第一章 思春期は終わらない ⑩
その姿が完全に廊下に消えるのを待って、
「なんか、女子ってこえーな……」
と、拓海が呟いた。
「人間あんなものだろ」
本人がその場にいるときは、仲良く振る舞うのだから、中学や高校と比べて、人付き合いに余裕が出たと思う。「クラス」があったときには、みんなもっと徹底的に線を引く習慣がついていて、好きと嫌いの境界線はもっとはっきりしていた。
大学には、ほどほどで許される緩い関係が存在し、それで成立している。
「梓川も、なんかこわいよ?」
「学食、席なくなるぞ」
学食があるのは時計台から並木道を真っ直ぐ進んだ先。突き当たりを左に曲がると見えてくる。ホールや購買部も入った建物で、その一階に学食はある。
昼食のピークタイムの今は、四百席が殆ど埋まっていて、空席を探すのも一苦労だった。
男子三人組が席を立ったテーブルを、入れ替わりでキープする。すると、拓海が咲太の分のトレイも持ってやってきた。
ふたりとも、よこいち丼だ。
普通サイズで三百円とリーズナブル。学食のメニューは全体的に安く、そばやうどんに至っては百円台からある。学食は、腹を空かせた学生の胃袋の味方。
時々、大学関係者ではなさそうな親子連れやマダムの集団を見かけるが、外部の人も利用可能な施設なので問題ない。最近では色々な大学が、地域との交流を兼ねて、そうした試みを広く行っている。そのために、学食をおしゃれなカフェみたいにしている大学も多い。TVの特集なんかも、ちらほら見かける。
五分ほどで、咲太と拓海のどんぶりは空っぽになった。ただで飲めるサーバーのお茶で喉を潤していると、
「梓川、女の子、紹介してくれませんか?」
と、拓海が口癖のように言ってきた。
「懇親会で連絡先交換した女子は?」
「返事がありません」
「ご愁傷様」
「豊浜さんでもいいからさ」
「『でもいい』とか言うと、怒られるぞ。豊浜は沸点低いから」
もう一口お茶をすする。すると、学食の入口にきらきらしたものが見えた。噂をすればなんとやらだ。
大学内では、他にも金髪の学生を見かけるが、間違いなく一番丁寧に手入れされた綺麗な金髪の持ち主だ。キャンパス内では、自慢の金髪を低い位置でまとめて、肩から前に流している。
のどかは誰かを捜しているのか、学食を見回していた。
すぐに、咲太とばっちり目が合う。かと思うと、すたすたと近づいてきた。どうやら捜していたのは咲太だったらしい。
「やっと、見つけた」
まるで咲太が悪いかのような口調だ。
「なんか用か?」
のどかの視線が、一緒にいる拓海に向かう。
「ちょっと、咲太、借りていくね」
「どうぞ。お好きなように」
あっさり咲太を差し出す。
咲太の意思は聞かずに、のどかは回れ右をして、きびきびとした足取りで出口の方へと歩いていく。ついていかないと文句を言われるので、咲太は使った食器を返却口に戻してから、のどかのあとを追いかけた。
外に出た咲太とのどかは、なんとなく歩いて、研究棟の側にあるベンチに腰掛けた。近くでは、校舎の窓ガラスを鏡にして、ダンス部がステップの練習をしている。
その様子をしばらく眺めているだけで、のどかは何も言ってこない。
「で?」
仕方なく、咲太の方から短く切り出した。
「……今日、卯月と会った?」
「会ったよ。スペイン語で一緒だった」
のどかも知っていたから、咲太を捜しに来たのだろう。
「なにか言ってた?」
「なにかって?」
「……」
「わざわざ連れ出したんなら、もったいぶらずに言ってくれ」
「様子、どうだった?」
咲太の軽口にも、のどかの表情は変わらない。ダンス部の練習をじっと見つめたままだ。
「別に、いつも通りだったんじゃないか?」
少なくとも咲太はなんの違和感も覚えなかった。
咲太と美織のやり取りに突然割り込んできたのも、タピオカを勧めてきたのも、そのあと女子グループに元気よく合流していったのも、覚えたてのスペイン語を誰よりも積極的に使っていたのも……帰ったあとで、女子グループが卯月の話題を引きずらなかったことも含めて、いつも通りの卯月だった。
「あたしのこと、何か言ってなかった?」
「何も」
「スイートバレットのことは?」
「何も言ってなかった」
「そっか……」
まったく話が見えてこない。
「これ、なんの話だ?」
そう聞いた咲太のことを、のどかはようやく視界に入れた。その目は怒っているようにも見えるし、困っているようにも見える。
「昨日、ちょっとあって……」
「ちょっと?」
「喧嘩したっていうか……」
「喧嘩……?」
その言葉がしっくりこなかったのには、ふたつの理由がある。ひとつ目は、のどかと卯月が喧嘩している絵というのが、上手く想像できなかったから。
もうひとつは、今日の卯月の態度だ。本当に普通だった。いつも通りだった。曇り切ったのどかの表情とは対照的で、何かの間違いではないかと思ってしまう。
「喧嘩の原因は?」
「……メンバーがふたり卒業したのは、咲太も知っているでしょ?」
「まあ」
のどかが言うメンバーとは、のどかと卯月が所属するアイドルグループ『スイートバレット』のメンバーだ。
半年ほど前に、七人いたうちのふたりがグループを抜けて、今は五人で活動している。
「その頃から、事務所も、あたしたちも、この先のことを相談するようになって……」
「それって、続けるとか、解散するとか、そういう感じの?」
「……」
のどかは肯定も否定もしない。何も言わないことが、現状に対するのどかの抵抗であったし、咲太への答えになっていた。
「三年で武道館……それが、あたしたちの目標だったの」
過去形なのは、デビューからそれだけの時間がすでに経過しているからだ。先のことを考え直す節目でもあると、のどかは言いたいのだと思う。
「でも、ファンも増えて、仕事も増えてるだろ?」
夏には音楽フェスにも参加していたし、主要都市を回る単独ライブも行っていた。東京の会場には、友達の鹿野琴美を誘って花楓が観に行っている。二千人規模の会場は大盛り上がりで、家に帰ってくるなり、「すごく楽しかった。すごかった」と興奮した花楓から感想を聞かされたものだ。
メンバー個々の仕事としては、卯月はクイズ番組で存在感を示し、街ぶらロケなんかのTV出演も徐々に増えている。予想外の言動で、どこでも笑いを取れるのが強みだ。
のどかはそのお目付け役で同行することが多く、見た目とは裏腹な優等生的振る舞いで認知されるようになってきた。
他のメンバーも、グラビアで活躍したり、ドラマに出演したり、スポーツ系バラエティで体を張ったりと、五人がそれぞれに活躍の場を広げつつある。
とは言え、まだまだ知る人ぞ知るグループであることに変わりはない。
「だから、それもあって、スイートバレットとして、どうしようかって話。特に、卯月のオファーが多くて……みんなとスケジュール合わなくなってきたから、事務所も色々考えてるみたいで」
「色々って?」
「……卯月のソロデビューとか」
ぽつりとのどかがもらす。感情を殺した声。普通を装って、普通にのどかは口にした。
「昨日、事務所の合同ライブのあと、チーフマネージャーが電話で誰かと話してるの、聞いちゃったのよ」
喧嘩の切っ掛けらしきものがようやく見えてきた。
「事務所は置いといて、広川さんはそれ知ってんのか?」
「たぶん、知らない」
そうだろう。知っていたら、問題の角度はだいぶ変わっていたはずだ。
「豊浜はどうしたいわけ?」



