第三章 初デートに波乱は付き物だ ④

 それを見届けながら、咲太は大きな失敗を犯したことに気づいていた。思わず、朋絵の声に言葉を返してしまったが、この場は知らんぷりをした方がよかった。その方が絶対によかったのだ。

 ちらっと麻衣を見る。完璧な無表情がそこにはあった。


「ねえ、咲太」

「誤解です」

「朋絵ちゃんって言うんだ」

「みたいですねー」

「心配しないで、帰ったりしないから」


 麻衣が腕を絡めてきた。


「まずはポッキーを買いにいかないと」

「細いやつでいい?」

「だ~め」


 さすがに今はその悪戯っぽい口調を楽しんでいる余裕はなかった。絡められた腕の感触を堪能している余裕もなかった。


「そこをなんとか!」

「ダメよ、ロリコン」


 こうして……麻衣との初デートは、駅前のコンビニに向かうところからはじまったのだった。


    3


 ぽきっとポッキーの折れる音が隣から聞こえてくる。

 江ノ電の車内。海側を向いた座席に、咲太は麻衣と並んで座っていた。

 またぽきっと音がする。コンビニで買ったポッキーを麻衣が一本ずつ口に運んでいるのだ。小さく開く唇がかわいらしく咲太を誘惑してくる。もちろん、麻衣にそんな気はないのだろうが、かじる前のわずかな時間、ポッキーの先端を少しだけ甘嚙みする仕草に思わず見惚れてしまう。

 ただ、純粋にその光景を堪能できない。いつ、麻衣がポッキーを鼻に突っ込んでくるかわからないので、気が気ではなかった。

 そして、その時は、思いのほか早くやってきた。

 麻衣がポッキーを差し出して、


「あげる」


 と言ってきた。


「オナカ、イッパイデス」

「太るといけないから残りは食べなさい」

「どこから?」

「普通に食べていいわよ」


 ため息交じりに麻衣が横目を向けてくる。


「いただきます」


 箱ごとポッキーを受け取った。


「まさか、私が本気で鼻から食べさせると思ったの?」

「完全に本気の目だったし」

「あんなの演技」

「さすが」

「ま、一本くらいは試してみようと思ってたけど」

「うわー、鬼がいる」

「全然反省してないようだから、やる?」

「すいません。噓です。やさしくて美人な麻衣様、許してください」

「なんか、誠意を感じないのよね」


 退屈そうに麻衣が窓の外に視線を向ける。とは言え、まだ藤沢駅を出て三駅。海が見えたりするわけではない。そろそろ、線路は民家と民家の間をすり抜けていく区間。

 夕暮れに向かう時間帯のせいか、車内はあまり混雑していない。席もまばらに空いている。近くにいる乗客の反応をそれとなく確認したが、麻衣に気づいている人はいなかった……恐らく、見えていないのだと思う。


「ねえ」

「土下座でもして謝れと?」

「違う。咲太はどうして私に構うの? 罰として白状しなさい」

「急になんですか?」

「普通だったら、私みたいに面倒な女には関わらない」

「自覚あったんだ」

「周囲の反応を見てれば、誰だって気づくわよ」


 クラスからも学校からも、麻衣は浮いた存在。誰も関わろうとしない空気のような存在だ。


「そんな風に捻くれてるから友達できないんですよ、麻衣さんは」

「捻くれてるのはお互い様」


 麻衣の皮肉は聞かなかったことにする。言われなくても自覚していることだ。事あるごとに、佑真や理央から面と向かって言われていることでもある。


「咲太の場合、その上、妙に図太いし」

「そうかな?」

「物怖じしないで私に話しかけてきたのなんて、咲太くらいのものよ」

「確かに、麻衣さんの威圧感はやばいと思う。友達できないと思う」


 美人というだけで声をかけづらいのに、国民的知名度の芸能人という肩書きもあるのだ。


「うるさいわね」

「麻衣さん、学校楽しいですか?」

「それ、友達もいないのにって意味なら、小学生の頃からずっとこうだったから、今さら別になんとも思わないわよ。学校を楽しいとも思わないけど」


 それは強がりでもなく、ごまかしでもなく、紛れもない麻衣の本音に聞こえた。学校に馴染めていないことに何も感じていない。周囲と自分が違うことに違和感を覚えてもいない。諦めをはるか昔に通り越して、無になっているんだと咲太は感じた。


