第二章 空気の味は何の味? ④
咲太に背中を向けているが、その後ろ姿にはなんとなく見覚えがある。それもそのはずだ。麻衣と一緒にいるのは、つい先日、友達候補に昇格したばかりの美東美織だったから。
テーブルの脇まで行くと、「あ、梓川君、やっほー」とフランクに声をかけてくる。
一度、麻衣と美織を見比べたあとで、咲太は麻衣の隣に座った。
「二限の英語で一緒だったの」
尋ねる前にそう教えてくれたのは麻衣だ。
「麻衣さんが隣に座ったときは、心臓飛び出るかと思った」
その瞬間のどきどきを思い出したのか、美織が胸に手を当てる。
「美織は大げさ」
少し呆れたように麻衣が言葉を返す。
「いやいや、麻衣さんはもっと自覚持って。ね、梓川君」
自然な会話のラリーのあとで、美織が話を振ってくる。麻衣の視線も咲太の方へと注がれた。そのふたりを今一度見比べたあとで、
「なんか、随分仲がいいですね」
と、咲太は率直な感想を口にした。
テーブルを見れば、ふたり揃って学食の名物丼を頼んでいる。すでにふたりのどんぶりは空っぽだ。ご飯粒ひとつ残っていない。席も広い場所を確保しているので、二限の授業が予定よりも早く終わったのだろうか。咲太が来る前に話す時間が結構あったのかもしれない。
「梓川君、妬いてる?」
「麻衣さん友達作るの苦手だから、ちょっと意外で」
リュックから出した弁当をテーブルに広げる。
「誰がよ」
わざと怒ったような態度を取った麻衣が、咲太の弁当箱から玉子焼きを箸で奪っていく。
「英会話の授業、ペアを組んでずっと話していたおかげね」
そう言ったあとで、ぱくっと玉子焼きを食べた。「んー、美味しい」と口の中で言っている。
英会話の授業は、咲太も前期に受けている。日本語禁止の授業のため、パートナーとは一心同体。咲太の場合、拓海と話をする切っ掛けにもなった。
「あとは、スマホ持ってないって聞いて、咲太が話してた子だってわかったから」
「どうせ、から揚げ三つも食べた食い意地の張った女がいたって言ったんでしょー」
「そこまで話してないって」
「おかげで、麻衣さんとお近づきになれたから許してあげるけど」
美織は話を聞いちゃいない。
そんな経緯があるにしても、麻衣と美織は妙に親しげだ。すでに名前で呼んでいるのも、麻衣としては珍しい気がする。咲太も最初は「咲太君」だったのだから。
「美織の自己紹介で、ファーストネームで呼んでほしいって言われたときは、さすがにちょっと抵抗あったけどね。英語で話すときはそれで自然だったから」
「なんで、ファーストネーム?」
咲太が美織にそう聞くと、
「麻衣さんには、呼び捨てにされたいと思って」
と、間を置かずに理由が返ってきた。
「わかるなぁ」
しみじみ頷きながら、咲太は弁当を口に運ぶ。
すると、何も言わずに席を立った麻衣が、サーバーのお茶を持ってきてくれた。咲太の弁当箱の隣にそっと置く。
「麻衣さん、ありがと」
それに、麻衣は口元だけでやさしく微笑む。
「……」
それを見ていた美織は、なにやら目をぱちくりさせていた。
「どうしたの、美織?」
「……ふたりって本当に付き合ってるんだ」
まだ目をぱちくりさせている。よっぽど信じられないらしい。
「釣り合ってないとはよく言われるよ」
はっきり口に出す人間は少ないが、周囲の視線がそう語っているのを感じることは多々ある。珍しいことではない。お似合いですね、と本心から言われたことはないかもしれない。少なくとも大学で出会った友人、知人からは一度もない。
「ううん、そうじゃなくて、なんか距離感が自然で……とてもお似合いです」
畏まった美織は、どういうわけかちょっと恥ずかしそうだ。自分の言葉に照れたのだろうか。人を褒めるのは、変に構えてしまって意外と難しかったりもする。
