第一章 ブタ野郎には明日がない ④
自嘲気味に、理央が苦笑いを浮かべる。
「そりゃまた乙女チックな悩みだな」
「梓川に声をかけられても、虫唾が走るだけなのにね」
「その一言、必要だったか?」
絶対に必要なかったはずだ。ま、八つ当たりで理央の気分が紛れるなら、これくらいのことはなんでもない。
「なんか、私、ますますダメになってるかも」
最後に残ったトーストの耳を口に押し込み、理央がコーヒーをずずっとすする。それから、「はあ~」と深いため息を吐いた。
「いっそ、言ったらどうだ?」
「何を?」
わかっているくせに、はぐらかすように理央は聞いてくる。
「好きだって」
「……誰に?」
今度は少し躊躇いを感じた。聞けば咲太がその名前を口にするとわかっているのだ。
「当然、国見に」
「あのさ、梓川」
「好きだって言えばいい」
理央の目を見て、咲太はあえて逃げ場を封じるようにそう告げた。
「……」
目に見えて、理央は口を尖らせていく。椅子の上に膝を抱えて横向きに座ったかと思うと、
「今は正論なんて聞きたくない」
とふてくされた口調で言ってきた。
「悪かった」
「ほんと悪い」
「けど、双葉はずっとそのままでいる気かよ。それ以上こじらせる前にはっきりさせた方がいいと思うぞ」
わざわざ、朝から部活動をしているのだって、朝練の佑真に会えるかもしれないからだということを咲太は知っている。そのくせ、会えたら会えたで、この有様なのだ。
「だから、正論なんて聞きたくない」
そこで、もう一度理央がため息を吐いた。風船でも膨らませそうな深いため息。横顔は憂鬱そのものだ。
「言ったら、国見、困るだろうし」
「存分に困らせろ、あんなさわやか野郎は」
「私も梓川くらい無神経だったらよかった」
「そんなに褒められると、照れるな」
「さすが無神経」
「男は女子に振り回されて喜ぶ生き物なんだぞ」
「それ、ブタ野郎の梓川限定でしょ」
「国見の彼女もなかなかだと思うけどな」
前に、咲太はその彼女から、「クラスで浮いている梓川なんかと一緒にいると、佑真がかわいそう」と、面と向かって言われたのだ。どう考えても、そんなことを言われている咲太の方がかわいそうだった。名前は上里沙希。咲太と同じ二年一組に所属。咲太のタイプではないが、男子の間では人気が高く、かわいいと評判だ。クラスでは、最も派手で華やかなメイングループの中心的存在でもある。
誰もいない物理実験室で、科学部の活動にひとり勤しんでいる地味な理央とは正反対だ。
「梓川さ」
「なに?」
「彼女の話とかほんと無神経」
「双葉には荒療治が必要だって。嫌なら、さっさと玉砕してこい」
「梓川のくせに正しいこと言わないで」
理央もそれが唯一の解決手段だということはわかっている。わかっているけど、実行に移せずにいる。言えば終わってしまうから。
「こんな言いにくいことを言ってくれんのは、僕くらいのもんだぞ」
「それを自分で言うから、梓川はダメなんだよ」
どこか楽しげに理央が笑う。少しは気分転換になったようだ。
「で、梓川の話ってなに?」
「明日が来なくて困ってる」
「元々、梓川に明るい未来なんて来ないんだからいいんじゃないの」
ストレートにボールを投げたら、酷いことを言われた。
「ちっともよくないし、僕にはバラ色の未来が待ってるんだ」
今日の昼休みから麻衣とのお付き合いがスタートする。その先の未来はバラ色と言っても、少しも大げさじゃないはずだ。
「とにかく、今日が昨日で、昨日が今日で困ってる」
「人間にわかるように言ってくれる?」
「僕も人間だぞ」
「ブタ野郎なのに?」
「あのな……あ、いや、いい。ええっとだな……」
