第二章 空気の味は何の味? ⑤

 その美織は、ワンピースの上にカジュアルなデニムのシャツを被せている。ワンピースだけだとがんばりすぎだから、シャツ一枚で甘さを抑えているということだろうか。

 隣のテーブルを見れば、美織と同じコーディネートの女子がいた。


「梓川君だってさ」


 そう言って美織が視線で意識させたのは、咲太の斜め後ろに座っている男子二人組。紺色のアンクルパンツに、上は長袖のTシャツ。咲太とまったく同じ格好だ。黒色のリュックサックまでぴったり一致している。

 美織が何を言いたいのかは聞かなくてもわかる。


「僕の懐事情にあった店に行って、マネキンが着てる服を買うとこうなるんだよ」

「わたしのこれもマネキンのやつ」


 自分の服を軽く指で摘んで、吹き出すように美織が笑う。


「昨日着てたのは、『秋 大学生 コーデ』で検索したやつだし。買うお店も、見るサイトも同じだったら、そりゃあ同じになるんじゃない?」

「まー、そーかも?」

「それに、みんなと一緒だったら、笑われないし……わざわざ違う格好はしないよ。高校じゃあ、スカート短くはいて、ネクタイかわいく結んで、ソックス変えてさ。みんな必死に個性出そうとしてたのにね」


 過去を振り返って、美織が苦笑いを浮かべる。

 だが、人間そんなものかもしれない。自由にしていいと言われると、自分を問われる気がして萎縮するのだ。誰かに決めてもらったことに乗っかっているうちは、その誰かのせいにできる。だけど、自分で決めたこととなれば、言い訳もできなくて、逃げ道もなくなってしまうから。


「美東ってスマホは持ってないのに、検索はするんだな」

「家にパソコンがありますから」


 威張ることでもないのに、美織は腰に両手を当てて胸を張る。どうやら、ネットが嫌いというわけではないらしい。


「麻衣さんは、服、どこで買うんですか?」


 黙ってやり取りを見守っていた麻衣に話を振ったのは美織だ。


「私?」

「いつも、服、かわいいので教えてほしいです」

「確かに、いつも、麻衣さんはかわいいな」


 今日の麻衣は、襟のついたブラウスの上に、ニットのベストを着ている。下はロング丈のスカート。髪は緩く編み込んだふたつのおさげにして、両肩から前に垂らしている。伊達眼鏡をかけた全体の雰囲気は、文学少女という感じだ。