「てか、話を逸らさないの」


 横から鋭い視線が注がれる。


「先に質問したのは私で、咲太はまだ答えてないわよ」

「なんでしたっけ?」

「女子アナに自分が不利になる情報を渡してまで、私にお節介を焼くのはどうして? そうまでするには、相応の理由が必要でしょ」


 先ほどよりも、麻衣は厳しく切り込んできた。


「僕は困っている人を放っておけない性質なんですよ」

「私は真面目に聞いてるの」

「ひどっ」

「咲太はお人好しだけど、天然のお人好しじゃない」

「そうかな?」

「誰にでもやさしいわけじゃない。前に七里ヶ浜の駅で私の写真を撮ろうとしていた大学生のカップルには結構酷いこと言ってたし」

「あれは、僕でなくても言うと思う」

「言い方にやさしさがなかったって言ってんの。やんわり注意すればいいじゃない」

「むかついてるのに?」

「やろうと思えばできるでしょ? それくらい冷静じゃなきゃ、逆にあんな風に相手を追い詰める言い方はできない」

「聞けば聞くほど、僕、性格悪いな……」

「いいと思ってたの?」


 わざとらしく麻衣が驚いた表情を向けてきた。


「ここに、もっと性格悪い人がいる」

「そういうのいいから、早く理由を答えなさい」


 話題を逸らすことを麻衣は許してくれなかった。いつもそうだ。


「なら、真面目に言うので、真面目に聞いてください」

「どうぞ」

「美人の先輩とお近づきになれるチャンスだから張り切ってるんです」

「誰が本音を赤裸々に語れと言ったのよ」

「真面目にって言ったの麻衣さんだよね?」

「建前を答えなさいよ」


 常識的に考えて、本音を聞きたがるものではないだろうか。麻衣の価値観はいまいちよくわからない。


「困ってるのに、誰にも頼れないのはしんどいから」


 咲太は半分投げやりな口調で答えた。


「……」


 今度は、何も言ってこない。合格ということだろうか。


「かえでが思春期症候群になったとき、誰も目の前で起きていることを信じてくれなくて……」


 ポッキーを一本摘んで口に運ぶ。食べながらしゃべるとマナーにうるさい麻衣に怒られそうだったので、飲み込んでから話を続けた。


「誰もまともに話を聞いてくれないし、みんな離れていったんですよ。本当のことを言っているのに、完全に噓つき呼ばわりされて」


 それも、仕方のないことだとは思う。そう、仕方がないのだ。咲太だって当事者が妹のかえでじゃなければ、信じようとはしなかったはずだ。目を背けて、耳を閉ざして……見なかったことにして、聞かなかったことにしたはずだ。

 その方が楽に生きられる。そんなことは誰もが知っている。


「ひとつ聞いてもいい?」


 少し躊躇いがちに、麻衣が言葉をもらした。

 頷いて麻衣を促す。何を聞かれるのか、だいたい想像はできていた。


「ご両親は?」


 慎重に麻衣が口を開いた。自身が母親との折り合いが悪いから、踏み込むのに余計な葛藤が生じたのだと思う。そういう風に、自分のことを相手に置き換えられるところが、咲太はいいなあと感じていた。性格はだいぶ女王様だけど、民の気持ちも理解してくれている。


「今は別々に暮らしてます」

「それはわかってる。家に上がらせてもらったときに、そう思ったし」


 確かに部屋を見れば、説明は不要だろう。大人のにおいがするものがない。玄関には咲太の靴しかないし、咲太個人の部屋に入っても廊下と雰囲気が変わらない。普通、家族でもテリトリー内の空気は違うものだ。


「私が聞きたいのは……」

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