものすごく似合っている。
「……」
ただし、ナマの部分がない。かすかに膝のあたりが見えるだけ。
「はあ……」
思わず、ため息がもれた。
「その失礼な反応はなに?」
「麻衣さん、気は確か?」
「な、なにがよ」
警戒したように麻衣が身を引く。
「デートと言ったら、ミニスカ、ナマ足!」
「殴るわよ」
ぐっと麻衣が拳を握る。
「はあ……」
「そんなに落ち込むこと?」
「楽しみにしてたのになぁ」
「遅刻しておいて図々しいわね」
「麻衣さん、制服のときいつも黒タイツだし」
「な、なによ、これだって色々考えて……」
視線を逸らし、ぼそっと何か言っている。
「ま、すげえかわいいんですけど」
「……」
ちらりと、横目で麻衣がおかわりを要求してくれる。
「麻衣さん、めちゃくちゃかわいいです」
「素直でよろしい」
「胸がドキドキします。持って帰りたいです。部屋に飾っておきたい」
「それ以上は、気持ち悪いから言わなくていいわよ」
「じゃあ、行きますかー」
それとなく流れで出発しようとする。
「待ちなさい。まだ話が終わってない」
「なにかありましたっけ?」
できれば流れてほしい話題なのですっとぼけてみる。
「下手な芝居はいいから」
「麻衣さんの前で芝居なんて恐れ多い」
「遅刻の言い訳をして、誠心誠意、私に許しを請いなさい」
なぜか麻衣は楽しそうだ。表情も生き生きとしている。
「納得できなかったら、私、帰るから」
もしかして、咲太をいじめるために、麻衣は一時間三十八分も待っていたのだろうか。そんな気がしてきた。
「ここに来る途中、住宅街の一角で迷子の子供に遭遇して」
「帰る」
「噓みたいだけど、本当なんですって!」
「バイト先から来たのに、どうして住宅街を通るのよ」
麻衣は鋭いところを突いてくる。
「一度、家に帰ったから」
「なんで?」
「時間あったし、いざというときのために、シャワーを浴びて、パンツを穿き替えるために」
「……キモ」
麻衣は素で引いている。
「ま、それは年下のかわいそうな男の子の空回りだと思って、仕方なく納得してあげる」
「ありがとうございます」
「ただし、今日は半径三十メートル以内に入らないで」
それはもうデートとは呼ばない。傍から見れば咲太はストーカーだ。
「ほら、作り話を続けなさい」
「迷子の子供と交番に行ったのは本当ですって」
「子供って女の子?」
「はい」
「私を待たせておいて、他の女と会ってたなんていい度胸ね」
「四歳児もダメ!?」
「ダメよ」
さらっと拒否された。
こうなるとバカ正直に全部話すのは危険だ。古賀朋絵というかわいい女子高生……いや、実はかなりかわいい女子高生と一緒だったことを言った日には、どんな罵声を浴びせられるかわかったものではない。
「でも、交番ならすぐそこでしょ?」
麻衣が駅の少し先を指差す。
「関わった以上は、ご両親が見つかるまで側にいようかと。女の子も泣いてたし」
「ふ~ん」
疑いの眼差しが突き刺さる。
「私、噓は嫌い」
「奇遇だなあ。僕もです」
「噓だったら、鼻でポッキー食べてもらう」
「一本?」
「ひと箱」
なまじっかギリギリでやれそうな範疇の拷問なだけに、色々状況が想像できてかなり嫌だ。
「食べ物を粗末にするのはよくないと思います」
「食べるんだから問題ないわよ」
「……」
「……」
顔を近づけて、麻衣がじ~っと見つめてきた。白状しなさいという圧力だ。吐息が頰に触れてくすぐったい。いい香りがする。
「強情ね」
「……」
今さら本当のことなど絶対に言えない。鼻でポッキーは食べたくないから。
「ま、いいわ。許さないけど、デートはしてあげる」
これは喜んでいいのだろうか。
「ありがとうございます」
咲太がほっと胸を撫で下ろした瞬間だった。
「あ、さっきのロリコン」
と、聞き覚えのある声がしたのは……。
JRや小田急の駅へと繫がる連絡通路の方を見れば、つい先ほどまで一緒にいた古賀朋絵の姿があった。一緒にいる三人の女子は、「約束がある」と言っていた友達なのだろう。華やかな雰囲気のある仲の良さそうな女子四人組。クラスの中心グループといった感じ。
「そういうお前は博多の女」
咲太が反応すると、慌てた様子で朋絵が咲太に詰め寄ってくる。咲太の口を両手で塞ぐようにして、
「そ、それ言わないで!」
と、小声で凄んできた。
「博多の女?」
友達のひとりが首を捻る。
「あ、ほら、福岡のお土産知らない? バームクーヘンに小豆羊かんが入ってるやつ。ほんとは『おんな』じゃなくて『ひと』って読むんだけどね」
「あ、食べたことあるぅ。あれ、おいしいよね」
「ってか、朋絵!」
別の友達が、ぐっと朋絵の腕を引いた。咲太と距離が離れる。
「な、なに?」
「病院送りの先輩」
耳打ちをしていても、はっきりとそう聞こえた。言われた朋絵は、「え? 佐藤一郎じゃ」とか呟いている。
「はあ? 朋絵なに言ってんの……てか、それに、あれ」
今度は四人揃ってちらりと麻衣に視線を送る。彼女たちには見えているようだ。
「ほら、行こ」
友達に引っ張られ、朋絵は足早に改札を通り抜けていく。



