第一章 思春期は終わらない ⑨
「そりゃよかったな」
「……」
またしても、美織の瞳には不満が溜め込まれる。
「文句があるなら、『わたしをダシに、イケメンと合コンしたいだけでしょ?』って言ってやったらどうだ?」
美織がいることで、参加する男子のレベルが上がるのは、間違いないと思う。先週の懇親会の様子がそれを証明している。
「梓川君、わたしのことなんだと思ってる?」
「ひとりだけモテそうで、友達から海に誘ってもらえないかわいい女子だと思ってる」
問題を解きながら、思ったままを咲太は口にした。
「性格悪いなぁ」
咲太に文句を言いながらも、美織の態度は咲太の言葉を半分認めている。誘われなかった理由は、美織も自覚しているのだ。似たようなことなら、これまでにも何度かあったのだろう。何度も、かもしれない。そうした扱いに、もう飽きたという雰囲気が漂っていた。
「嫌なら、合コンも行かなきゃいいんじゃないですか?」
すると、そこに、
「合コン? 私も行ってみたい!」
と、元気な声が割り込んできた。声だけではない。咲太と美織の間に、後ろから身を乗り出している女子がひとり……。
咲太の知っている人物。大学に入る前からの顔見知り。
広川卯月だ。
「アイドルは合コン行ったらダメだろ」
「ふうふっふー」
たぶん、そうだったーと言ったのだ。はっきり発音されなかったのは、卯月がタピオカミルクティーのストローを咥えているから。
なぜ、卯月がこの場にいるのかと言うと、卯月もこの大学に通う学生だからに他ならない。咲太と同じ統計科学学部に在籍している。
なんでも、早々と大学進学を宣言していたのどかに感化されて、自分も大学に行ってみたいと思ったらしい。
受験するなんて話を咲太は聞かされておらず、入学式が終わったあとで、のどかと一緒に突然現れたので普通に驚いた。
そんな卯月を見ていると、何を勘違いしたのか、
「お兄さんも飲む?」
と、タピオカミルクティーのストローを咲太の方へ向けてくる。
「やめとく」
現役のアイドルと間接キスをするのはあまりよろしくないだろう。
「タピオカ、今、マイブームなのに?」
「僕が飲むと、タピオカだけどっさり残るんだよ」
「美味しいのに?」
「才能ないんだろうな、きっと」
「じゃあ、しょうがないね」
最後のストロークだけは、奇跡的に嚙み合った。表面上だけではあるが……。
再び、卯月がストローでタピオカを吸い上げる。甘い香りを漂わせ、口をもぐもぐ動かしながら、咲太と美織を見比べている。
「お兄さんの新しいカノジョ?」
何を言うのかと思えば、おかしな質問をぶつけてきた。
「違う」
「かわいいのに?」
「彼女は……」
言いかけて言葉に詰まったのは、美織との関係性を端的に表す言葉が、すぐに思いつかなかったから。金曜日に知り合ったばかり。お互いのことをまだよく知らない。
「友達候補の美東美織です」
咲太に代わって、そう答えたのは美織自身だ。
「お兄さんの友達の広川卯月です!」
手を伸ばして、元気に握手をしている。上下のシェイクが激しいので、美織は頭まで揺さぶられていた。
「なんでお兄さん?」
激しい挨拶のあとで、美織がそう尋ねてくる。
「花楓ちゃんのお兄さんだから、お兄さん」
答えたのは卯月だ。
人間関係の基準が、卯月の場合は花楓の方にあるようで、出会ったときから、そう呼ばれている。
「梓川君、妹がいるんだ。で、妹さんは広川さんと仲良し?」
「理解が速くて助かるよ。ま、仲良しっていうか、ファンなんだけど」
咲太が美織に説明している間に、卯月は教室の前の方へと駆けていく。
「みんな、おっはよー!」
ステージ上からファンに挨拶するようなテンションの高さ。前の方に固まっていた女子のグループが「おはよ」とそれぞれに返している。