「美織、ありがと」
そう言って麻衣が笑いかけると、美織はハートを撃ち抜かれたみたいにふやけて隣の椅子に倒れ込んだ。
「大丈夫か?」
一応、声をかけておく。
「もー、ダメ。わたし、今、恋に落ちた」
「この前も言ったけど、僕の麻衣さんはあげないからな」
「時々、貸してよ」
「ふたりとも、私は物じゃないわよ」
麻衣の言葉に、美織が少し緊張した表情で起き上がる。
「美東、気にしなくていいぞ。麻衣さんはこれくらいじゃ怒らないから」
「そうね。咲太はいつももっと生意気だものね」
再び、麻衣の箸が弁当箱に伸びてきて、冷凍のカニクリームコロッケを攫っていった。最近花楓がはまっているので、家にはいつもストックがある。
「あー、麻衣さん、それはせめて半分」
だが、咲太の制止の声は届かず、麻衣はぱくりと食べてしまう。
「……なんだろう、この感じ。わたし、まだここにいていい?」
咲太と麻衣を交互に見たあとで、美織が自信なさそうに聞いてくる。
「ぜひ遠慮してくれ」
「いいに決まってるでしょ」
咲太と麻衣の言葉が重なる。
「とりあえず、お茶おかわりしてくる」
間を取ったような選択をして、美織はコップを持って席を立った。空になっていた麻衣のコップを持っていくあたり、抜かりがない。
「美織って、ちょっと咲太に似てるわよね」
サーバーにコップを置いた美織の背中を見ながら、麻衣がそんなことを言ってきた。
「それ、美東に言ったら嫌がりますよ」
「咲太は嫌じゃないんだ。美織、かわいいもんね」
そこに、お茶をおかわりした美織が戻ってくる。
「なんの話?」
とんっとプラスチックのコップをテーブルにふたつ置いた。
「美東はかわいいって話」
「麻衣さん本当?」
美織は露骨に疑いの表情だ。どうやら咲太は信用されていないらしい。
「そうね」
「えっと、ありがとうございます」
麻衣の言葉は素直に信じて、美織が大人しく席に座る。照れ隠しに、ずずっとお茶をすすっていた。
一旦、会話が途切れたところで、咲太は最後に残っていた玉子焼きを口に入れた。箸をケースにしまって、弁当箱の蓋も閉じる。ランチクロスに包んで終了。
麻衣が持ってきてくれたお茶を飲んで一息つく。
なんとなく学食内を眺めると、ふたつ隣のテーブルに目が留まった。咲太たちが使っているのと同じ四人掛けのテーブル。似たような服を着て、似たようなメイクをした四人の女子が座っている。テーブルの食器を見た感じでは、頼んでいる料理も一緒だ。
「高校は楽だったなぁ」
突然、そんなことを言い出したのは美織だ。
「ん?」
咲太が疑問の視線を向けると、美織もふたつ隣のテーブルを見ていた。
「制服あったから」
「あー」
どうやら、咲太の視線の意味に気づかれていたらしい。だったらいいかと思い、咲太は再びふたつ隣のテーブルに視線を戻した。よく見ると、その奥のテーブルにも、殆どお揃いの服を着た二人組がいる。
学食内を見渡せば、そうしたテーブルはひとつやふたつではない。トランプのポーカーで言うところのフラッシュやフルハウス、フォーカードに、スリーカード、ツーペアやワンペアまで数えるときりがない。
「あれって、相談して決めてたりしないよな?」
「そんな面倒なことする人いる?」
毎朝、友達に連絡して、今日はこの格好で行こうね……などとやる人間がいるとは、さすがに咲太だって思ってはいない。
「いないだろうな」
ただ、偶然お揃いになるにしては、不自然にお揃いが多い気がする。見方によっては、偶然が重なりすぎて、ちょっと不気味だ。
「わたしも、毎日服は悩むなぁ。ダサいって思われるのは嫌だし、あの子がんばりすぎって笑われるのも嫌だから」