反論するのは諦めて、咲太は我が身に降りかかっている不思議な事態について、理央に一から説明をはじめた。
五分後、話を聞き終えた理央は、
「ふあ~」
と、眠たそうにあくびをした。
「で、どう思う、双葉」
意見を聞こうと真剣な眼差しで咲太は理央を見た。
「梓川、それ中二病だよ」
「僕は高二だ」
「なら、高二病でいいや」
「投げやりだな」
理央はいかにも面倒くさいという態度だ。コーヒーのおかわりを淹れて、ひとりで飲んでいる。
「そうでなければ、梓川の大好きな思春期症候群なんじゃないの?」
これまた投げやりに言ってくる。
「これっぽっちも好きじゃない」
思春期症候群。
ネットの一部で話題になっている不可思議な現象の総称。『他人の心の声が聞こえた』とか、『物の記憶が読めた』とか、そんなオカルトじみた眉唾物の噂話。
誰も本気で信じているわけではない。
でも、それらに類する現象を、咲太はこれまでに何度か経験している。今回のもそれだろう。他に考えられない。
「てか、なんとかしてくれ」
「そんなの梓川がなんとかするしかないでしょ」
「理由を聞こうか」
「見たところ、私も含めて他の生徒はおろか、その他七十億人の人類は、今日が三度目だなんて思ってないよ」
理央が横目に映したグラウンドでは、野球部員がランニングをしている。確かに、熱心に汗水を垂らす彼らは、今日が三度目だなんて思っていないだろう。思っていたら、悠長に部活に勤しんでいる場合ではないはずだ。
「思ってたら今頃パニックだろうし」
スマホを操作していた理央は、検索結果の画面を咲太に見せてきた。検索ワードは、『六月二十七日』、『三度目』、『繰り返し』だ。残念ながら目ぼしいヒットはない。
「ということはつまり、梓川が引き起こしている思春期症候群だと私は思うけどね」
さらっと理央は嫌なことを言ってくる。
「僕は別に思春期特有の不安定な精神状態にはないし、何か強烈なストレスを感じてたりもしないぞ」
その辺が、思春期症候群の原因ではないかと、ネットでは語られている。ままならない現実に対する過度なストレス。それが見せる幻というのが、最も有力な解釈だ。要するに現実逃避の産物。
「ま、自覚がないならいいけど」
どうも、理央は咲太が原因だと決めつけているようだ。
「要因がなんであれ、起きている事態について、梓川が思ってるのとは違う見解を述べておくよ」
「どういう意味だ?」
「さっきの説明を聞いた限りだと、梓川は時間がループしていると思ってるでしょ」
「ああ、そんな感じ」
SF小説なんかで度々見かけるループ展開だ。
「その考えには囚われない方がいいかもね」
「なんで?」
「過去に戻るのは色々と大変だから」
できないと言ってこないところを見ると、理論はあるということだろうか。
「梓川が何度か経験した『六月二十七日』は、それより前の時間から未来を見たものかもしれない」
なんかとんでもない発言が飛び出した。
先ほど、過去に戻るのは難しいと言った人間の言葉とは到底思えない。
「今の流れだと、未来予知は簡単って聞こえるぞ」
「一時期、過去へのタイムトラベルよりは、可能性に近づいたからね」
「まじで?」
「とは言っても、量子力学が登場する以前……古典物理学の時代の話だけど」
「ほう」
「ラプラスの悪魔って聞いたことない?」
「あいにく、悪魔の知り合いはいないな」
「知らないならいいけど……この世界に存在するあらゆる物質は、同じ物理法則の支配下に平等である。これはいい?」
「ああ、それが物理学ってやつだろ?」
「そう。その法則を数式化して、計算してしまえば、未来の状況を導き出せる」
随分と簡単な説明だ。実態が見えず、咲太は首を捻った。
「まるでぴんと来ない」