五人組に卯月が加わって、六人になった。ただ、五人の服装が綺麗に揃い過ぎているせいか、脚のラインがはっきり出るスキニーに、ロングカーディガンをスタイルよく着こなした卯月だけは、どうしても浮いて見える。一瞬、醜いアヒルの子が頭を過った。もう白鳥になっている状態だが……。
「梓川君はさぁ」
美織は何か文句でも言いたそうな口調だ。
「なんですか?」
「かわいい女の子の知り合いが多いんですね」
「美東も含めてな」
「そういう意味で言ったんじゃないから」
ほんと性格悪いと、また口を尖らせている。
そのあとで、「ん?」と表情に疑問を宿した。
「美東って言った?」
「友達候補になったので。距離を詰めてみようかと」
数学の例題をようやく解き終える。あとは、ふたりの生徒に理解してもらうだけだ。
「梓川って長いんだけど」
「だから?」
「あずさ?」
「特急電車みたいだな」
「さがわ?」
「飛脚みたいだな」
「咲太、だと馴れ馴れしいから、梓川君だね」
一周して元に戻ったところで、スペイン語の先生が教室に入ってきた。
5
「今日は、ココまでにシマス」
午前十時三十分にはじまった二限の授業は、時間通りの九十分後……十二時ちょうどに終わった。
「アスタ ラ プロキシマ セマーナ!」
また来週と言って、スペイン語教師のペドロが教室を出て行く。
「アスタ ルエゴ!」
またねと言って明るく送り出したのは卯月だ。元気に手も振っている。
それにペドロは笑顔で応えていた。
陽気なスペイン人には、卯月のテンションもウケがいい。
そのペドロと入れ替わるようにして、拓海が教室に顔を出した。
「梓川、飯どうするよ?」
咲太を見つけるなりそう声をかけてきたのだが、拓海の目は途中で隣に逸れた。今、拓海の目には、トートバッグに教科書を入れる美織が映っているはずだ。
「チャオ」
美織はスペイン語でフレンドリーに「またね」と軽く手をあげて席を立つ。拓海の脇を通り抜けて、廊下に消えていった。
「梓川君、どういうことかな?」
近づいてくるなり、拓海が机に両手を突く。
「今朝、何もなかったって言いましたよね?」
「さっき、友達候補に昇格した」
「俺も混ぜろぉ」
「それは、美東に聞いてくれ」
「もう呼び捨てかよぉ。やっぱり、桜島麻衣を落とした男は、出来が違うのね……」
なにやら遠い目をしている。
そんなやり取りをしていると、教室の前の方でも、昼食の相談がはじまっていた。
卯月を含んだ女子のグループだ。
「学食行く?」
「よこいち丼、食べたい!」
真っ先に反応したのは、卯月だ。この大学の名物どんぶり。甘辛のそぼろに温泉卵が載ったご飯がすすむ味だ。
聞いたら、咲太も食べたくなってきた。
「じゃあ、学食行こっか」
けれど、すぐに「あっ」と卯月が何かを思い出して、
「今日、撮影だった。もう行かないと。ごめん」
と、両手を合わせてみんなを拝んでいる。
「こないだと同じファッション雑誌?」
「あれ、かわいかったよね」
「今度も出たら絶対買う」
「買う買う」
「撮影がんばってね」
周囲の女子が交代でテンション高く卯月に声をかけていく。
「アスタ マニャーナ!」
それに応えるように、また明日と手を振って、卯月は元気よく教室から駆け出していった。
すると、女子たちの会話は一旦ぴたりと止んだ。かと思うと、
「なに食べる?」
「購買は?」
「私、昨日食べ過ぎで。サンドウィッチだけにしたかったの。助かる」
「わかる。それ私も」
「じゃ、行こう」
と、先ほどまでとはまったく違うテンションで、笑い声を上げながら教室を出て行く。
卯月の話題は誰一人として引きずらなかった。