 一歩間違えると、野暮ったくなりそうな格好にも思えるが、麻衣は大人っぽく綺麗に着こなしている。


「最近は、撮影で着た衣装を、スタイリストさんから買い取ってるのが多いわね。今、着てる服もそうだけど」

「真似できないやつだぁ」


 美織ががっくり肩を落とす。


「まあ、真似できても、わたしは麻衣さんじゃないから、似合わないだろうけどさ……」


 今度はひとりでふてくされている。


「意外となんとかなるぞ」

「なんで、梓川君にわかるの? 着たの?」

「ああ」

「変態だ」

「僕の妹がな。麻衣さん、よくおさがりをくれるんだよ」


 意外に身長が高い花楓は、麻衣のおさがりを着られるのだ。七五三っぽく、着せられている感じになることもあるが、概ねなんとかなっている。


「妹さん、いいな。わたしも梓川君の妹に……は、なりたくないけど、いいなぁ」

「本音が出てるぞ」

「そう言えば、これ、なんの話だっけ?」


 咲太の言葉は聞き流して、美織が思い直したように問いかけてくる。


「美東が急に、高校は制服があってよかったなあって言い出したんだよ」

「咲太が向こうを見てたからでしょ」


 麻衣がちらっと見たのは、話題の発端になった女子グループだ。


「そうだった。ああいうの気にするってことは、梓川君、なんかあったの?」

「なんかってなに?」

「なんかはなんかだよ」

「ただ、なんとなくだよ」


 咲太がまさになんとなく視線を逸らすと、美織は「ふーん、なんとなくか」と言ってひとまず納得してくれた。ごまかしたことを追及してきたりはしない。

 その前に、休み時間の終了が近いことを知らせる予鈴が鳴った。学食でくつろいでいた学生たちが、がやがやと動き出す。


「わたし、図書館に本返すから先に行くね」


 一番に美織が立ち上がる。


「食器、片付けとくよ」


 遅れて立ち上がった咲太は、美織のトレイに手を伸ばした。


「あ、ごめん。ありがと」

「また、来週の授業でね」


 麻衣の言葉に、「また」と手を振って美織は学食から出て行った。

 その背中を見送ってから、食器を返却口に戻す。

 麻衣と一緒に外に出ると、並んで本校舎の方に足を向けた。


「咲太、午後の授業は?」

「サボって麻衣さんとデートしたいなぁ」


 並木道から見上げる空は青く高い。

 絶好のデート日和だ。

 数日前まではまだ暑いと感じる空気だったが、今日は秋らしい涼しさがある。


「四限まであるなら、一緒に帰ってあげるわよ」

「三限までだけど、塾の準備しながら、麻衣さんを待ってます」

「そう? でも、今日、塾のバイトなんだ」

「あーあ、夕飯は麻衣さんと麻衣さんの手料理を食べたかったなあ」

「そんなこと言っても、作りに行ってあげないから」

「えー」

「それより、塾のバイト、双葉さんに会うなら、さっきのこと聞いてみたら?」

「ん?」

「あんな話題持ち出したのは、広川さんのことでしょ?」


 やっぱり、麻衣はわかっていたらしい。わかっていたから、何の疑問も挟んでこなかったのだ。恐らく、のどかから何か聞いているのだと思う。


「今日、双葉に聞いてみます。あいつ、絶対に嫌な顔するだろうな」





「梓川って、まだ思春期だったんだ」


 理央に卯月の話を聞いてもらうと、最初に返ってきたのはそんな言葉だった。

 塾講師のバイトが終わったあと。

 午後十時を過ぎたファミレスの店内は、今も八割ほど席が埋まっている。

 今日は花楓もバイトに出ていて、咲太と理央の注文を取りに来たのは花楓だった。料理を運んできたのは、高校時代の後輩である古賀朋絵。ふたりとも今はもうフロアにはいない。高校生が働けるのは午後十時までだ。今頃は奥で帰り支度をしているはず。


「僕って意外とピュアだからな」

「ブタ野郎は意外と繊細らしいしね」

「それ、ブタの話だよな?」


 咲太の指摘は無視して、


「梓川が思っている通りなんじゃないの?」


 と、理央は話題を本題に戻してきた。


「というと?」

「空気を読めなかったアイドルが、空気を読めるようになっただけの話」

「そんなことあると思うか?」


 こう言ってはなんだが、卯月の天然は筋金入りだった。昨日の今日で、急に変わるとは到底思えない。


「梓川はどうしても思春期症候群に結び付けたいんだね」

「そうでないことを願ってるよ」


 それは本当だ。

 ここ一年半ほどは遭遇していないので、できればこのまま卒業させてもらいたい。

 ただ、卯月の件に関しては、なんらかの思春期症候群だと言われた方が納得できるのも事実。それほど、卯月の態度には違和感があった。


「仮に思春期症候群だったとしても、彼女は自分の天然に悩んでたわけじゃないんでしょ?」

「まあな」


 もちろん、悩んでいた時期もあったはずだ。同級生と話が嚙み合わず、仲良くなれず、気が付くと孤立している。中学、高校ではそんな状態だったと卯月本人から聞いたことがある。

 だが、咲太と出会う前……全日制の高校を中退して、通信制高校に通うようになる過程で、卯月は克服した。

 自分の幸せは自分で決める。

 そう助言してくれた母親に勇気づけられて……。

 そんな卯月だから、人と同じことができない自分に悩んでいた花楓の道しるべとなってくれた。花楓の勇気になってくれた。おかげで、花楓はすっかり卯月のファンになっている。

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